怖い話、大好きブログ。

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過去に投稿した怪談、怖い話などを補完


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某私鉄の高架下の壁に気味の悪い黒い手形があった。
 僕は自転車通勤の途中に不思議と毎日気になって見ていた。
 去年の夏、仕事の帰り高架下を通るとガリガリにやつれた浴衣姿の老人がいて、皺だらけの手を壁の手形にあわせブツブツと呟いていていた……。
「どうしました?大丈夫ですか?」
 僕は心配になって自転車を停め老人に声をかけると、耳が遠いのか無反応でひたすら壁の手形にあわせた手を見つめて小さくブツブツと何かを言い続けるだけだった。
 老人の血色の悪い土色をした横顔を見ていると僕は、だんだん気味が悪くなり老人を放ってその場を去った。

 

 でもその日から、あの黒い手形を他の街中のいたる場所でも見かけるようになって、それがだんだん僕の自宅に近づいて来ているのがわかった。
 凄く不安に感じていたある日、自宅の寝室の壁に黒い手形が浮きあがってきた。
 何度も拭いて落そうしても綺麗にならず壁紙を交換する事に決めると、その日は諦めて寝る事にした。

 その晩、目を覚ますと薄暗い寝室の部屋に老人がいて壁の手形に手をあわせていた。
「トマッテクレ……トマッテクレ……トマッテクレ……トマッテクレ……トマッテクレ……」
 と抑揚もなく壁に向かって冷たく言葉を繰り返し発しているのが聞こえた。
 僕は飛び起き電気を点けると老人の姿はなく壁の手形も消えていた……。
 幽霊を目撃したショックよりも、あの手形と老人の言葉の意味が気になってしまい。その晩は寝付くことができなかった。

 しかし翌日なってその意味を理解することになった。
 起床して洗面台で顔を洗い鏡を見ると口と鼻を塞ぐように自分の顔に黒い手形がついていた。

私自身はお化けを見たというような怖い体験は無いですが、亡くなった祖母から聞いた話は、すごく奇妙で不思議だったのでそれを話します。
 オシラサマを知っていますか?遠野物語にも書かれている神様です。
 私は東京で生まれ育ったので、実物を見た事はありませんが一般的には桑の木で作った木像に衣を着ているのがオシラサマと伝えられています。
 でも私の祖母はそのオシラサマとは違う奇妙なオシラサマを見たことをよく話してくれました。


 祖母の出身は岩手の古城村という場所でした。終戦後、私の実の祖父は戦地から戻るとマラリアを患い若くして命を落し祖母は生まれたばかりの娘(私の母)を一人で育てゆくのに大変心細かったそうです。
 そのとき親戚のツテで糸籾という屋号の家から、乳母を探しているので子供も一緒で良いから住み込みで働かないかと誘いがありました。
 祖母には願ってもない誘いで、何故なら糸籾の家は小字一帯を支配するぐらいの土地持ちの豪農で当時相場などでも大儲けして大変に栄えていて、お給金も良かったそうです。


 祖母が糸籾の屋敷に行くと家の人達は客を歓迎するかのように迎え、そして年寄り達がニコニコと寄ってくると、しきりにお乳は沢山でるか?お乳は沢山でるか?と聞いてきたそうです。
 そして祖母は年寄り達に手を引かれ屋敷の奥座敷に連れて行かれました。
 真っ赤な毛氈が敷かれ部屋には高価な外国の玩具が並び、漆の蒔絵が施された特注の小さな寝台の上に、おくるみをした赤ん坊らしきものがいました。……しかしそれは馬の顔をした白くて奇妙な生き物だったそうです。
 家の者達はそれをオシラサマと言っていました。


 年寄り達は、「さあさあ、お乳を」と急かすように促され祖母は訳も分らずに、おっぱいを与えました。
 乳房に吸い付くその生き物の姿に祖母は、まるで悪夢をみているようだと思う程だったそうです。
 それから祖母とオシラサマの奇妙な共同生活が始まりました。
 オシラサマは手足が未発達で自分で動く事も寝返りを打つ事もできなくて床ずれが起きないように、祖母と付き添いの人が24時間つきっきりで面倒をみていました。
 食事も人間の母乳以外は受けつけず、一生母乳を飲んで生きると言っていました。
 オシラサマはある血筋の人から三対一の確率で生まれるそうです。
 そして生まれるのは決まって双子で片方が健常な子供で、もう片方が奇形児で生まれてきます。
 その奇形児の方に神通力が宿っていて未来を見通す力があったと祖母は言っていました。
 そして健常の子供の方はオシラサマの血筋として当主になり代々家を継ぎ、血縁での婚姻を繰り返し、そこからまたオシラサマを生んできたというそうです。
 でも家の人は余りオシラサマのところには顔を出さず、たまに立派な格好をした家の主がやって来て、オシラサマの前にドカッと座るとゴニョゴニョと何か相談をして帰ってゆくだけでした。


 最初は恐々してお世話をしていましたが、祖母は肝っ玉が据わっていて、お節介ばかり焼く人だったので次第にオシラサマに対して自分の我が子とかわらない慈しみの気持を持つようになっていました。
 そんなとき普段、家の者以外とは決して会話をしないオシラサマが祖母に語りかけて来ました。
 「家の者でも僕に対して、そんな感情で接してくれた人は母様ぐらいだった。だから君に良い事をおしえてあげる。」
 オシラマサの言った良い事というのは、このあと裏庭に行ってごらんというだけの事でした。
 祖母が屋敷の裏庭に行くと一人の男性がいて、たった数分ぐらいでしたが談笑をしたそうです。
 でも祖母は忘れることの出来ない大切な時間だったと私に言っていたのを覚えています。


 そして暫くして祖母のお乳の出が悪くなり、お役御免になり実家に帰されました。
 とうぶん貯えが出来ましたが次の仕事を探しに祖母は村を出ようと考えていました。
 そんなとき裏庭で出会った、あの男性が祖母を訪ねて来たのです。
 それが私の義理の祖父になる芳太郎おじいちゃんです。
 芳太郎おじいちゃんは糸籾の家の跡継ぎでしたが、決められていた結婚を嫌がり祖母を連れて東京に駆け落ちをしたのです。
 祖母もまだ21歳で女ざかりでした。


 祖母はその時は二度と村には帰れないと思っていましたが、二十年ぐらいが過ぎた頃にコッソリと実家の様子を見に戻ったそうです。
 実家の戻ると糸籾の家が途絶えていた事を知らされました。
 ある年の夏、村で軽い夏風邪が流行したのですが、オシラサマの血筋の人達だけ何故か重篤な症状になってバタバタと倒れ亡くなったそうです。
 その後オシラサマを失った家は急速に没落して途絶えてしまいました。
 ちょうど同じ頃、芳太郎おじいちゃんも突然高熱で倒れて危なかった時があったそうで東京の設備が整った大きな病院に運ばれたので何とか一命をとりとめる事ができました。


 祖母は言っていました。オシラサマは全てこうなると知っていたのではないのかと、何故なら東京に逃げた時にオシラサマの神通力があれば居場所なんて、すぐにわかって連れ戻す事が出来たはずなのに、きっとあのオシラサマは祖母の居場所を家の者に尋ねられても教えなかったのだろうと……。


 これが私の祖母が話してくれたオシラサマにまつわる話です。
 お婆ちゃんが幼かった私のために作った御話だったのかもしれないし、事実だったのかは定かではありません。
 ただ気になる事が一つ……。
 先日母方の従姉妹が双子を妊娠しました。でも片方に異常があったらしく減胎手術を受けたそうです。

凄惨な事件があると被害者を悼み献花台が設けられることがある。
 ところが、そこに供えられている飲み物や食べ物を盗み持ち去る人が結構いるらしい。

 あるとき男が献花台から缶ジュースを拝借して家であけて飲んだそうだ。
 そして飲み終わったジュースの空き缶をゴミ箱に捨てた時に、缶の底に何かが書かれているのが見えた。
 そこには……。

 「芽殖孤虫」

 と書かれていて、缶の底には小さな穴を開けてふさいだ跡があった。

8年前、某私鉄のとある駅で飛びこみ自殺が急に増えたことがあった。
 何故か殆どの自殺者は駅のホームの特定の場所から飛びこみ自殺をはかるのである。
 駅員はその場所の監視を強化し、再発防止に努めることになった。


そんな折、耳の不自由な女性から、駅の看板広告に対する苦情がきた。
 それは私鉄沿線上で開業しているエステの広告で綺麗なモデルが4人並び、思い思いにポーズをとっているだけの特に何の変哲もない広告である。
 女性が言うには自分は読唇術ができるそうでモデルが不謹慎な事を言っているというのだ。
 左のモデルから順に唇を読むと「ト」「ビ」「コ」「メ」と、それぞれのモデルが一音ずつ発音しているらしい。
 後になり別の理由で看板は撤去された。そのエステ店は経営の実態が無い偽装広告だったそうだ。

 看板はホームに立つ乗客と対面するよう線路を挟んで設置してあり、飛びこみ自殺が多発した場所の目の前にあった。

私が一人暮らしを始めた頃の話です。
 部屋を内覧したときに畳の一箇所だけが酷く痛んでいることを知っていましたが、特に気にしないで契約を済ませました。
 でも暮らし始めて数日、夜に目を覚ますと窓からの微かな明かりに照らされて部屋に、こんもりとした影が見えました。
 なんだろうと思って体を起してみると、部屋の隅の一角で土下座のような格好をしている女がいたのです。
 女は顔を床に押し付けるぐらいの異様な体勢で畳についた手が多足類の生き物のように蠢いていました。
 そして「バリ……ボリボリ……」と音をたて一心不乱に畳を掻き毟っているのです。
 実際ああ云う状況になると悲鳴じゃなくて無言で速やかに部屋から逃げるんだと知りました。

 次の日、あの掻き毟っていた所が何故か気になって、畳をひっくり返したら、よその家の七五三だと思われる家族写真らしきものが出てきたのです。
 その写真にはホチキスの針が無数に打ち込まれていて鳥肌が立ったのを覚えています。


 しかし女の幽霊は写真にだけ執着している思念なのか、写真をしまった場所に姿を現しては、そこを掻き毟り出すぐらいで害はありませんでした。
 捨てたり燃やしてもよい物かわからなくて写真の処分に困った私は、あることを思いつきました。
 以前、彼と幽霊の話になったとき、現実主義で科学的な彼に散々否定されて、とても悔しかった思いをしていました。
 それで彼の家に置いている私のお泊り用の枕に写真を隠してみたのです。
 うまくいくとは思っていませんでしたが、もしあの女の幽霊が彼の部屋に現れたなら、慌てふためくだろう姿を想像してニンマリしました。


 でも三日後、親友だったK子が顔面をズタボロに掻き毟られ病院に運ばれてしまったのです。


 そのとき一緒にいた彼は事情を聞くために警察に連れて行かれ、暫く戻ってきませんでした。
 このあと彼とは別れたので写真が、どうなったかは知りませんが、今でもたまにK子から無言電話がかかってきます。
 私は寝るとき、かならず枕や敷布団の下を確認して床に就いています。

つい最近思い出したのですが、小さい頃だから5歳ぐらいかな。
 私は凄く甘ったれで夜は、いつもお母さんと手を繋いで寝ていたんです。
 その日は、お昼寝をして、なかなか寝つけずにいました。
 すると、お母さんの方が先に寝てしまい、私は少し心細くなりお母さんの手をしっかりと握りました。
 ところがお母さんは寝返りを打って背中を向け、繋いでいる方の手で顔をかき始めたんです……。

 じゃあ私がいま布団の中で繋いでいる、この手は一体?
 驚いて手を引こうとしたら、その手がギュゥゥゥと強く握ってきたんです。
 怖くて大声で泣くとお母さんが飛び起きてくれて、握ってきた手は私を放しスルスルっと布団の中を通り、足下から抜けて行くのがわかりました。
 これが私の記憶の片隅に残っていた怖い体験です。

 でも何故この事を最近になって思い出したかというと5歳になる娘が『ママの手じゃなぁーい』って夜中に泣くことが度々あるからなんですよね。

中学の時の同級生に田村という病弱な親友がいた。
 田村とは幼稚園からの幼馴染で、中二の一学期に突然入院した。
 見舞いに行くと病状は、あまり芳しくないようで顔色も悪く元気がなかった。
 「俺もう駄目かも知れない……。」
 そう弱気を吐く田村を必死で励ました。


 そんなある日、学校から帰っていると道路を挟んだ向こう側の歩道で田村が青白い顔をして立っていた。
 俺を見つけると小さく笑い車道を横切って、こっちに駆け寄ってきた。
 しかし、そのとき白い乗用車がスピードを緩めず走ってきて「あぶない!」と思った瞬間、――田村の身体をすり抜け車は何事も無く、30メートル先のT字路の信号の手前で停車した。


 田村は何もなかったように俺の方へ駆け寄ってきた。
 「今日、退院したんだ明日から一緒に学校へ行こうな!」
 と、長い闘病生活で青白くやつれた顔した田村が嬉しそうに言った。
 俺はその時、悟った。田村は、もうこの世には……。
 「うん、うん、これからずっと一緒に学校へ行こうな。」
 涙を堪えきれずに泣きながら言った。
 「なんだよ大げさな奴だな」
 そう言って田村は当惑した表情をみせ、ポンッと俺の肩を叩いた。
 それが妙に現実的な感触であれ?っと思っていると、信号で停車していた白い乗用車が発進してT字の突き当たりの墓地がある塀に吸い込まれるように消えていった。
 この通りでお化け自動車の噂を知ったのは暫く後だった。

コックリさんをふざけ半分で遊ぶと呪わるのは本当です。
 私が通っていた中学校にコックリ先輩という人の話があります。
 先輩はある事件がきっかけで右手が、いつもガクガクと震えていました。
 霊媒体質の先輩はコックリさんをおろすと凄いと有名でした。
 でも実は先輩は内緒で10円玉を動かしているだけで、コックリさんを利用して裏で友達の交友関係や恋愛問題を操作しているという噂もありました。
 そしてあるとき事件が起きたのです。
 私は先輩に誘われ皆とコックリさんをしていると突然10円玉が貼りついたように動かなくなりました。
 「ちょっと!誰がやっているの?呪われるから、やめて!」
 そのとき一番青ざめていたのは経験豊富なはずの先輩で凄い動揺して一緒に参加している人達に食って掛ったように脅してきたのです。

 「コックリさんが怒っているんじゃないの?」


 私がそう言った瞬間10円玉は精密な機械のように尋常ではないスピードで「う」の文字に移動して次に「そ」の文字に移動しました。
 そしてまた「う」に戻り「そ」の文字にそれが交互に繰り返し始め、先輩以外の人達は怖がって10円玉から指を放してしまいました。
 ところが先輩だけは10円玉に指を乗せたまま次第に、どんどん早くなり、白目をむき泡を吹いて卒倒してしまったのです。
 そう先輩の手は震えているわけじゃなくて、今でも「う」と「そ」の間を動き続けているそうです。
 この事件以来、先輩はコックリさんで嘘をついていて呪われたと陰口を叩かれるようになったけど、それは大きな誤解です。
 だって一番最初10円玉を押さえつけて動かなくしていたのは私です……。

去年の夏、職場の先輩の家に呼ばれ、行く途中で道に迷ってしまった。
 先輩に電話をして道を聞こうとしたが、携帯の充電が切れていて公衆電話を探すはめになった。
 携帯が普及したご時世なのか、中々みつからず困ってウロウロと彷徨っていると、小さな公園の横に、やっと電話ボックスをみつけた。
 先輩の名刺を出して電話をすると彼女らしい女の人が出た。
 先輩はいま電話に出られないからと言われて代わりに道を教えてくれた。
 しかし教えて貰った通りに行くと着いた場所は、まったく全然違う場所だった……。
 ふと電柱に立掛けてあるボロボロになった看板が何気なく目に入ってきた。
 『平成18年2月18日に、この付近で通り魔事件が発生しました。不審な人物 又は犯人に心当たりがある方、情報等ありましたら御連絡下さい。』
 目撃者の連絡を呼びかける警察の看板だった。
 ここで途方に暮れていても仕方がないので、とりあえずもう一度さっきの電話ボックスに戻って道を聞き直そうと引きかえした。
 だがその電話ボックスに戻ったとき自分の目を疑った。
 電話機が撤去された空の電話ボックスだった……。

 そのあとコンビニをみつけて携帯を充電できたので先輩と連絡が取れたが、公衆電話から着信なんて受けていないし彼女も家には居ないと言われた。
 そして先輩の家に着くと早々に酒を酌み交し、さっきの不思議な出来事や趣味のホラー映画について話し込んでいる内に、すっかり遅くなって先輩の家を出た時は22時を過ぎていた。
 駅までの帰り道、昼間の電話ボックスが見えてきて今日の事を思い出した。
 使われていな電話ボックスは電気が点いておらず真っ暗な夜に紛れていた。
 横を通り過ぎようと近づいた時、パチ……パチパチ……と電話ボックスの蛍光灯の明かりが煌々と点灯しだした。
 電話ボックスの中には夏なのに野暮ったいダッフルコートを着た女の姿が照らし出されていた。
 女は手に持っている受話器を電話機に掛けるのと同時にガックンと頭を下げ、そしてユラユラ揺れながら向きをかえ電話ボックスの扉を「キィ……」と開けはじめた……。
 さすがに普通ではないと感じて踵を返して逃げ出そうと後ろへ振り返ったら、20cmの間も無い接近した目の前に、あのダッフルコートの女が口をひん曲げて開き、紫色の顔をして苦しそうに立っていた。
 そして苦痛に歪んで開いた状態の口から

 「おかけになった電話番号は現在…… 使われておりません……。」

 と機械的な音声が漏れ出ていた。
子供の頃、塾の帰り道で「クゥ~ン、クゥ~ン」と子犬の鳴声が聞こえてきてた。
 犬が好きな僕はドコで鳴いているのだろう?と立ち止まり子犬の姿を探した。
 すると自分の足下から聞こえてくる感じがして地面をみると……。

 車に轢かれペシャンコに潰れてた敷物のような犬の死骸が鳴いていた。
 気味悪くて、すぐにその場を立ち去ったが、後になって何だか哀れに感じて家から大きなシャベルを持って戻った。
 アスファルトにこびりついた犬の死骸をシャベルの先で剥がして、それを公園に持って行き、穴を掘って埋めてやろうと思った。
 しかし埋めようと土をかけたら、「キャン!キャン!」と子犬の死骸は恐怖で狂ったように鳴きだした。
 「ごめんね、成仏して」と僕はそう言って悲痛に鳴く犬に目を背けながらササッと土をかけて埋めた。
 弔うつもりが厄介になり、まるで半分見捨てた感じで埋めたような子供心に酷く罪悪感が残る嫌な出来事だった。
 
 動物の亡骸から鳴声が聞こえてくることは、その一回きりだったが大人になり最近また似たような事があった。
 先日、火葬場で最後のお別れをして炉の扉が閉じられ火が入れたときだった。
 「アツイ!アツイ!アヂッ!ア゛ヅイ゛ィィィーーーーー!!ダズゲデェェ……。」
 亡くなった伯母の恐ろしい絶叫を聞いた。