シレルズ Shirelles | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。

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シレルズ」は、米国ニュージャーシ州のハイスクールに通う、16~17才の女の子達が集まってできた、黒人のガールズグループです。

メンバーは、  シャーリー・オーエンス

          (私と同じふたご座です:関係ないか)

          アディ・ハリス

          ドリス・コリー

          (1968年にグループを脱退しています)

          ベヴァリー・リー        の4人です。


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結成当時は、グループ名を「ポケロス(スペイン語で小鳥の意味)」と名乗っていて、驚くのは、彼女達の唄っていた曲が、全て彼女達のオリジナルだったということです。

ところでこの写真、髪型からいかにも高校生っていう感じで、初々しいですなぁ。


最初に作ったのが、「アイ・メット・ヒム・オン・ア・サンデイ」という曲で、これを学校の文化祭でアカペラで唄って、大喝采を浴びました。

そのステージを観ていたのが、クラスメイトのメアリー・ジェーン・グリーンバーグで、メアリーの母フローレンス・グリーンバーグは、実は、セプター・レコードの女社長だったのです。

(セプター・レコードは、当時は、マイナーなレーベルでした)


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早速、彼女達と契約を交わして、「アイ・メット・ヒム・オン・ア・サンデイ」をレコーディング、

グループ名を、シャーリー(Shirley)の名前をもじって、

シレルズ(Shirelles)」として、1958年デビューを飾りました。

この曲は、スマッシュ・ヒットとなり、「シレルズ」は、ビルボードのベスト100にチャートインした、初の黒人女性ボーカルグループとなりました。


その後、レーベルをデッカ・レコードに移して、1960年「トゥナイツ・ザ・ナイト」を発表、初のミリオンセラーを記録しました。


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また、同年、キャロル・キングジェリー・ゴフィン夫婦の作となる「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」をリリースして、全米チャート第1位の大ヒットになりました。

ガールズグループとしては、米国初のチャート1位で、キング・ゴフィン夫婦の初の大ヒット曲でもありました。


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この曲は、キャロル・キングのミリオン・アルバム「つづれおり」に収録されているので、「シレルズ」よりもキャロル・キングの曲を知っている人の方が多いかも知れませんね。


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ちなみに、この曲のB面に収められていた「ボーイズ」を、後に、ビートルズがカバーしています。


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1961年、バート・バカラックバーニー・ウィリアムスの共作となる「ベイビー・イッツ・ユー」をリリース、全米チャート第8位の大ヒットになりました。

この曲も、ビートルズがカバーして、彼らのデビュー・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」に収録されています。


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ジョン・レノンが「シレルズ」をとてもお気に入りだったようで、「ベイビー・イッツ・ユー」の、ビートルズのライヴ・バージョンが、1995年にシングルカットされてリリースされています。

何を隠そう、ジョン・レノンは、「シレルズ」のファンクラブの会員のひとりだったそうです。


他に有名なところでは、1962年、ルーサー・ディクソンの曲「ソルジャー・ボーイ」を発表、ゴールドディスクに輝いています。


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シレルズ」は、ルーサー・ディクソンや、キング・ゴフィンのコンビ、バカラック・ウィリアムスのコンビなど、有能なソングライターから曲の提供を受けながら、1963年頃までに、20曲ほどのヒット曲をチャートインさせました。


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シレルズ」は、とにかく歌が上手い、それに、コーラスも抜群です。(我がバンドの手本にしたいですなあ)

シャーリー・オーエンスの、少し鼻にかかった声が、たまりましぇ~ん。

(ちょっと、ジョージー・ガールを唄ったジュディスを思い出しちゃいましたねぇ)


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当時、同じようなガールズグループには、「シフォンズ」、「シャンテルズ」、「シャングリラス」などがいましたが、歌の上手さでは、「シレルズ」がとび抜けていたと思います。


1982年、アディ・ハリスが、心臓発作で他界していました。




つづく