先日、田舎(大分県竹田市)に帰って、
レコード盤(LPだけで600枚くらいあるかなあ)を整理していたら、
プレスリーのEP盤と一緒に、これが出てきました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120222/01/weapon6013/12/6b/j/t02200165_0259019411809067963.jpg?caw=800)
第16回サンレモ音楽祭入賞曲、「ウイルマ・ゴイク」のEP盤「花のささやき」です。
B面は、オルネラ・ヴァノーニの「生命をかけて」で、1966年発売されていました。
当時、福岡の都会に住んでいた同い年の従妹の家に遊びに行った時、内緒で彼女の部屋に入って、見つけたのがこのEP盤でした。
プレイヤーでかけてもらって、たった一度だけ聴いた曲でしたが、妙に耳に残っていて、
帰省してからも、何故か気になって、気になって・・・。
それで、従妹に手紙を書いて、レコードのタイトルと歌手名を教えてもらって、(当時、市外電話は料金が高価で、かけさせてもらえなかったのです。)
それで、町で一軒しかないレコード店に行ってみたけれど、当然のようにありません。
かなりの日数をかけてお取り寄せして、やっと手に入れたのが、これ、
「ウイルマ・ゴイク」の「花のささやき」でした。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120222/01/weapon6013/58/5e/j/t02200164_0260019411809066988.jpg?caw=800)
「ウイルマ・ゴイク」は、1945年伊国に生まれました。
1963年新人コンテストに入賞。
翌1964年、「Dopo il sole piovera」で歌手デビューを果たします。
同年、バルセロナで開催された「地中海フェシティバル」に、「愛のめざめ」を唄って優勝しました。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120222/01/weapon6013/51/7b/j/t02200217_0226022311809066987.jpg?caw=800)
1965年「サンレモ音楽祭」に出場して、「花咲く丘に涙して」で入賞しました。
この曲は、日本でも結構売れたんじゃなかったかな?
その後、サンレモには、1966年「花のささやき」、1967年「夢の誓い」、1968年「ささやく瞳」、1969年「バーチ・バーチ・バーチ」と、連続で出場し、全て入賞しています。
1967年には、「夜の想い」(作曲家ルイジ・テンコの遺作)を、大ヒットさせています。
「ウイルマ・ゴイク」の「花のささやき」、
レコード盤が擦り切れるほど何度も聴いたので、伊語の歌詞を、何となく覚えてしまいました。(今も忘れずにいます)
セ ノン コーリー トゥポトライ ベ デーレ
レ コーゼ ベーレ
クェスタンノ イン トルノン テ・・・
この後リフレインするサビが、またいいのですけどね。
ところで「ウイルマ・ゴイク」、伊国では「Wilma Goich」と書くのですけど、伊国での正しい発音は「ゴイッチ」というそうですが、「ゴイク」の方がいいですね。
1970年に、「花のささやき」と「花咲く丘に涙して」のカップリングで、EP盤が再発売されています。
懐かしのEP盤に針を落すと、
シャリ・・・ショリ・・・シャリ・・・ショリ・・・、
時々、プチ・・・プチ・・・と音がします。
「花のささやき」のCDを、最近手に入れたのですが、
アナログの音の方が、何とも趣きがあっていいですねぇ。
![ウルトラマン・Hの ひとりごと](https://stat.ameba.jp/user_images/20120222/01/weapon6013/a9/ca/j/t02200221_0224022511809067254.jpg?caw=800)
「ウイルマ・ゴイク」の素敵な声を聴いて、「三丁目の夕日」のあの頃に、タイム・スリップです。
つづく