1910 フルーツ・ガム・カンパニー | ウルトラマン・Hの ひとりごと

ウルトラマン・Hの ひとりごと

音楽について語りたくてたまらないんです。

ウルトラマン・Hの ひとりごと


ナインティーン・テン・フルーツ・ガム・カンパニー」と読みます。


1910フルーツ・ガム・カンパニー」は、1910年に活躍したわけではなくて、1968年にブッダ・レコードからデビューした、米国の5人組のバンドです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


彼らの音楽は、「バブルガム・ミュージック」と呼ばれるジャンルに分類されています。


この「バブルガム(風船ガム)・ミュージック」とは、何かというと、

ティーンエイジャー向けの、ひたすらポップで耳ざわりのいい音楽』と、定義されていました。


要するに、分かりやすく、単純明快で、親しみ易く、覚えやすいメロディーである、

つまり、ガムでも噛みながら、気楽に聞き流す音楽とでもいいましょうか。


風船ガムが大きく膨らんで、そして、パチンと割れて無くなる、

そんなふうに、音楽史上に残らなくてもいいから、曲が1発だけでも当たればいいや、ってなもんですかね。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


彼らが活躍した1960年代というと、フォークロックやブルースロックといったいわゆるロックが、全盛の時代で、ノーテンキなポップスは、どちらかといえば敬遠されていました。

いかにも解かったような顔をして、真剣に音楽を聴くのが、当時のスタイルだったのです。

作品作りも、シングルよりもアルバムを重視する傾向にあって、だんだん固く難解になっていくロックに、嫌気が差していた奴らがいたのです。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


それがブッダ・レコードのプロデューサー達でした。

彼らは、そんなロックに対抗するべく、そこいらのミュージシャンを掻き集めて、でっち上げたのが「バブルガム・ミュージック」でした。

ですから、この「1910フルーツ・ガム・カンパニー」も、実は、スタジオ・ミュージシャンの(言葉が悪いですが)寄せ集めバンドなのです。(モンキーズの生い立ちに何か似てますね)

ということで、この「バブルガム・ミュージック」という言葉も、「1910フルーツ・ガム・カンパニー」のグループ名に由来するのです。


しかし、このブームも、2~3年で跡形も無く消えてしまいましたから、「バブル(風船)」という言葉が、実にマッチしていた、ということなのでしょうか。


前置きがえらく長くなってしまいました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと

こういう背景のもとに生まれたのが、1968年リリースの「サイモン・セッズ」です。


この曲は、”サイモンのいうとおりにするゲーム”のことを唄ったもので、何といいますか、

”赤上げて、赤下げて、白上げて、白下げない”みたいな、そんなゲームのこと・・・らしいです。


この曲、全米チャートで第4位、全英チャートでは第2位になる大ヒットでした。

日本でもオリコンで第7位になるなど、30万枚以上をセールスしています。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


1969年「インディアン・ギヴァー」をリリース、全米チャート第5位になりました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


トレイン」という曲もリリースされていますが、この曲、米国では全くヒットしなかったのですが、日本で何故か大ヒットしました。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


「サイモン・セッズ」と「トレイン」が日本でヒットしたことで、この2曲をカップリングしたEP盤も発売されました。


1910フルーツ・ガム・カンパニー」には、ちょっと面白い曲があって、「バブルガム・ワールド」というタイトルの曲です。

youtube等で聴いてもらうと分かると思うのですが、TVアニメ「サザエさん」のエンディングテーマの元ネタになった曲なんです。

この曲は、調べてみると、「サザエさん」のアニメが始まる1年くらい前に発表されていますので、イントロ部分は100%パクリに違いありません。

でも、流石は筒美京平大先生、原曲とは全く違う曲に「サザエさん」を仕上げてくれています。


ウルトラマン・Hの ひとりごと


1968年にデビューして、1972年頃には消息不明になってしまった「1910フルーツ・ガム・カンパニー」、疾風のように現れて、米国音楽界を席巻し、疾風のように去っていきました。

まるで、「月光仮面」のようですね。


調べてみると、彼らは今でもオールディーズ・バンドとして、あちこちで活躍しているようです。




つづく