豪雨の被害を受けた方に対し謹んでお見舞い申し上げます。人吉までの肥薩線、湯前までのくまがわ鉄道、そして久大本線天ヶ瀬駅。私が若いころに日本の鉄道全線完乗を目指して乗り歩いた土地です。懐かし場所の変わり果てた姿をテレビで見ると胸が痛みました。天ヶ瀬温泉では20年以上前に泊まった温泉旅館の「若女将」が「女将」として関西テレビの放送局のインタビューに電話で答えておられたのです。目の前でとれた鮎の瀬越しが美味しかった、想いでの旅館。
今朝4時頃雨の音で目が覚めました。それほど酷かったのでしょう。思わず非難指示が出ているのではないか、と感じました。私の家から東に徒歩30分のところには鴨川があります。ここ数年の梅雨末期での雨の降り方が異常だと思います。毎年どこかで亡くなるヒトもでるような被害が報道されています。線上降水帯という言葉、5年前には知りませんでした。今では大雨特別警報がでる時の天気図解説に必ず登場しています。
放射能汚染に対しては関わらない(危険なモノを食べない、危険な地域には行かない)という手段で対策できます。新型コロナウイルスにあっては報道に流されず冷静に考えると恐れる事などない、と気づければ漠然として不安が吹っ切れて万一発症しても重症化を避けられます。(恐れ、不安は如何なる場合にも免疫力を低下さす)しかし豪雨災害にあってはヒトになすすべがありません。津波や震災も同じでしょう。
豪雨災害の時、ヒトは無力です。科学が介入する事もできないのです。知識だけでなく知恵すら役に立たない(命を守れない)ような事も多いように感じます。避難したから助かるのか、避難する時に流されて亡くなるのか。正しい選択が出来るか否かは持って生まれた運命が強いか弱いか・・・という事だけなのかもしれません。「この世は無情」とどこかの宗教家がラジオで言っていました。今、少しだけ意味がわかるような気がするのです。