森友学園の真相・分析②【日本の敵は誰だ?安倍晋三は保守ではない・愛国教育・新自由主義の嘘】籠池氏 | 和み雪 降る夜 

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無責任な国民こそが、日本の有害因子なのだから。

日本の敵は誰だ?安倍晋三は保守ではない。

 

 そもそも森友学園事件の出発点は、安倍昭恵夫人が森友学園の教育方針に心酔したことに始まる。愛国を基軸にした教育方針にすっかり感心し、行儀の良い園児たちが並んで一斉に声をそろえて、難しい教育勅語を暗唱し、「わたしたちも頑張ります。安倍昭恵さんもがんばってください」なんて健気に合唱する姿を見たものだから、思わず目に涙を浮かべて感動したのだ。だからこそ何度も学園に足を運び、「素晴らしい学校があるのよ」と嬉々として夫である安倍首相に報告したのである。そして、安倍首相も「そうだな!」と感心し、この意向が官僚に忖度(そんたく)されたところに出発点がある。

 

 愛国教育自体に問題はない。これは国家として自然の姿であり、どの国でも当然に行われている。愛国教育が欠如している今の日本人こそ異常なのである。もともとの日本の教育は「歴史観・伝統・精神を守る」という姿勢に基づき、「愛国心・公共心の育成・伝統の尊重・祖先への敬愛・自衛心の養い」などが盛られた、心温かい、高邁(こうまい・気高い)な精神が基軸にあった。日本人の品位は、こうした教育による賜物なのだ。

 

 しかし敗戦後、日本の教育が失われた隙に「お金こそすべて!欲望の開放こそすべて!自由をもっと拡大!」という下品な国民性に成り下がってしまった。これは何かというと、アメリカ型の民主主義、旧ソ連型の共産主義、中国・朝鮮の反日思想が、外国によってねじ込まれたことが原因である。これらの思想が全て悪とは言わないが、これは本来の日本人の姿ではない。本来のに日本人は、徳が高く上品な民族である。魂ある日本人は日本人が劣化していく姿を黙って見ていられるわけがない。だから「日本の誇り」を取り戻したいと願うのは当然だ。

 

 教育基本法を改正した安倍首相が、一応は愛国教育を掲げていた籠池氏を、ここまで叩き潰す必要はない。なぜなら、教育勅語について反対派が騒いでも、「私学だから」「幼稚園児だから思想教育ではない」という理論で交わせるし、寄付金についても「妻が個人的に寄付をしただけ」と答えればいい。国有地値引き問題は深刻だが、「諸々の問題点については調整していく」という形で誠実に対応してやれば、何とか曖昧に誤魔化し、徐々に沈静化できたと思われる。

 

 にもかかわらず、森友学園を徹底的にメディアで叩き潰し、籠池氏を詐欺師として世間につるし上げさせて、政府は騙された被害者であるかのように演出し、どこまでも汚く、どこまでも醜く、一介の私人である籠池氏と森友学園を、徹底的に叩きのめした。その姿を見れば、森友学園と日本会議と日本政府が、強い絆で結ばれているなど到底、思えない。誰が見ても、トカゲのしっぽ切りとして、惨たらしく森友学園は切り捨てられたのである。森友学園の背負う借金は15億円以上と言われているくらいなのだ。

 

 おそらく、安倍首相にとっての森友学園の利用価値は、園児の保護者に対して憲法改正に賛同させるようなビラをまき、園児に対して「安倍首相頑張れ!」と唱えさせてた部分、それだけではないだろうか?一人でも多くの国民に安倍政権を応援させること、安倍政権に忠誠を誓わすこと、安倍政権の支持者を増やす事、ただそれだけが安倍政権の狙いだったのではないだろうか?愛国教育なんてのはオマケであって、目的は安倍政権の支持者を広げたかった、ただ「それだけ」に尽きる。

 

 第一次安倍政権は、日本会議(保守団体)が支えてきたと言われるが、その日本会議も今は単なる売国団体(アメリカ属国主義)に劣化してしまった。現在の安倍政権を支えている勢力は、経団連や、新自由主義者(ニューリベラリズム・ネオリベラリズム)たちである。新自由主義者はグローバリストであり、市場の金儲け活動に、積極的に政治を介入させる思想の持主である。そして安倍首相は、紛れもない新自由主義グローバリストなのである。それがあまりにも阿漕に日本の誇りと、これまで積み上げてきた財産を売り飛ばすから、”売国首相”とまで呼ばれるのだ。

 

 現代における資本主義とは何か?と聞かれれば「幸福の基準は、お金」という思想である。”幸せは人それぞれ”、なんて言葉があるが現代では死語になりつつあるほど、現実の日本は拝金主義に成り下がっている。資本主義を活性化させるためには、国民みんなを「お金!お金!お金!」という思想に染め上げなければならないと言わんばかりの勢いだろう。何が何でも、国民全体の思想を、「幸福の基準は、お金が全て」という価値観にさせようと必死なのは、テレビや雑誌からも感じ取れる。あらゆるイベントを立ち上げ、煌びやかな宣伝をまき散らかし、不要な浪費をさせようと人々を騙して出費を促すのである。

 

 資本主義の全てが悪いわけではないが、覚えておくべき重要な言葉がある。それは「歯止め」という言葉である。資本主義は「歯止め」を失うことが恐ろしい。日本人はあまり知らないが、世界でよく知られた言葉に、「戦争こそ最も儲かる金儲け」、「資本主義が暴走すると戦争になる」、というのがあるが併せてよく覚えておく必要があるだろう。古来の日本人は幸福の在り方を「心、徳、品位、誇り」と幅広く与えてきた。天皇の教えや徳育教育が、幸福の在り方に多様性に持たせて、”幸せは人それぞれ”だった。貧しくても、強くたくましく幸福を見出してこれたのは、こうした天皇の教えや徳育教育が日本にあったからである。これが”気持ち悪い”なんて言っている人はおかしい。この品位ある教えこそが、資本主義の「歯止め」となり、日本の資本主義は暴走せずにいられたことを知っておいてほしいのだ。

 

 拝金主義を加速するためには、この「歯止め」を破壊させる必要がある。彼らは「歯止め(道徳)」を崩壊させて、もっと「お金!」を求めさせたいと考えている。彼らが、愛国教育を本気でやりたいわけがない。安倍首相の政策を冷静に分析すれば、保守ではないことは明らかだ。資本主義の歯止めを破壊させてまで、政府が積極的に経団連に介入している先に何があるか?を見失ってはならない。

 

 安倍首相が、あたかも愛国者であるかのようなイメージを演出するのは、昔の支持層へのフォローだろう。国防強化をするように見せかけて、イスラム国や北朝鮮や中国が危険だと主張するから、何か国家主義的(タカ派)に聞こえるのかもしれない。タカ派であることは間違いないが、なぜ、あえて国を危険な方向に導くのであろうか?

 

確かに経済の強さは家の屈強さとなり、国防強化や交渉権の強さに通じるだろう。不景気が戦争を生むのも事実である。だが、そこに愛国心が無ければ、国の強度は保てない。国民に絆が無ければ愛国心は成り立たない。過酷な弱肉強食の世界は必ず敗者としての貧困層が溢れる。政治が介入すれば不公平が生まれる。貧富の差を乗り越えてまで、「恣意的に陥れた者」と、「犠牲となり陥れられた者」が、真の絆で結束し合えるわけがない。「お金!お金!お金!」をむさぼるような幸福基準では、国民はひとつに結束されないのである。

 

 森友学園の籠池氏は、安倍首相の中に、愛国の魂の「幻」を見ていたのかもしれない。人間は、そうあってほしいと願いで物事を見る。だが、残念ながら現実は違うという事だ。安倍首相は、紛れもない新自由主義グローバリストである。そして、グローバリストたちは、愛国者はその真逆にある。籠池氏はそこまで見抜けなかった・・・だから単なる駒として、ゴミのように捨てられた。

 

 籠池氏は安倍首相と同じ日本会議のメンバーで、籠池氏は熱烈な安倍支持者だったことは周知のことである。同じ理想を目指し、共にある世界を描き、同じ時代を生きる仲間はチームである。チームは「家族」である。人間は簡単に「家族」を捨てたりしない。戦後の日本が復興してこれたのは、家族としてチームとして日本人が団結していたからだ。社長も社員も家族も「幸福の基準は、お金が全て」ではなかったからこそ、頑強な結束力が生まれたのである。その家族が、捨てられたのである。

 

 今、官僚たちはどのような思いで、安倍首相による”トカゲのしっぽ切り”の様子を見つめているのだろうか?簡単に「家族」をポイ捨てするような人間性の欠如したリーダーに、いったい誰が命を懸けて共闘を誓えるというのか?

 

 安倍首相は、愛国主義者のフリをし保守の支持者を騙している「自覚」がある。「自覚」があるからこそ、関連書類を全て隠蔽させて、真相解明を徹底的に妨害している。それは、森友学園を優遇した理由が、保守派から支持されない理由だからこそ隠すのだ。安倍首相の本当の「敵」は、むしろ愛国者や保守派ということを示唆しているように見える。

 

 余談だが、森友学園事件には闇の部分もある。財務省近畿財務局が「掘り出したごみを場内に埋め戻すといったようなことを指示した」という話がある。ごみ処理に関係した藤原工業(株)の下請け会社である田中造園土木(株)の秋山肇社長は、上記の発言を「毎日新聞・赤旗」で証言した翌日に自殺している。政治家や著名人や大物が絡むような大きな事件では、しばしば人が死ぬ。それだけ森友学園が、大きな事件だという事を物語っている。
 

 今の霞が関は「安倍一強」と呼ばれ、安倍政権に誰も逆らえないような恐怖と絶対的な空気感がある。三権分立(立法府、行政府、司法府)を超えてまでして、慣例を無視して安倍首相が人事に口出しをしている。これに危惧する弁護士、学者、役人、知識人も多い。三権分立とは、政治を正しく健全に行うために、三権(立法府、行政府、司法府)を独立させて、互いに監視し合うしシステムのことである。もし三権の垣根を越えて、安倍政権が口出していることが事実であれば、日本政治の実態として、独裁政治が始まっていると言わざるを得ない。これは大げさに言っているのではない。

 

 今回の森友学園の事件、忖度(そんたく)にしては、あまりにも異例だらけな点を疑問視する声が多い。一般的に官僚や役所の業務というのは、前例踏襲主義(ぜんれいとうしゅうしゅぎ)といって、前例に沿って業務を進めていくために、異例なことをやらないのが基本である。従って、忖度(そんたく)といっても無制限にできるわけではなく、忖度(そんたく)できる裁量の幅がある。ところが今回の、忖度(そんたく)の裁量の幅を超えていると指摘されているのだ。

 

 忖度(そんたく)を超えた「指示や命令」があったと思われる状況下で、「指示や命令」が無かった方が恐ろしい。なぜなら、官僚の前例踏襲主義を超えて動くような大きな圧力(安倍一強)が、霞が関の中を支配しているということになるからだ。くの悪くも慣例を重んじてきた官僚社会が崩壊する意味は、役人の判断や感情によって、処理が助成(ひいき)されたり差別されたりすることを意味する。「お役所仕事」なんて揶揄されるようなお堅い世界だからこそ、国民の平等性を保っていられたとも言えるのだ。これが崩壊することの方が、恐ろしい。森友学園がまさにソレではないのか?

 

 最近の国民の傾向を見ていて非常に危惧するのは、暴力的で威圧的で、サイコパス的な人格障害者の中に、強いリーダーシップを見出す人々の存在だ。他人の人権を平気で犯したり、粗暴で暴力を振ったり、犯罪やルールを犯しても絶対に謝罪せず主張し続けるような不遜な態度など、昔なら排斥されてきた者に対しても、強い指導力があると錯覚する人々がいる。こういう組織の異常な指導者の下では、組織員は悲劇をたどるから、その組織も衰退してゆき強度を保てない。強度を保てないから、ますます指導者の横暴が肥大化して、大きな問題事件を起こす。これがテレビ報道のレベルまでいき、ようやく世間(第三者)から丁寧に分析され、その指導者は単なる人格破綻者だった!という結論が出たりする。

 

 その現象が起こるのは「平和ボケ」が理由の一つとしてある。「平和ボケ」した人々は、「今ある幸福」が奪われることの想像(リアリティー)が乏しいために、警戒センサーが劣化している。親切そうに笑みを浮かべ、自信たっぷりに装う異常者を見抜けない。絶対に謝罪しないような不遜な振る舞い対しても「自信を持つことは素晴らしい!」と逆評価をしてしまう。ルール違反やモラル欠如な行動に対しては「強烈な個性だ、改革型だ!」なんて間違った魅力さえ感じてしまう。これらは普通では考えられない事だが、自己防衛機能(警戒心・疑う考察)が欠如した人たちは、人物に対する評価が、どんどんどんどん狂ってゆく。

 

 「安倍一教」にも同じことが言える。「平和ボケ」した人々は、安倍首相が絶対的な自信を持って不遜でも笑っているから、「三権分立」を犯す行為さえも、強烈な個性だとか指導力だと勘違いする。異常性を見抜けない。しかし冷静に考えてみれば、三権分立を犯すことは、どの政権にも許されてはならない最後の砦であり、国政への冒涜行為だと気が付く。三権分立が崩壊して内閣が強くなれば、内閣の意向に反する裁判は叩き潰され、国会の議決も意味がなくなり、誰も内閣をコントロールできなくなる。この現象は、歴史が示してくれている。予測の精度を高めるには、歴史分析が有効だ。まさにドイツのナチスがその方法で独裁政治の入り口を作った。そして恐ろしいのは、日本の政治が、その独裁の入り口にあるという事実だ。

 

 今、自分たちの目の前に、と、気持ちのいい快楽生活と、気楽なテレビ番組と、夢中になれるスポーツさえあれば、大丈夫だ問題ないと安心している人は多いだろう。楽しい娯楽生活の裏側で、何が行われているのかを知ろうとはしない。

 私は以前、フォアグラのカモと日本人は同じだと指摘したことがあるが、フォアグラのカモは、のびのびとした草原を駆け巡る生活から、一転して身動きできない柵に押し込められて、虐待的な強制給餌を受け続けて、病気になるまで食わされ死んでいく。フォアグラのカモは肥大肝(病気)が食材だから、人間は恣意的にカモを虐待して、この食材を手に入れるのである。今、目の前に安心する楽しい世界が広がっていても、それが一瞬にして幻と消えた歴史は、人類にも山ほどあるだろう!それが今じゃないと、それが日本じゃないと、それが自分達じゃないと、どうして言えるのか!?

 

 人間は考える知恵がある特殊な動物であり、本能と欲望だけで漫然と生きているわけではない。社会性や道徳観を重んじる生き物であるからこそ、「お金」や「欲望」というエサに簡単に屈する下等生物ではない。愛のためとか、正義のためとか、誇りのためとか、温かい何かを求めて守るために戦い生きられるのが人間の特徴であり、人間の長所であり素晴らしい誇りだ。それを破壊する者があれば、戦わなければこの状況は変えられない。そうやって私たちは常に何かと戦ってきた。そして変わるためには、時に何かを諦めなければならない時もある。

 

 何かを諦めたとしても、仲間を信じたとしても、必ずしも世界が変わるわけではない。しかし、この国も社会も、先代の日本人が戦い守ってきた「大切な日本の誇りと財産」を、一時の総理大臣の判断で消失させることは絶対に許してはならない。お金ではなく、誇りこそが、人間である証しだからだ。人間は、諦めた時にすべてが終わる、だから絶対に諦めてはならない。

 今、「安倍一強」と呼ばれるような事実上の独裁状態にあり、三権独立も犯すような政権が行政の人事権までも握り始めている。この勢力が日本の先祖や国民の財産と誇りを破壊し尽くすのなら、その勢力が「国権主義」とか「愛国」とか「平和」とか、口先で嘘を唱えてるのなら・・・日本の愛国者の敵は、紛れもなく日本の内閣総理大臣ということになる。日本の敵は、日本の最高権力者ということになる

 

(画像 証人喚問に挑む籠池氏)

 

 

(森友学園の真相・分析② by 雪華天)

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次回 内閣総理大臣付ファックス、安倍昭恵夫人メール、大阪府松井知事の裏切りに続く・・・

 

 

(画像 三権分立のイメージ図)

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