証人喚問どうなるの?【領収書は証拠になる!森友学園/籠池氏】安倍晋三/寄付金/安倍政権は終わる | 和み雪 降る夜 

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腐った政治家のせいにするのは止めよう。
無責任な国民こそが、日本の有害因子なのだから。

領収書(受領書)は証拠になる!
 
「森友学園の国有地の値引き問題」は、すぐに新聞やテレビでは報道されなかった。ネットでは「政府は隠すつもりか?」「なぜ新聞は報道しないのか?」という疑問の声が上がり、いつもは威勢のいい安倍サポーターと呼ばれる工作員(ネトウヨ)達も、さすがに閉口する大スキャンダルだった。それなのに新聞もテレビも報道しない。そのことに不信感と怒りと苛立ち状況が続いた。それは、右派左派(政治思想)に関係なく沸いた疑問であった。
 
ヤバい事件で起こる政府の隠ぺい体質こそ、問題の本質が潜む。本来、政治家は、国民の在り方を示す模範となるリーダー的存在でなければならない。にも関わらず現実は国民に尊敬すらされていない。「他に支持する政党が無い」「野党は頼りない」「ウチの会社に利益がある」などという打算的・妥協的な理由で渋々と支持されるなら、こんなものは真に「支持されている」とは言わない。証拠を隠滅してヘラヘラ笑顔で嘘をつき、国民の目を誤魔化そうとする人を、誰も尊敬などするわけがない。
 
この事件、国民感情が許さないのは当然だろう。前回の記事に書いた通り、この問題の本質が「国民の財産に対する軽視」であり、「国家財産の私物化」が常態化すれば、「国民の権利を奪う政治」につながると予想されるからである。「国民の皆様のため」と言いつつ、実は「一部の国民から奪うことが目的」であることが証明されたようなものだ。今後も同じような「ズル」を働き続けることは、誰の目から見ても明らかである。
 
今月23日に行われる籠池氏の証人喚問を前にして、「安倍さんは自信があるから証人喚問をする」「総理に対する侮辱だ(怒)」と、何とか首相を庇おうとしている人達がいるが、それは逆だろう。残念ながら、実際には総理に自信があるからではなくて、籠池氏が自ら望んでいる証人喚問を、与党が拒むことができなかったのが真相なのである。最初の頃は事件を隠していたのと同じように、強がって誤魔化しているだけだ。
 
事実、籠池氏の権利は法的根拠に強い。籠池氏の森友学園建設費の賠償請求をするなら、それは法的に妥当なのである。国が「国有地を値引きした」ことを受けて、大阪府がこれを「認可した」責任はとても重い。籠池氏は一介の国民であることを忘れてはならない。その責任は当然にして政府と役所にある。籠池氏が記載した建築費が事実と異なる点があったことも、悪意の虚偽なのか、単なる記述ミスなのか、見積もりの相違なのか、その判断は難しい。テレビが必死に叩いてみても、一般的には「後で書き直すつもりだった」で終わるレベルだろう。例えば、身近では確定申告でも事実と異なる金額が税務署に指摘されても、明らかな脱税(二重帳簿)ではない場合などでは、たいてい修正申請が許される。もし、この記述ミスを悪意(詐欺や名誉棄損など)で立証したければ、それなりの証拠が必要となるが、証拠を隠している政府にとって非常に都合が悪い。裁判沙汰にして困るのは政府や役人だ。
 
籠池氏はそれで良いだろう。ところが、立場を変えて国民サイドに視点を転じてみると、国有地や助成金が国に戻ってきても何も解決しない。籠池氏への賠償金(数億円となる)は誰が払うかと言えば、わたしたち国民の税金だ。政府の尻拭いのために国民が苦しめられる。それだけを取ってみても、国民の怒りは最高潮に達する。きっちり責任を取らせなけれならない。国家財産を私物化するような政府であれば、内閣解散が当然の責任だ。
 
テレビを見ていたら、どこかの公認会計士が、「振り込み票は安倍総理の振り込みの証拠にならない」と発言をしていた。この発言には巧妙なズルが潜んでいる。彼が言う「証拠にならない」というのは、会計上に必要な収支の出所(領収書)としては無効なだけで、今回の事件とは全く関係ない。なぜなら、今回の事件は政治資金規正法違反の容疑ではないからだ。23日の証人喚問の焦点は、安倍首相(または昭恵夫人)からの寄付があったのかどうかであり、寄付金を渡されたという証言(と細かなディテール)を裏付ける証拠としてであれば、振り込み控えは法律的に十分に有効なのである。こんなことは法律家なら誰でも知っている。にも関わらず、「会計上の収支の証拠」と混同させるようなすり替えで、無効だ、などと平気でテレビ発言するような連中は始末が悪い。更に芸能人らが「そうだよね」みたいに流れるから、異常な番組に感じられた。
 
異常と言えば、ある政治アナリスト(田﨑史郎)においては、あちこちの放送局で「領収書の筆跡がおかしい」「今回の事を予見して、自らで領収書をねつ造したかもしれない」「修正液は自分でやった可能性が高い」などと吹聴していた。さすがに滑稽で笑ってしまった。この政治アナリストのような、こういった荒唐無稽なストーリー作りこそ整合性のとれない典型的な”嘘話”の例だろう。つくづく思うのだが、テレビで政治アナリストを名乗るなら、もっと常識を持って発言して頂きたい。見ている方が恥ずかしくなる。
 
はっきり指摘しておくが、証言の信ぴょう性を考える上で大切なことは、客観的(かつ自然に考えて)その説明に整合性があり辻褄が合うかどうか?という点にある。意識的に嘘をつこうと証言しても、嘘はどこかで辻褄が合わなくなる。客観的に見て整合性のとれる細かい証言は、それだけで証拠となるのが常識だ。ましてや籠池氏のように、その証言を裏付ける公的な領収書が出てくれば「寄付は行われた」と解釈されるのが妥当なのである。
 
ちなみに、参考人招致ではなく、証人喚問を望んだのは、籠池氏自身である。籠池氏は過去に「参考人招致は断るが、証人喚問であれば受けたい」と自ら発言している。理由は簡単だろう。参考人招致には発言の責任が薄いため、籠池氏が何を発言しても、「きっと嘘だろう」とテレビに叩かれまくるのは目に見えている。しかし証人喚問であれば、嘘をつくと厳しく罰せられるため、一般的には発言者は嘘が付かないという前提がある。何もかも正直に吐き出したい籠池氏にとっては、「嘘と叩かれる参考人招致」よりも、「嘘のつけない証人喚問」こそが望んだ方が、はるかにメリットがあるというわけだ。自信があるのは安倍総理ではない。実際は逆だろう。
 
証人喚問を安倍首相は欠席する。当然にして他の大臣も欠席するだろう。不在にすること自体は問題ないが、誰が見ても明らかな「安倍首相の逃げの姿」なので、国民からの疑惑の目は更に強まる。逃げられるところまで逃げようという首相の卑しい姿には、もはや国民に尊敬され祝福されるべき要素すら感じられない。
 
安倍昭恵夫人を介して寄付されたとされる100万円については、おそらく23日で決着がつく。しかし、肝心の国有地値下げ問題については、同日に議論され尽くすことはない。しかしながら、国有地値下げの経緯について、野党が質問すれば籠池氏も正直に回答するから、関わる関係者(安倍首相・安倍昭恵・迫田元理財局長・松井大阪知事)の名前はあぶりだされて、後日、国会での証人喚問を要求する流れとなる。(その流れにならなければおかしい。)安倍首相がどんなに逃げてもいずれは出席せざるを得ないため、おそらく、そうなる前には退陣するのではないかと思われる。
 
仮に、昭恵夫人が個人で勝手に寄付を行ったということで済ませたたとしても、「私や妻が関わっていたら辞任する」と堂々と断言した意味は大きいだろう。その発言を安倍内閣は重んじなければならない。それが人間性であり誠実さというものだ。自民党が誠実に対応する印象で終えたいのであれば、やはり、安倍首相の退陣は逃れられない。
 
自民党にとっても、早々に安倍晋三を退陣(内閣解散)させた方が、実は傷が浅く済む。自民党内の別の議員で新たに内閣を立ち上げればいいのだから。身(首相)を切ることは辛いだろうが、同じ自民党の中にも安倍よりマシな議員を首相に立てることで、骨(政党)を守る事のほうが、自民党にとっても賢明だろう。自民党は早く気が付いた方がいい。このまま無理に安倍政権を強行すれば、それこそ国民の怒りは沸騰し、最悪の結果、野党に政権をとられかねない。それに気が付かないようならレベルなら、どのみち政権維持など不可能と言える。
 
もっとも、今の「嘘つき売国奴」の自民党政権よりは、「頼りない民主党」の方がはるかにもマシと言える。「嘘つき売国奴」と「頼りない者」を天秤にかければ、頼りない者のほうが信頼に足る。嘘つきは治らないが、頼りなさは成長で改善する。売国政権は、煮ても焼いても食えぬもの。日本に有害な法案や外交をし続ければ、いずれ日本は取り返しがつかなくなる。それよりは、頼りない政権の成長に長い目で期待したマシだと、つくづく感じる。
 
私たちが忘れてならないのは、国有財産は、首相が個人的な意見で動かしてはならないという常識だ。一介の私人である森友学園に助成すること(ひいき)はあってはならない。国有財産は等しく国民の財産であり、それを誰かに特別に値引きして渡すなど、絶対に許されない事なのだ。ファーストレディーである安倍昭恵夫人にも同じことが言える。総理夫人が名誉校長として名を連ねていれば、役人達がそれを推し量り、忖度(そんたく)するのは、公務員なら予見される事だ。そんなことも分からないような人に、首相の資格など無いのである。
 
中国にこんなことわざがある。”瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず”(カデンにクツをイれず、リカにカンムリをタダさず)この意味は、瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。また李(スモモ)の木の下で冠を被りなおせば、李を盗むと疑われる。即ち、人に疑われるようなことはするな、という意味である。人の上に立つ者なら当たり前に知るべき教えなのだが・・・安倍首相は知らなかったようだ。
 
もう一つ、忘れてならないのは、政界や大学や病院など、派閥に揉まれながら昇進する組織内において、組織内の誰もが名前を知っているような人物(権力者)に対して迎合し、すり寄っていくことで出世していく仕組みがある。権力者の真意を推し量って動くこと、権力者にうまみのある方向に動くこと、これを忖度(そんたく)と呼ぶが、学歴や能力が優秀であり、昇進が上位クラスになるほど、忖度(そんたく)の度合いが強くなる。森友学園の名誉校長に、安倍倍昭恵夫人の名前があれば、どんな意味があるのか?それは忖度(そんたく)せよという意味だと、公務員なら誰でも知っている。
 
一般層や主婦層など派閥争いを体験しない者には想像しにくいだろうが、派閥争いや出世争いにはびこる官僚体質を、この際しっかり覚えておいたほうがいい。彼らが仕事や判断において最も重視するのは「自分の出世の役に立つかどうか?」だけである。もっと、はっきりきり言おう!政治家や役人は「自分の出世に役に立たないこと」は、絶対にやらない!!森友学園も、つまり、そういう事だ。
 
最後に、どうしても言いたいことがある。かつて日本が敗戦後復興できたのは、個人が私腹を肥やすためではなく、企業のために国のためにと必死に働いた、特に技術者の貢献が大きかった。その歴史を考えてみれば、現代のような私腹を肥やす個人主義が、いかにダメなのかは歴然たる事実である。「忖度(そんたく)の何が悪いのか?」などと開き直っている人(橋下徹)がいるが、トンデモナイ話である。慮る(おもんばかる)べき相手は上司ではなく、国民や顧客や同僚でなければならない。もちろんその中に上司も含まれる。含まれるが、上司への忖度(そんたく)が100%の国家や企業には「結束力」は生まれない。人間の「結束力」こそが「大きな力」を発揮して、国家や企業が強くなる。国家や企業の繁栄を願うのではなく、個人の出世だけを頭に描くような人間の集合体であれば、ここまで日本企業は強くなれなかった。出世のための上司への忖度(そんたく)こそが、国家や企業を腐らせる根になっているということも、重ねて指摘しておきたい。
 
(証人喚問どうなるの? by 雪華天)
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