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「シェリー・フェブレー」は、1944年カリフォルニア州サンタモニカに生まれました。
本名は、「ミッシェル・アン・マリー・フェブレー」、3才の頃から映画やTVドラマで子役として活躍していました。
現代版芦田愛菜ちゃんといったところでしょうか。
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人気に火が点いたのが、1958年から放映されたTVのホームコメディドラマ「うちのママは世界一」でした。
このドラマの挿入歌として唄われたのが、「ジョニー・エンジェル」です。
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彼女のアイドル的な人気に便乗する形で企画された番組の挿入歌でしたが、人前で唄うことが大の苦手だった彼女は、この歌を唄うことを一度は断りました。
しかし、プロデューサーの指示で渋々了承したのでした。
この時、レコーディングに集められたメンバーは、錚錚たるミュージシャンばかりで、ギターにグレン・キャンベル、ドラムスにハル・ブレイン、そして、コーラスには、あのダーレン・ラヴとブロッサムズのメンバーが参加していました。
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『あたしが何でこんな小娘のバックコーラスなの?』、ダーレン・ラヴは、きっとそう思ったに違いありません。
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そうしてレコーディングされた「シェリー・フェブレー」のデビューシングル、「ジョニー・エンジェル」でしたが、1962年に発売されるや、あれよあれよという間にヒットチャートを駆け上がり、見事全米第1位に輝く大ヒットとなったのでした。
同年、日本では、森山加代子さん、ザ・ピーナッツ、伊東ゆかりさんの3組がカバーして競作となりました。
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日本で発売された「シェリー・フェブレー」のシングルは、ジャケットの写真が彼女とは全く関係のない、ちょっと色っぽいお姉さんの写真が使用されていました。
当時の少年達は、彼女が18才だったとはとても思えなかったことでしょうね。
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ちなみに、1955年~1963年までのアメリカンポップス黄金時代の中で、本業女優が歌手として出したレコードが、全米NO.1に輝いた曲は、たった2曲しかないそうです。
ひとつは、1957年発売の、デビー・レイノルズの「Tammy(タミー)」、そしてもうひとつが、この「ジョニー・エンジェル」なんです。
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彼女が歌手(?)として活躍したのは、ほんの2年足らずです。
発表した楽曲も、そんなにたくさんはありません。
アルバムは、ファーストの「Shelley!」とセカンドの「The Things We Did Last Summer」の2枚だけ。
数曲のオリジナル曲の他は、古いヒット曲を60年代風にアレンジしたカバー曲がほとんどです。
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アルバムの中には、「ジョニー・ラヴズ・ミー」という「ジョニー・エンジェル」の続編と思われる曲も収められています。
面白いところでは、「ジョニー・ゲット・アングリー」という曲、
これはジョニー・サマーズが1962年に唄って全米第7位になったヒット曲ですが、何故か日本でだけシングル盤が発売されています。
森山加代子さんや伊東ゆかりさんのカバー曲も、同時にリリースされていました。
日本人受けするメロディーなのかも知れませんね。
私も好きな1曲ですね。(私も日本人でした)
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元々人前で唄うことが好きではなかった「シェリー・フェブレー」は、たった2年の歌手業に終止符を打って、1964年、本業の女優に戻ってしまいました。
映画では、エルヴィス・プレスリー、ハーマンズ・ハーミッツなどと共演もしています。
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「シェリー・フェブレー」のソフトで甘い、囁くように唄う歌声は、私の心をいつも和ませてくれます。
つづく