ウルトラマン・Hの ひとりごと -22ページ目

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ノーランズ」は、英国生まれの可愛い姉妹グループです。 !!

1980年、シングル「ダンシング・シスター」を引っ提げて日本歌謡界にデビューするや、瞬く間に邦楽、洋楽の両部門でヒット・チャート第1位になりました。


そもそもノーラン家は、2男6女の大家族でして、始めの頃は、両親も含めた10人で、「ザ・シンキング・ノーランズ」というグループでデビューしたのが始まりです。


1974年、両親が引退、姉妹だけのグループ、「ノーラン・シスターズ」として再デビューします。

シングルを8枚ほど出しましたが、大きなヒットには恵まれませんでした。 しょぼん


1979年、グループ名を「ノーランズ」に改名、「I'm in the Mood for Dancing(邦題:ダンシング・シスター)」をリリース、英国ヒット・チャートの最高3位に入る大ヒットとなりました。 カラオケ


これが日本デビューのきっかけになり、翌年、初来日して日本デビューを飾ったのです。


1981年、東京音楽祭世界大会に出場、「セクシー・ミュージック」を唄ってグランプリを獲得しました。 合格


この頃に発表した「恋のハッピー・デイト」もオリコン1位を獲得、大ヒットしましたね。 クラッカー

この曲、石野真子さんがカバーしています。

それから、「セクシー・ミュージック」は、WINKがカバーしていました。


いきなり連続で大ヒットを連発した割には、ブームは長く続かず、1983年頃には日本から姿を消してしまいました。

解散してしまったのかなあ・・・、と、思っていた人も多かったと思います。


1990年に入って、外人が日本のヒット曲を英語バージョンで唄うという、「逆カバー・ブーム」がやって来ます。

これに乗って、「ノーランズ」は、「なんてったってアイドル」、「寂しい熱帯魚」、「プレイバック・パート2」等を集めた逆カバー・アルバムを発表しました。

これが日本レコード大賞企画賞を受賞してしまい、再び黄金期を迎える事になりました。


浮き沈みの激しい「ノーランズ」ですが、姉妹達のメンバー・チェンジを何度も繰り返しながら、2005年に事実上解散するまで活躍したのでした。


つい最近、再結成したんじゃなかったかなあ?

リンダモリーンバーニーコリーンの、80年代に活躍したメンバーですか。

女性の年齢の事はどうでもいいですが、彼女達、もう50歳くらいになるんじゃないのかなあ? FAX


でも、デイリー・メール誌の写真を見てみると、皆、若々しくて可愛いなあ。(写真を貼れなくて残念!)


ノーランズ」は、現在でも活動を続けていました。 グッド!

メンバーは、「アン」、「モーリン」に加えて、アンの長女「エイミー」と、エイミーの従姉妹「ジュリア」の4人で元気に活躍しています。


美しい歌声と、綺麗なハーモニーは、未だ健在です。 目


つづく










ラジオから聴こえてきました。 カラオケ

サマー・ワイン」という曲。

ナンシー・シナトラ」と「リー・ヘイゼルウッド」のデュエット曲です。 口紅

「サマー・ワイン」は、1967年、レコーディングされました。

ナンシー・シナトラの甘く囁くような」唄い方が、とても官能を揺さぶります。

リー・ヘイゼルウッドの太く渋い声もいかしていますね。


ナンシー・シナトラ」は、言わずと知れた「フランク・シナトラ」の愛娘です。 にひひ

ナンシーは、1960年、父の番組「フランク・シナトラ・ショー」にプロ歌手としてデビューしました。

その時のゲストが、あの「エルヴィス・プレスリー」でした。 目


その後、なかなかヒット曲に恵まれませんでしたが、プロデューサーに「リー・ヘイゼルウッド」を、アレンジャーに「ビリー・ストレンジ」を得て、1966年、「These Boots are Made For Walkin'」が大ヒット、ヒット・チャートの第1位にランクインしました。 合格


それからは、「Somethin' Stupid」、「シュガー・タウン」、「憎いあなた」、「レディ・バード」と、次々にヒット曲をチャートに送り込み、米国で最も人気のあるアイドル歌手となりました。 チョキ


初期の楽曲では、「イチゴの片想い」が何ともいいですね。

この曲、本国米国では全くヒットしなかったそうです。

日本では、「イチゴの片想い」と「レモンのキッス」がカップリングで、両面ヒットとなりました。 キスマーク


そうそう、映画「007は二度死ぬ」のテーマ・ソング、「You Only Live Twice」もたまりませんね。


こうしてヒット曲を連発していたナンシー・シナトラですが、1974年に振付師の「ヒュー・ロンバート」と結婚して、忽然とヒット・チャートから姿を消してしましました。


「シナトラ一族」の彼女ですから、並みのシンガーとは違って、ヒット・チャートなんぞに未練も執着心も、一切無かったということなのでしょうか。


ところで、「シュガー・タウン(邦題はシュガー・タウンは恋の町)」という歌は、L.S.D.のことを唄った曲であると、ナンシーが告白した事があると、何かの書物で読みました。

こんな洒落た素敵な曲の何処にドラッグが隠されているのでしょう?


「シュガー・タウン」は、プロコル・ハルムの「青い影」と同じで、歌詞の意味が分からない曲のひとつなのでしょうか。


ナンシー・シナトラ」、1940年の生まれと言いますから、もう随分おバアちゃん、おバアちゃんしてるのでしょうね。 サーチ

でも、あの透き通るようなブラウン・アイズは、私の記憶から消えることはありません。 おやしらず


つづく



1997年、「ゲロッパ1600GT」などというふざけたバンド名で登場したのが、横山ケン率いる「クレイジーケンバンド」です。 目


バンド名は、「サディスティック・ミカ・バンド」を真似たんだとか。


何とも懐かしい、古き良き時代の音なのですが、よく聴いてみると新しいような、不思議なサウンドを聴かせてくれるバンドです。 ロボット


ロックンロール、リズム&ブルース、ジャズ、ファンク、ブルース、ロカビリー、ボサノバ、ラテン、そして、歌謡曲、ポップス、演歌・・・、ジャンルは何でもござれのスーパー・バンドなんです。


とにかく歌も演奏も、ずば抜けて上手い! ロケット

個々のプレーヤーは、それぞれソロでも十分にやっていける方ばかりです。


メンバーは、「横山 剣」(ボーカル)、「のっさん」(ギター・キーボード)、「ガーちゃん」(ギター・キーボード)、「ジャッカル」(サックス)、「シンヤ」(ベース)、そして、リーダーの「ケーワン」(ドラム)の6名。


他に、ホーン・セッションとして「わかば」と「澤の鶴」、キーボードの「トシちゃん」、パーカッションの「げん」、コーラスの「愛子」と「ミスターGT」が加わります。


愛称ばかりで、分かるかなあ・・・、わっかんねえだろうなあ・・・(古いフレーズだ)


彼らのライヴは最高にノリノリで、予定2時間のところを、3時間くらいはやってくれちゃいます。

ケンさん曰く、「エキサイトしてしまうと、時間の感覚が無くなってしまう」のだとか。 時計

ライヴではケンさんをノセてしまえば、朝までもやっちゃうかもです。


ライヴでのケンさんの決め台詞は、「イ~ネッ!」です。

皆で叫びましょう。 「イ~ネッ!


我がバンドでは、「葉山ツイスト」がレパートリーです。 リボン

昭和の匂いがプンプンするかっこいいナンバーで、皆でツイスト・パーティー、踊りましょう。


フェンダー・ミラーのセドリックで 昭和にワープだ

葉山のシーサイド・ハウスで ツイスト・パーティー

昭和にワープだ

昭和にワープだ


つづく


1959年、米国の黒人ボーカル・グループ、「プライメッツ」が結成されました。

オリジナル・メンバーは、「ダイアナ・ロス」、「メアリー・ウイルソン」、「フローレンス・バラード」、「ベティ・マグロウン」の4人でした。


女性コーラス・グループの「プライメッツ」は、男性コーラス・グループの「プライムズ」と共にステージに上がるようになります。

この「プライムズ」、後の「テンプテーションズ」なんです。 ラブラブ!


1961年、ベティが抜けて「バーバラ・マーティン」が新加入して、「ザ・シュープリームス」と改名します。

シュープリームス」は英語の発音で、米語の発音では「スプリームズ」と言うようです。


シュープリームス」は、モータウンの社長にとても気に入られ、「ブライアン・ホランド」、「エディー・ホランド」、「ラモン・ドジャー」という強力な作曲プロジェクト・チームが、1964年から彼女たちに曲を提供するようになります。


すると、どうでしょう、それまでベスト20にも入らなかった彼女たちが、1964年、「愛はどこへ行ったの」を発表するや、いきなり全米第1位の大ヒットとなりました。 叫び


それから「ベイビー・ラヴ」、「カム・シー・アバウト・ミー」、翌年の「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」、「涙のお願い」と、何と、5曲のシングルが全て全米第1位に輝くという、前代未聞の快挙を成し遂げたのです。 目


1966年には、「一人ぼっちのシンフォニー」、「恋はあせらず」、「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」など、1967年までの3年間に、何と10曲もの全米第1位のヒット曲を放ったのでした。 叫び


しかし、ダイアナだけを前面に押し出すセールスに嫌気がさしたフローレンスが、67年、脱退します。

シンディ・バードソング」を新メンバーに迎えて、グループ名も「ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス」となりました。


その後も、「恋ははかなく」、「「恋にご用心」、68年には「ラヴ・チャイルド」、69年の「またいつの日にか」と、次々と全米第1位のヒットを放ちました。 叫び


しかし、1970年、「ダイアナ・ロス」はグループを脱退、ソロ・シンガーとして活動を始めます。

ソロになってもダイアナの活躍はめざましく、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」を皮切りに、1981年、「ライオネル・リッチー」とのデュエット曲「エンドレス・ラヴ」までに、8曲もの全米第1位のヒット・ソングを放つのです。


ちなみに、ビルボードNO.1のヒットを20曲放ったのが「ビートルズ」で、「ダイアナ・ロス」は「シュープリームス」時代を入れて18曲と、史上第2位の記録でした。 チョキ


華々しい活躍の「ダイアナ・ロス」ですが、「彼女ほどプライドが高く、わがままな女は他に居ない」とまで言われました。

彼女は、スーパー・スターでありながら、世界一のスーパー・エゴイストだったようです。


でも、米国での黒人の地位向上が叫ばれ始めた1960年代、10代だった彼女が、全米を代表するトップ・アーチストになるためには、どれだけの努力と、勇気を必要としたことでしょうね。 メラメラ


ダイアナの抜けた後の「シュープリームス」は、残った3人が「The FLOS(元シュープリームスの淑女達という英語の頭文字)」と呼ばれるグループを作って、今も活動しています。


そうそう、新しいところでは、「マイケル・ジャクソン」が亡くなった時に、マイケルの子供達の後見人として「ダイアナ・ロス」が、遺言書の中で指名されていましたね。

でも、ダイアナは、マイケルの埋葬式には参列していませんでした。 ドクロ


余談になりましたが、「ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス」の美しい歌声とハーモニーは、永遠にオールディーズ・ファンの心に残っていくことでしょう。 ベル


つづく









1960年代後半、米国で巻き起こった「フォーク・ロック・ブーム」は、数多くのシンガーやグループを送り出しました。

ボブ・ディラン」「サイモン&ガーファンクル」「ドノヴァン」「ママス&パパス」等等・・・。

そんな中で、最も華々しいデビューを飾ったのが「ザ・バーズ」でした。 カラオケ


特筆すべきは、彼らには「テリー・メルチャー」という優れたプロデューサーが居たという事です。

そのお陰で、15曲以上のシングル・ヒット曲と、20枚のアルバムを発表しています。


1964年、ハリウッドの有名なフォーク・ソング・クラブ「トルヴァドール」で、「ロジャー・マッギン(G)」、「ジーン・クラーク(G)」、「デビッド・クロスビー(G)」の三人のシンガーが出会い、意気投合します。

そこへ、「クリス・ヒルマン(B)」と「マイケル・クラーク(D)」が加入して、「ザ・バーズ」が結成されました。


彼らの目指すサウンドは、【ボブ・ディラン】+【ビートルズ】という、それまでにはない音楽のスタイルでした。


1965年、ボブ・ディランとジャック・エリオットが作った曲「ミスター・タンブリンマン」を引っ提げてデビューした「ザ・バーズ」は、いきなり全米第1位に輝いたのでした。

フォーク・ロック」というそれまでになかった新しいジャンルの誕生でした。


そもそも「フォーク・ロック」が大衆に認知されたのは、1965年の「ニューポート・フォーク・フェスティバル」での事件(?)が発端でした。


フェスティバルの最終日、「ボブ・ディラン」は、エレキ・ギターを抱えてステージに登場し、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を唄い始めました。

すると、それを観ていたファンが騒ぎ始め、「何でエレキなんだ!」「何故アコギを弾かないんだ!」「フォークの裏切り者!」と、大きなヤジと怒号の渦になったのでした。

やっと1曲を唄い終え、涙を流しながらステージを降りたディランは、エレキ・ギターを投げ捨て、アコースティック・ギターに持ち替えて、再びステージに上がります。

拍手と歓声の中、「イッツ・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」を熱唱したのでした。


そのディランの後に「ザ・バーズ」が登場した訳ですが、罵声と歓声の両方を浴びるディランの姿を、目の前で見ていたにもかかわらず、「ザ・バーズ」は、そのディランが作った「ミスター・タンブリンマン」を、それもエレキ・ギターで演奏したのでした。

しかし、これが観客に素直に受け入れられ、後の大ヒットにつながったのですから、皮肉といえば皮肉です。


「ザ・バーズ」の成功があって、「フォーク・ロック」というジャンルが確立され、その後の音楽界に大きな影響を及ぼしたのでした。


日本でも、「よしだたくろう」さんがフォーク・ギターからエレキ・ギターに持ち替えた時に、「タクロー帰れ!」コールがありましたよね。


日本人っていうのは、誰かが既成のカラを破って飛び出して行こうとするのを良く思わない、そんなところがありますよねえ。(この島国根性めが!) ドクロ


「ザ・バーズ」の曲、「ミスター・タンブリンマン」「ターン・ターン・ターン」も好きですが、私は何故か、サイケデリックなサウンドの「霧の8マイル」が大好きです。UFO


好きな「ヴェンチャーズ」がカバーしているせいもあるかもしれませんね。 ベル

ボーカル・バージョンとインスト・バージョンの違いはありますが、どちらの演奏もGOOD!です。


つづく