ラティーノも第4週目に突入した。相変わらずテキストに付いている練習問題が全く解けない。解く努力を今週はしていないのが主な原因と考えて問題はない。ラティーノの最悪なところはその変化の形だ。変形が激しすぎて辞書に載っている形が全く見当がつかない。ある程度勉強しないと辞書もロクに引けない非常事態が発生する。だから、ただ単語の意味を全て辞書で引いて和訳するという最終手段もあえなく撃破された。
 授業直前までサボる気でいたが気まぐれの神はどうやら自分を授業へ導いてくれた。帰りたくて仕方がなかったがそこがラテン語の魔力だ。ラテン語はかっこいい。意味が分からなくても発音が素敵だし、文章も文語的でクールだ。だから帰らなかった。
 トランペット修行二日目。朝ヒゲを剃った時に下唇中央部を切ってしまった。練習終了後はそこを起点に唇が痛くて仕方がない。腹筋と左腕は体力低下によりバイブレーションさながらに震えていた。口は昨日の疲れが残り言うことを聞かない。だが、こういう時こそ身体も口も痛めつける。痛めつけて強度を高める。現状での最大限を超え、限界に近づく。どんなに吹けなくても無理やり早いリップスラーを連発し、ダブルタンギングを連打する。どんなに恥ずかしい音を出しても気にしたくない。恥を捨てない限り上手くはならない。
 一週間最後はジャズメンを気取った服装をしていた。一種のコスプレみたいになっていた。オールドファッションだ。通りすがり複数名の笑いを誘ってしまったみたいなのできちんとステージに立つ日まで封印しようと決意した。
 やはり語学に辞書は必須だ。三日以内にモンゴル語の辞書を入手したい。何事もないかのように買うが、よく考えるとあまりまともではないことに気づく。普通に暮らしていてモンゴル語の辞書なんかよほどの事がない限り使う必要がない。そうだよな、と現実に帰還してつぶやいた。
 トランペットを持って登校。ひと月ぶりのことだ。内心怯えながら練習をした。
 一カ月前、語学の忙しさを見越してサークルを辞めた。辞めたことにより楽器を吹く場所を無くしたと思っていた。
 だがそれは違うとなぜか一昨日の晩に思えた。この一カ月、特にこの一、二週間は他の団体に所属することしか考えていなかった。音楽とは別のジャンルで。
 ひと月ぶりのトランペット。恐らく弦楽器や木管楽器の方々が練習する場と考えられ気が引けた。一時間半吹いていたがほぼマウスピースでの練習に終始した。
 さすが一カ月ぶり。音がかすれている。聞き苦しくて恥ずかしい。だが晒すこと、無言で責められることが音楽の本質であると思う。できれば毎日吹きたい。自由に、自然に。
 無所属で練習するメリットはジャンルに囚われず自由に吹きたい曲が吹ける点だ。早速お気に入りのサックスのソロ曲を耳コピしようと考えている。デメリットはステージに立つチャンスがないこと、色々と情報やアドバイスをくれる人がいないことだ。これまで以上に厳しい耳が必要になるだろう。
 さて土曜が終われば一週間が終わる。魅惑と疑惑の渦巻くアラビア語の個人レッスンは見事に寝過ごしてしまった。サンスクリット語は週が進につれてますます一般の世界から乖離していくような気がする。ありがたい世尊のお言葉は身に余りすぎて頭が半ばパンクしそうだ。来週が楽しみである。
 とにかく生活習慣を夜の帝王モードから昼の猛者にしなければ未来は暗い。誰しも何かしら常人を卓越するものを持っていると思う。それが個性だ。だから人は皆変態だ。
 運の悪い日は存在する。テレビや新聞の占いがどうということでなく、直感で分かる時がある。それほど運の悪い日。
 学校に行くまでの道のり、いつも通る道は工事中のために迂回。通学途中に自転車屋で空気を入れてもらおうとするとなぜか女の子が店の外で自分の自転車に空気を入れていた。店の中を横目で窺うと店内いっぱいの自転車。いつの間に閉店セールとセルフサービス制になったのか知らないが、おかげで通学するのには初めての道を通った。授業開始まで残り3分。恐らくプラス10分以上は確実だ。
 着いたら始業プラス15分、まずまずだ。授業は既に始まっており、ショルダー式のカバンを肩に掛けたまま、開けた扉に一番近い席に座った。
 太陽が高い間は何とか運も心も晴れていたが、夕暮れ時の曇り空と共に暗雲が立ち込めた。
 自分の精神的解放を目的とする活動に再び復活するチャンスを今日は朝から秘めていたが、午後8時をもって破断。牛丼とチキンカツ定食というヘビーなものを一時間間隔で食べた気分の悪さ。
 生活が崩壊しつつある現在、今日を天王山として何か歯車が回るような1日にしたい。無論笑顔だ。