何故新型コロナウイルスに感染すると怖いのか、答えは最悪死ぬから。何故三密を恐れるのか、答えは感染し発症すると死ぬ恐れがあるから。何故マスクや手指の消毒を強要する施設(ヒト)があるのか、答えはヒトに感染させ発症させ死亡さす恐れがあるから。
ヒトは死を恐れて新型コロナウイルスに振り回されています。毎日毎日ヒトを不安にさすような報道ばかりですから、国民は洗脳されているようなものです。ウイルスに感染すると死亡する恐れがあるから徹底して感染予防(外出を避けるように)しましょう、と。
しかし新型コロナウイルスだけが死亡原因になるのではない事など言うまでもないわけで、事故でも癌でも他の感染症でも亡くなる時には亡くなるわけです。それを新型コロナウイルスだけを特別視する風潮にこそ、不気味で別の意味での恐ろしさを感じるのです。
感染し発症しても重症化して死亡しないためには、糖質を避け空腹時間を長くし、楽しい時間を求めて生活する事です。これは新型コロナウイルス対策だけでなく、多くの疾病予防になることでしょう。
三密は本当に危険なのでしょうか。外出が即ウイルス感染の原因になるのでしょうか。異常なまでの行動制限こそが小さな精神的ストレスの積み重ねとなり多くの疾病を引き起こすと私は考えています。
何故、という気持ちがあれば周りに流されず、かつ自身の考え方や判断の間違いに気づいた時には素直に引き返せると思うのです。しかし何故、という発想が欠如していればその限りではありません。
私も死ぬのは怖いです。怖いからこそ糖質制限をしストレスを溜めない努力をしているのです。それが多くの疾病予防になると信じているから。過剰な手洗いをしない事もしかり。手洗いの弊害を理解しているからです。
有名人専門家が「私は感染症や公衆衛生の専門家ではないが」と断りを入れてウイルスに対して過剰防御の重要性をコメントされています。私から見ると相当怪しいと思うのですが、活字になると皆が反応するのでしょう。
終わりの見えない新型コロナウイルス問題。終わりが見えないからこそ普通の生活をすべきなのです。今のまま、皆が恐怖の方向ばかりに目を向け行動制限していると、「2次被害」の問題が出てくるでしょう。故に今こそ何故、という発想が必要だと私は考えます。