アレサ・フランクリン  「RESPECT」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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アレサ・フランクリン」は、1942年、米国のメンフィス生まれの、女性ソウル・シンガーです。

牧師の父と、ゴスペル歌手の母を持つアレサは、幼い頃から父の教会でゴスペルを唄っていました。

1960年、『ビリー・ホリデイ以来の最高のシンガー』という鳴り物入りでコロンビア・レコードと契約、シングル「Today I Sing The Blues」でデビューを飾りました。

しかし、レコード会社が、彼女をゴスペル歌手ではなく、普通のポップな歌手として売り出したこともあって、彼女の本来持つインパクトを表現することが出来ず、数年間で10枚程度のシングルをリリースするも、セールス的には失敗に終ってしまいました。



1967年、アトランティック・レコードに移籍、プロデューサーのジェリー・ウェクラスが、アレサの才能を見抜き、ゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針を採ったことで、彼女は一躍スターの座へと駆け上ることになります。

移籍第一弾シングル、「Never Loved A Man貴方だけ愛して)」が、いきなり全米チャートのトップ10に入る大ヒットとなりました。

同名のファーストアルバムも大ヒットして、米国南部のソウルシンガーとして、オーティス・レディングと人気を二分するほどの存在となりました。

 

代表曲である「Respect」は、元々オーティスが1965年にレコーディングした彼のオリジナル曲です。

この曲をどうしても唄いたいと、アレサがオーティスに申し出ました。

そして、彼女の唄う「Respect」を聴いて、オーティスは、そのあまりのソウルフルな歌声に脱帽したといいます。

 

Respect」は、、アレサにとって初の全米NO.1ヒット曲となりました。
R&Bの部門では、7週間連続で第1位に輝いています。

この曲の中で、アレサは自らピアノを弾き、バックコーラスには妹のキャロリンが参加していました。

アレサは、この全米NO.1ヒットによって、「クィーン・オブ・ソウル」、「レディ・ソウルソウルの貴婦人)」と呼ばれるようになりました。



ところで、この曲のタイトル「Respect」という単語は、どうも直訳の『尊敬』という意味ではないようです。

♪ ~あんたが外から戻ったら
   あたしにRespectしてちょうだい
   特に ベッドの中では ね!

と、唄っているところから、
女に生まれた喜びを与えて』とか、『あたしをうんと悦ばせて』というような、そんな意味が含まれているようですね。



さて、アレサは他にも、キャロル・キングの「Natural Woman」、バート・バカラックの「I Say A Little Prayer」、サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」などをカバーしていますが、アレサが唄うと、どんな曲もソウルの名曲になってしまうから不思議です。

1972年には、「Amazing Grace至上の愛)」というゴスペル中心のアルバムも発表しています。

 

グラミー賞は20回受賞しており、女性としてはアリソン・クラウスの21回に次ぐ受賞記録です。

また、1987年には、女性アーティスト初のロックの殿堂入りも果たしました。

ローリングストーン誌が選ぶ”歴史上最も偉大なシンガー”において、第1位にも選ばれました。

 

アレサ・フランクリン」は、2003年に発表したアルバム「So Damn Happy」を最後に、一応、引退宣言をしました。

が、いつの間にかそれを撤回、ライヴなど精力的な活動を続けました。

 

今年で御歳70歳を迎える「アレサ・フランクリン」、ちょっと太目になりましたが、まだまだ元気なソウルおばさんです。


つづく