貴公子 ピーター・フランプトン | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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音楽について語りたくてたまらないんです。

ピーター・フランプトン」は、1950年生まれの英国のシンガー&ギタリストです。


ロンドンのハイスクール時代、先輩に「デビッド・ボーイ」が居て、休み時間等に二人でギターを弾いていたそうです。


1966年、「ザ・ハード」にギターとボーカルで参加、美少年であるが故に人気者になりました。


ウォーカー・ブラザーズの「スコット・ウォーカー」に顔が似ていたこともあって、「ヤング・スコット」などと呼ばれた事もあったようですね。


しかし、フランプトンは、アイドル扱いに嫌気がさして、「スモール・フェイセス」の「スティーブ・マリオット」と「ハンブル・パイ」を結成したのは、先のブログで書きました。


1972年、「ハンブル・パイ」を脱退した彼は、「フランプトンズ・キャメル」を結成、「ジョージ・ハリスン」や「ニルソン」のアルバムにギタリストとして参加しています。


1974年から2年間、全米ツアーを慣行し、それを収録したアルバム、「フランプトン・カムズ・アライヴ」を発表、たちまち全米第1位の大ヒットとなりました。


このアルバムは、全世界で1,000万枚以上を売り上げる驚異的なセールスを記録しました。(私も持っています。)  叫び


このアルバムの中で特にヒットしたのが、「ショー・ミー・ザ・ウェイ」、「アイ・ラヴ・ユア・ウェイ」、「ドゥー・ユー・フィール・ライク・ウィー・ドゥー」の3曲で、シングル発売されました。 目


1977年には、「アイム・イン・ユー」をヒットさせました。


そんな順風満帆なフランプトンでしたが、「フランプトン・カムズ・アライヴ」のアルバムの大ヒットで運を使い果たしたのか、その後は不幸の連続となるのです。


1978年、自動車事故で大怪我を負いました。 ドクロ

1980年には、ツアーの途中、愛用の機材を乗せた飛行機が墜落、ツアー・キャンセルの訴訟を起こされ、無一文になってしまいます。 ドクロ


その後、栄光をもう一度と作品を発表しますが、全く評価されず、結局、いわゆるところの「一発屋」になってしまったというわけです。 爆弾


彼は、ピックアップが3つ付いたブラックのレスポールをいつも愛用していました。


それから、1989年に日本だけで発売された「スーパー・セッション」という、ベンチャーズ結成30周年記念ビデオに出演していて、「アパッチ」と「パイプライン」を演奏しています。


「ショー・ミー・ザ・ウェイ」のアドリブで使っているのが「トーキング・モジュレーター」というエフェクターですが、彼が世界で始めて使ってポピュラーになったのです。


1995年になって、20年前の栄光をもう一度と、「フランプトン・カムズ・アライヴⅡ」を発表、そこそこの評価を得て、波乱に満ちた不幸な時代からの復活を果たしました。


円熟味を増したフランプトンのギターは、過去の不幸を全て洗い流すように囀っています。


つづく