「クリスタルズ」は、1961年、フィル・スペクターのプロデュースにより、ニューヨークで結成された、女性ボーカルグループです。
メンバーは、
リードボーカルの バーバラ・アルストン を中心に
メアリー・トーマス
ドロレス・ケニーブリュー
マーチ・ジラード
パトリシア・ライト の5人です。
1961年、シングル「ゼアズ・ノー・アザー」でデビューを飾りました。
デビュー曲は、全米チャート第20位にランクインするヒットとなりました。
続けてリリースした「ツイスト・アップタウン」も、全米チャート第13位のヒットとなりました。
1962年、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィンのコンビによる、「ヒー・ヒット・ミー」をリリースしました。
しかし、恋人同士のDVを歌詞の内容とすることから、クレームがついたため、ラジオで曲が流れることがほとんどなく、全くヒットしませんでした。
この大失敗を受けて、フィル・スペクターは、ジーン・ピットニー(ルイジアナ・ママの作者)が作った曲、「ヒーズ・ア・レベル」を、「クリスタルズ」のためにレコーディングを計画します。
ところが、レコーディングの場所がロサンゼルスであったため、ニューヨークで活動する「クリスタルズ」は、ロスに移動することが出来ません。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120328/01/weapon6013/1e/6f/j/t02200215_0227022211878999215.jpg?caw=800)
そこで、「ヒーズ・ア・レベル」が他のグループに取られないうちにと、フィル・スペクターは、当時ロスにいた、「ダーレン・ラヴ&ブロッサムズ」にその曲をレコーディングさせ、1963年、「クリスタルズ」の曲としてリリースしました。
「ヒーズ・ア・レベル」は、元々、シレルズにオファーがあった曲だったのですが、反体制的な歌詞の内容に、シレルズがオファーをキャンセルしたものでした。
しかし、皮肉なことに、この曲は、「クリスタルズ」本人達のレコーディングではないにもかかわらず、全米チャート第1位の大ヒット曲となってしまいました。
続いてリリースした「愛しているんだもの」も、「ダーレン・ラヴ&ブロッサムズ」の歌とコーラスが使われていたのですが、全米チャート第11位の大ヒットとなりました。
どこまでが「ブロッサムズ」で、どこからが「クリスタルズ」なのか、よく分からないほど、フィル・スペクターが、したい放題やっちゃったというところでしょうか。
その後、マーチとメアリーが脱退、新しいリードボーカルに ラ・ラ・ブルックスを迎えて、1963年、「ハイ・ロン・ロン」をリリース、全米、全英の両チャートでベスト10に入る大ヒットとなりました。
この曲のレコーディングも、「ダーレン・ラヴ&ブロッサムズ」によってなされたのですが、リリース直前になって、フィル・スペクターが、リードボーカルだけを「ダーレン・ラヴ」から「ラ・ラ・ブルックス」に差し替えたものでした。
(フィル・スペクターが、ダーレン・ラヴの歌を気に入らなかったのだとか、まさにやりたい放題・・・)
この曲、「ダドゥ・ロン・ロン」というタイトルの方が有名かも知れません。
後に、ジョーン・キャシディがカバーしていました。
そうそう、シルヴィー・ヴァルタンもカバーしていますね。
続いてリリースした「キッスでダウン」は、問題作「ヒー・ヒート・ミー」以来の、純粋「クリスタルズ」によるレコーディングでした。
1964年以降は、フィル・スペクターが、「ロネッツ」に力を入れ始めたことから、「クリスタルズ」は、フィル・スペクターと訣別、インペリアル・レーベルに移籍します。
移籍後、シングルを数枚リリースしましたが、セールス的に惨敗、1966年には、事実上解散してしまいました。
その後は、バックアップ・コーラス・グループとして活動を続け、ボビー・ダーリンやポール・アンカなどをサポートしました。
つづく