ヴィッキー 「恋はみずいろ」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。


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ヴィッキー」は、1949年、ギリシャのコルフ島出身のシンガーです。


本名は、「ヴィッキー・ヴァシリキ・レアンドロス・パパサナシュー」といいます。


幼い頃から、音楽家の父に唄と踊りのレッスンを受けました。


9才の時、西独に移住、その後、1964年、「ナイフとフォークとハサミと光」という曲でレコード・デビューを果たしました。 この曲は、独国でスマッシュ・ヒットとなりました。


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1967年、17才の時、ユーロビジョン・ソング・コンテストに、ルクセンブルグ代表として出場、「恋はみずいろ」を唄って第4位入賞を果たしました。


この時、(ユーロビジョンが発見した超新星)といわれて高い評価を受け、世界的に名前が知られることとなりました。


日本でのデビュー・シングルがこの「恋はみずいろ」で、日本でもヒットしたことから、同年初来日を果たしました。


ちなみに、「恋はみずいろ」は、ポール・モーリア楽団のものが、日本では最もヒットしたようです。


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その滞在中に、「待ちくたびれた日曜日」をセカンド・シングルとしてリリース、日本語で歌われたこの曲も、大ヒットしました。


B面には「星空のマサチューセッツ」という、ビージーズの大ヒット曲のカバーが収められています。


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1968年、英国のシンガー、メリー・ホプキンが、ポール・マッカートニーのプロデュースで唄って大ヒットした曲、「悲しき天使」を仏語でカバーしてリリースしました。


この曲は、発売と同時にヒットチャート上位に駆け上がり、ビートルズの「ヘイ・ジュード」を押さえて、10週間連続で第1位を独占しました。


この「悲しき天使」という曲、原曲はロシア民謡なのだそうです。


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この年に「カーザビヤンカ白い家)」をリリース、「ヴィッキー」最大の大ヒットとなりました。


この曲は、オルネラ・バニーロマリザ・サンニアのコンビが、サンレモ音楽祭で唄って第2位に入賞したものです。


同年、2度目の来日をした際、日本語でカバー・リリースしています。


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1970年、3度目の来日で、山上路夫作詞・川口真作曲の「時の流れのように」を来日記念盤としてリリースしました。


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1972年、再びユーロビジョン・コンテストに出場し、「想い出に生きる」を唄って見事優勝を果たしました。


このヒットで「ヴィッキー」は、ヨーロッパを代表するシンガーとして世界中から認められました。


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同年、4度目の来日も果たしていて、イバ・ザニッキ作曲の「恋の川」を、片桐和子さんの訳詩で、記念盤としてカバー・リリースしています。


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この後、「ヴィッキー」は、名前を「ヴィッキー・レアンドロス」と変えて、アイドル路線からの脱皮を図っています。


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ところで、「ヴィッキー」の曲に、「白い十字架」というのがあります。


これは、ヘンリー・アーランドが作った曲に、万里村ゆき子さんが歌詞をつけたもので、日本語バージョンのレコードしかリリースされていません。


日本でしか発売されていない特殊なレコードなのです。



ヴィッキー」は、2006年、ギリシャの港町ピレウスの副市長に就任、政治家としても活躍しました。


60才を超える今も、ヨーロッパを中心に、音楽活動を精力的に続けています。







つづく