原爆の日 | プログレス学習教室 橿原市

プログレス学習教室 橿原市

近鉄南大阪線、橿原神宮西口駅南出口から西へ徒歩2分のプログレス学習教室は、たのしく勉強できる小さな学習塾です

けっこうな雷雨になりました

通り雨かなとおもっていたら、本格的な降りようです

予兆はあったので、驟雨というわけでもなく・・・

橿原市を含む奈良県北西部に、大雨洪水警報が出ているそうです

 

奈良盆地は、極端に奈良県の北西部に寄っているので

盆地の南の端の方にある橿原市も、奈良県では北西部にあたります

奈良県の人口は北西部に集中していますが

大阪との位置関係を考えると、しかたないのかもしれません

ただ、ベッドタウンとしての機能ばかり追求していると、

古い住宅地は高齢化が進み、その反面、新しい住宅地を求めて山林の開発が進む一方になります

たいてい鉄道沿線で便利なところにある古い住宅地ですから、

新たに区画を整理し直して価値を上げるなど、

なんらかのリノベーションをはからなければもったいないですよね

 

橿原市の中心になる近鉄八木駅の改札を北に出ると、

(人口12万人程度の小規模な市ですが、近鉄大阪線(高架)と橿原線が立体交差して、あんがい都会的な雰囲気の駅になっています)

「非核平和宣言のまち」といった内容のモニュメント(時計塔)が立っています

地方都市が非核宣言をすることにどれほどの意義があるのかはわかりませんが

しないよりは、したほうがいいでしょう

どうやら、いまから30年ほど前に、地方自治体に流行った動きだったようです

 

当ブログ主は広島市の生まれですが

広島では、当然のことながら、夏休みの宿題は原爆がテーマで

非核教育も、ほかの都市とは比べ物にならない深さでした

小学生のとき、たまたま、8月6日に、路面電車に乗って、午前8時15分に紙屋町を出て市民球場前にさしかかったのですが

サイレンと同時に電車が止まり、暑い車内の全員が1分間の黙とう

何もわからないまま周りに合わせて頭を下げたあと、目を上げると、

元安川にかかる相生橋が前方に見えていたのを覚えています

この、相生橋は、いかにも三角州に架かる橋らしい、T字型の珍しい形をしています

路面電車の通る大通りになっている橋が東西に架かり、

その真ん中から枝分かれして、いまは平和記念公園になっている吉島の北端に細い橋が伸びているという構造です

これが、上空から合図のようになって、投下の目標を定めたのだと教えられました

リトルボーイを積んだB29は東から広島の上空へ

T字型の相生橋が見えたところで投下、

数秒後には炸裂し、きのこ雲があがったそうです

小学校の夏休みの宿題には、かならず、「周りの人に被爆体験を聞く」という課題があったのですが(そのころは、周囲に被爆者が大勢いました)

被爆したひとたちは、ほんとうに辛い体験だったせいで、口が重く、なかなか話を聞くことができませんでした

話すことによって追体験するのは、大変な思いだとおもいます

それでも語り部として被爆体験を語ってくださる人がいらっしゃるのは、ありがたいことです

ブログ主が聞いた被爆体験は、あまりにも生々しくて、ここに書くことはできません

そんな被爆の体験を持つ人たちも、年齢が高くなり、ずいぶん少なくなりました

 

今年は、オバマ大統領の訪問などもあって、ずいぶん広島に注目が集まっていますが

毎年暑い暑い原爆の日を迎えるたびに、

昭和20年の8月6日の広島は、

午前8時15分までは、いつもと同じ、ごく普通の日だったのだろうなと思いをはせずにはいられません