「サンドパイパーズ」は、1960年代後半、ロサンゼルスを拠点に活躍した3人組の男性ボーカルグループです。
メンバーは、 「ジム・ブラディ」、 「マイケル・ピアノ」、 「リチャード・ショフ」 の3人です。
彼らは、同じ少年聖歌隊に入っていた仲間で、彼らのハーモニーがムード・コーラスっぽいのは、そのせいではないかと思われます。
実は、もう一人、 「パメラ・ラムシャー」 という女性ボーカルも、グループに参加していたのです。
しかし、彼女の名前は、アルバム・クレジットには記載が全く無いのです。
パメラの歌声は、楽曲の中でも、かなり目立った存在として聞こえてきます。
また、彼女のソロ・ボーカルの曲もありますし、ライヴ・ツアーにも加わっていたのにです。
「サンドパイパーズ」の正式メンバーは、男性3人という、ちょっと変わったグループでもあるのです。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120317/14/weapon6013/65/dd/j/t02200220_0225022511856686665.jpg?caw=800)
グループ結成当時は、「フォーシーズンズ」と名乗っていましたが、ニューヨークに同名のグループがあることを知って、「グラッズ」と改名しました。
バリアント・レコード時代は、数枚レコードをリリースしましたが、泣かず飛ばずでした。
1966年、A&Mに移籍を機に、グループ名を「サンドパイパーズ」と改名します。
その頃のA&Mは、アメリカン、スパニッシュ、メキシカン、ブラジルなどの音楽が融合した、いわゆる南米音楽を得意分野としていました。
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そのこともあって、プロデューサーの「トミー・リプーマ」が、キューバ民謡の「グァンタナメラ」をカバーして、デビューさせました。
この曲は、全米ヒットチャート第9位までランクアップして、「サンドパイパーズ」最大のヒット曲となりました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120317/14/weapon6013/15/21/j/t02200217_0220021711856686962.jpg?caw=800)
続けて出された同名のアルバムは、収録された全12曲のうち半分の6曲が、スペイン語で唄われています。
リッチー・バレンスやロス・ロボスで有名なカバー曲「ラ・バンバ」(元々はメキシコ民謡)も、収録されています。
また、アメリカン・ポップスをわざわざスペイン語に訳した「Louie, Louie」(1956年、リチャード・ベリーのヒット曲)という曲も入っています。
「グァンタナメラ」は、キューバの革命家「ホセ・マルティ」が書いた詩を元に、メロディーが付けられたもので、「サンドパイパーズ」より以前に、「ウィーバーズ」というグループがカバーしていました。
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そう、この「グァンタナメラ」、あのフォーク・クルセダーズが、1967年に出した、「帰ってきたヨッパライ」が収められた自主制作アルバム「ハレンチ」の中に収録していました。
「ラ・バンバ」も同じく入っていましたね。
1968、69年頃の「サンドパイパーズ」は、さっぱりヒット曲に恵まれず、当時ヒットしていた他のミュージシャンの曲を、節操無くカバーしてはアルバム作りをしていたようです。
1970年「カム・サタデイ・モーニング」、翌年に「ザ・ギフト・オブ・ソング」をリリース、小ヒットとなりましたが、その後はヒット曲に巡り会えず、1975年頃に自然消滅してしまいました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120317/14/weapon6013/89/d2/j/t02200223_0223022611856686666.jpg?caw=800)
「サンドパイパーズ」は、チャート的には、大ヒットが1曲、他に小ヒットが3曲といった程度の成績しか残してはいません。
しかし、アコースティックで透明感いっぱいの彼らの甘いサウンドで、いわゆる「ソフト・ロック」というジャンルを確立させた功績は大きいと思います。
つづく