「砂に消えた涙」は、1965年、イタリアの「ミーナ」が唄った曲です。
「ミーナ」といえば、1958年に放った「月影のナポリ」が大ヒットして、あっという間にイタリアを代表するシンガーになりました。
実は、シングル「砂に消えた涙」は、本国イタリアではさほどヒットはしなかった曲なのです.。
当時、「ミーナ」の人気はといえば物凄く、1965年のLPレコード売上げランキングで、第1位は、「砂に消えた涙」が収録されている「ミーナ」の「スタジオ・ウノ」でした。
ちなみに、2、3位は、「ビートルズ・フォー・セール」と「ビートルズ・イン・イタリア」、4位がローリング・ストーンズで、つまり、「ミーナ」は、ビートルズやストーンズよりも、はるかに人気があったシンガーだったということです。
日本では、「ミーナ」の「砂に消えた涙」を発売するや、日本人の心をがっちりと捉えて、このシングルはベストセラーになりました。
それで、「ミーナ」の日本語バージョンも、後日、再発売されています。
「砂に消えた涙」という曲は、失恋を唄った歌なのですが、暗くジメジメした印象はほとんどなく、とてもハイカラな失恋ソングになっていると思います。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120307/15/weapon6013/1d/da/j/t02000199_0200019911837368866.jpg?caw=800)
日本の1960年代というと、カバー・ポップスがブームになっていました。
要は、当時の洋楽は、日本のいわゆる歌謡曲とは、比べものにならないくらいハイカラで、カッコ良かったのです。
演歌っぽくってダサイ(例えが悪くてスミマセン)日本の歌と違って、凄くハイテンションで、ポップで、イカしていたわけです。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120307/15/weapon6013/b9/c2/j/t02200221_0224022511837369318.jpg?caw=800)
この曲、弘田三枝子さんや、伊東ゆかりさん、ザ・ピーナッツなど、数え切れないほどのミュージシャンがカバーしました。
好みとしては、やっぱり弘田三枝子さんのカバーが好きですね。
そうそう、思い出しました。
この曲をリリースした頃、弘田三枝子さんのことを、「日本の女性歌手史上最高の歌唱力を持つシンガー」と評されていました。
つまり、あの美空ひばりさんを、超えていたということです。(今も歌の上手さは変わらないですね)
安西マリアさんの「涙の太陽」のB面も、「砂に消えた涙」だったのですね。
当時、カバーされる洋楽は、アメリカン・ポップスだけに限られていたわけではなく、イタリアやフランスの曲なども多かったのです。
特にイタリアでは、サンレモ音楽祭(日本でいうレコード大賞みたいなもの)があって、当時のミュージシャンは、それに出場するのが夢だったといいます。
ちなみに、弘田三枝子さんは、サンレモには出場していませんけどね。
そうですねえ、レナウンのCMソング、”イエー イエー レナウン娘が・・・”っていうやつ、記憶にある方も多いと思います。
当時、「ミーナ」や「シルヴィー・ヴァルタン」、「フランス・ギャル」といった、シャンソン、カンツォーネ系の女性シンガーのことを、「イエイエ娘」と呼んでいましたね。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120307/15/weapon6013/1b/cc/j/t01900192_0190019211837369316.jpg?caw=800)
「ミーナ」は、1963年、不倫の恋の末、未婚の母になったことで、1年間芸能界から干されてしまったことがあります。(イタリアは、カトリックの戒律がとても厳しいのです)
しかし、ファンからの熱い要望で、再び活動出来るようになりました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120307/15/weapon6013/66/a7/j/t02200161_0263019211837368185.jpg?caw=800)
「ミーナ」は、今年で70歳をはるかに超えていると思いますが、レコーディングは継続しているようです。
つづく