ジェームス・バートン | ウルトラマン・Hの ひとりごと

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。



ジェームス・バートン」は、1939年ルイジアナ州ダバリーで生まれた、偉大なギタリストです。
といっても、ピンとこない方がいるかもしれません。

1969年から1977年まで、「エルヴィス・プレスリー」のステージで、リードギターを弾いていたのが、「ジェームス・バートン」なのです。

 

ジェームス・バートン」は、12才で初めてギターを手にして、14才の時には既にプロのギタリストとして活動を始めていました。

15才の時、デイル・ホーキンスのバックバンドを務め、ホーキンスと共作した楽曲「スージーQ」の大ヒットで、彼の印象的なギター・ワークは、一躍注目を浴びることになりました。

 

カントリーのテイストと、ロックのフィーリングを併せ持った「ジェームス・バートン」の演奏スタイルは、カントリーバック・オーエンスマール・ハガードロックバッファロー・スプリングフィールドモンキーズポップスではコニー・フランシスナンシー・シナトラなど、多様なジャンルの数多くのアーティストのレコーディングに引っ張りだこになりました。

1961年リリースの、リッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」のギターを弾いているのも、「ジェームス・バートン」なのです。

 

1969年、エルヴィス・プレスリーの厚い信頼を得て、彼のバックバンドのバンドリーダーに任命されました。

ロックンロール、R&B、カントリー、ゴスペル、ブルースと、オールマイティーな彼のギター・スタイルは、エルヴィスの右腕になるにふさわしい大役だったといえます。



エルヴィス
のステージで、エルヴィスの間合いを見ながら、エルヴィスとアイ・コンタクトを交わす彼のステージングは、「エルヴィス・オン・ステージ」の映画の中で観られます。

ジェームス・バートン」は、「ミスター・テレキャスター」と呼ばれていました。



ステージでは、ペイズリー柄の69年製テレキャスターを、主に使用していました。
彼は、この同じモデルのテレキャスを数十本所有していて、ステージ映えするこのギターを、エルヴィスも大変お気に入りだったそうです。

 

また、スタジオでは、53年製テレキャスターを常に使用していました。

 

彼は、バンジョー用の金属フィンガーピックを用いるチキン・ピッキング奏法を得意としており、彼のトレードマークになっていました。

 

また、ドブロ・ギターも名人級の凄腕で、「ミスター・ドブロ」とも呼ばれていました。

ジェームス・バートン」は、今でいう「ライトゲージ弦」の発明者といえます。

彼は、チョーキングを多用することから、元々太い巻き弦であったエレキギターの第3弦を、巻き弦ではないプレーン弦に張り替えて、容易にチョーキングができるようにしていました。

これが元になって、今では一般的になった「ライトゲージ弦」が生まれたのでした。

2001年、彼の音楽界への多大な功績が認められて、ロックンロールの殿堂入りを果たしています。



つづく