「トレメローズ」は、ブライアン・プールをリーダーとする、英国のポップ・グループです。
1959年、グループ名を「ブライアン・プール&トレミロズ」として、結成されました。
当初は、バディ・ホリー&クリケッツのコピーバンドでした。
1962年、ロンドンのデッカ・レコード社において、オーディションを受けることになります。
その同じ日にオーディションを受けたのが、あの「ビートルズ」でした。
リバプール出身の「ビートルズ」か・・・、ロンドン出身の「トレミロズ」か・・・。
交通費もホテル代もかからないから・・・、そんな理由で、
デッカ・レコード社は、「ビートルズ」ではなくて、「トレミロズ」を合格させてしまいました。
同年「ツイスト・リトル・シスター」で華々しくデビューを飾りました。
この時、デッカ・レコードが、グループ名を「ブライアン・プール&トレメローズ」と間違えてしまったため、これが正式なグループ名になりました。
ちなみに、デビュー・シングルは、大したヒットにはなりませんでした。
1963年、その当時話題になっていた曲、「トップ・ノーツ」の「ツイスト&シャウト」を、卑怯にも真っ先にカバーしてリリース、これが、全英チャート第4位の大ヒットとなりました。
この卑劣な手段が、後々「トレメローズ」をダーティなイメージへと塗り替えていきます。
ちなみに、「ビートルズ」がカバーしたのは、「アイズ・ブラザーズ」のバージョンでした。
続けて、「コントアーズ」の「ドゥ・ユーラヴ・ミー」を、「ディブ・クラーク・ファイヴ」との競作でカバーしました。
この曲は、バンド初の全英チャート第1位を、3週間連続で獲得しています。
1964年、「ロイ・オービソン」の「キャンディ・マン」をカバーして、全英チャート第6位に、
続いて、「クリケッツ」の「サムワン・サムワン」をカバーして、全英チャート第2位になりました。
1965年、リーダーのブライアンが、ソロになるためグループを脱退します。
しかし、ヒット曲に恵まれず、彼は歌手を廃業、実家の肉屋を継ぐことになりました。
翌1966年、CBSレコードに移籍、グループ名を「ザ・トレメローズ」と改称。
「ビートルズ」の曲、「グッド・デイ・サンシャイン」をカバー、リリースして再デビューを果たしました。
この曲、ヒットはしませんでしたが、「ビートルズ」の曲をカバーしたことで、「ツイスト&シャウト」事件から続いていたダーティなイメージはすっかり払拭され、明るいポップなグループへと変身を遂げるのです。
1967年から、英国の有名ライターの、「ミッチ・マレー」、「トニー・ハザード」、「キャット・スティーブンス」等が、「トレメローズ」に曲を提供することになって、1971年までに、
「君と踊ろう」(全英チャート第4位)、
「ナンバー・ワン」(同第2位)、
「ミー・アンド・マイ・ライフ」(同第4位)と、多数のヒット曲を発表しました。
中でもいちおしなのがこれ、「サイレンス・イズ・ゴールデン(沈黙は金)」です。
「フォー・シーズンズ」の曲をカバーしたものですが、全英チャート第1位の大ヒットとなりました。
この曲、全米チャートでも第11位、日本でも、その透き通るような裏声と、美しいハーモニーで、大ヒットしました。
「トレメローズ」は、この曲だけの一発屋と思われているほど、日本にはおなじみの曲ですね。
そうそう、1970年のことなんですが、「トレメローズ」に、こんなエピソードがありました。
「ジェフ・クリスティ」が作った「No Comprendes」という曲を、レコーディングしました。
しかし、何故か気に入らず、「トレメローズ」は、この曲のリリースを渋ってしまいます。
そこで、「ジェフ・クリスティ」は、自身のバンド「クリスティ」で、タイトルを「イエロー・リヴァー」に変えてリリース、世界的な大ヒット曲となりました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120225/13/weapon6013/08/24/j/t02000200_0200020011815206308.jpg?caw=800)
この曲のバック演奏は、「トレメローズ」がレコーディングしていたものを、そのまま使用したそうですから、改めて「イエロー・リヴァー」を聴いてみるのも面白いかもです。
この「イエロー・リヴァー」の「トレメローズ」バージョンは、彼らのベスト盤で聴くことができますよ。
つづく