いいお天気です
花粉予報では警報レベルのようですが
スギ花粉はもう終わりかけのように感じるのは気のせいでしょうか?
これからヒノキが始まるので、まだシーズンは続きますね
新沢千塚古墳群のすぐそばを丘陵地に沿うように流れている曽我川
川沿いはどこでもそうですが、桜がきれいなんですよね
坊城駅のちかくに、真夏の8月15日に「ほうらんや」という、真昼に境内で大松明を担ぎ歩く奇祭がおこなわれる八幡神社がありますが(同じ日に運動公園近くの春日神社でもおこなわれます)
その付近の土手道はとくにきれいです
そこからさらに川沿いを下っていくと、運動公園のプール(ここのウォータースライダーはなかなかの迫力です。橿原市の小・中学生は、チケットが配られるのでおなじみでしょう)の横を通って、澱粉工場のすぐそばを流れ、大きく蛇行しています
このあたりにも、ずっと桜並木が続いています
澱粉工場のプラントと桜は、なかなか面白い絵になる光景です
この左岸一帯の地名を曲川といいます(イオンモールアルルのあるあたりです)
「地名、そのまんまやん」と思いますね
そして、蛇行した先の右岸あたりが曽我地区です
曽我地区には、5世紀後半から6世紀前半にかけての遺跡があって、
勾玉や管玉などの玉製品、そして加工のための道具などが出土しています
玉製品の工房があったと考えられているそうです
5世紀後半から6世紀前半…新沢千塚古墳群の墳墓がさかんにつくられた時期ですね
きのうお話しした126号墳も5世紀後半の墳墓でした
曽我という地名ですが、蘇我氏とのかかわりがまったくないとは考えられません
蘇我氏は曽我の土着豪族だという、けっこう有力な説もあります
盆地のなかに土着するのは、渡来系でしょう
縄文時代には、食料の調達場所がおもに林間部ですから、平地に集落をつくって住むなど考えられません
大和の古くからの豪族は、葛城氏にしても、巨勢氏にしても、平群氏にしても、そしておそらく大神(おおみわ)氏にしても、山麓を本拠としています
平地である盆地に土着するのは、稲作とともにやってきた渡来系の人たちです
じつは、曽我川には、もうひとつ重要な古墳時代の遺跡があります
それは、さきほどお話ししたほうらんやの八幡神社からすこし西にある東坊城遺跡です
ここからは、機織りの道具や土師器、鋳造の道具などが出土しています
韓式系土器なども見つかっているそうですから、渡来系の先進技術を持った工人集団が住んでいた集落があったのでしょう
つまり、曽我川沿いには、さまざまな工房をもつ渡来系の集落が点在していたのです
そして、川を上った丘陵地の低い尾根伝いに、華麗な副葬品のある群集墳を築いたわけです
その工人集落を率いていたのが蘇我氏だったのでしょう
蘇我氏が力をつけて政治の中心に躍り出て行く経緯が目に見えるようですね
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