4月30日
今日で4月が終わりですね
昨年のいまごろは、今日で平成が終わりです、
なんて言っておりました
コーナンに文具を調達に行った帰りに寄った香久山遊歩道
新緑がきれいでした
きょうは、
社会科で覚えておきたい干支(えと)や元号(年号)について
お話したいと思います
日本にはじめに元号が現れたのは、「大化」です
「大化の改新」は、みなさんご存じのことでしょう
大化の改新=入鹿暗殺ととらえられることもあるのですが、
それは多少ちがいます
入鹿暗殺は、「乙巳の変」(いっしのへん)といいます
大化と乙巳、どうちがうの?というと、
大化が元号なのに対し、乙巳は干支だというちがいがあります
ことしのえとはねずみの年、
漢字で書けば、「子年」ですね
こんなふうに、
干支(十干十二支)は、ふだんの生活では、十二支のほうを採って使っていますが、
「え・と」という呼び名は、もともと十干につく言葉です
十干とは、
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
(こうおつへいていぼきこうしんじんき)
(きのえきのとひのえひのとつちのえつちのとかのえかのとみずのえみずのと)
の10字です(おまじないみたいになってしまいましたが)
この中に、さっきの「乙巳の変」の十干があります
乙(おつ)は「きのと」、
645年が、干支でいう「きのと・み」の年にあたっていたのです
甲子園は、「きのえ・ね」の年にできました
甲子は、60年でひと回りの干支で一番初めの年で、大変名誉ある年だったのですね
歴史的には、1年限りのできごとなどに、干支を用い、
2年以上にわたって続いたり、
それがきっかけで元号を変更したようなできごとには元号を用いて呼ぶことが多いようです
「戊辰戦争」からつづく「明治維新」の呼び名は、
「乙巳の変」とそれにつづく「大化改新」を意識して、
つけられたのでしょう
中学校の社会科でおぼえなければならない干支名がついたできごとは、さほど多くないので、
それを見ながら、干支の仕組みをちょっと見てみましょう
まず、「壬申の乱」
さきほどの十干を見ると、「壬」は最後のあたりにありますね
壬申は、「みずのえ・さる」の年です
十干は10年周期なので、
壬の年は、乙から、7年後、17年後、27年後、37年後、47年後・・・と回ってきます
また、十二支は12年周期なので、
申年は巳年から、3年後、15年後、27年後、39年後、51年後・・・と回ってきます
お、どちらにも27年後が出てきて、ちょうど重なるではないか
つまり、乙巳の27年後が壬申
ということで、壬申の乱がおきたのは、西暦645年の入鹿暗殺から27年後の西暦672年ということになります
あら、覚えてなくても、計算できちゃった
(覚えたほうがずっと早いですが・・・)
干支の仕組みはこういうものです
干支名がついたできごととして、中学校の歴史では、
壬申の乱、戊辰戦争、庚午農民戦争、辛亥革命
が出てきます
高校の日本史では、乙巳の変をはじめとして、あといくつか増えます
去年の5月1日をもって、「令和」に移行したのは、元号です
元号は、時代の象徴として、
たとえば、「明治魂」だとか、「昭和顔」とか、「平成バブル」とか、と言われたりします
明治になって「一世一代」が規定されるまで、
長ーく続いた元号もあれば、ほんの1年余りで終わった元号もあります
前後の元号とは脈絡なくつけられますので、覚えるしかありません
中学校の社会科で出てくる元号がつけられた名称やできごととしては、
大化の改新、大宝律令、和同開珎、天平文化、延暦寺、(保元・平治の乱)、承久の乱、文永の役、弘安の役、永仁の徳政令、建武の新政、正長の土一揆、応仁の乱、(文禄・慶長の役)、慶安の御触書、元禄文化、享保の改革、天明の大飢饉、寛政の改革、文化・文政(化政文化)、天保の改革、安政の大獄、明治維新
あたりでしょうか
高校の日本史になると、もっともっとたくさん増えますので、
元号が混乱しないように、時代とリンクさせて覚えていきましょう