ブログネタ第4弾
ブログネタ:コーヒーはブラック?砂糖・ミルク入れる? 参加中私はその他派
コーヒーには、様々な思い出があります

私が幼稚園の年少組だった時に、両親が【喫茶店】を始めました。今から30年以上前のことです。
当時住んでいた
は、古い日本家屋で、前栽なんかもありました。
はとてもボロボロでしたが、敷地は広かったです。ですから、家屋の半分を喫茶店に改装しました。カウンターが6席に、4人掛けのテーブル席が2つという、小さな喫茶店でした。
こだわりの喫茶店でも何でもなく、小さな村の中に初めてできた喫茶店でした。
勉強していると、両親のどちらかが、いつもミーコー(今で言えば、甘いカフェオレでしょうか)を持ってきてくれました。
日曜日は、休業でした。日曜日は、村の方は街へ出て、買い物などをするので、お客さんがいなかったのです。
そんなとある日曜日、父がミーコーではなく、間違ってブラックを私に持ってきてくれました。私は、何も見ずに、考えずに飲んで「お母さん、苦いよぉ
」と言いました。まだ3歳ですから、当たり前
しかし、母が「あぁホントやね
○○ちゃんは、まだ小さいから無理やね
」と言ったのです
私は、負けず嫌いな性格だったので「私、飲めるもん
」と言って飲みました
それ以来、『ブラックで飲むのが、大人で格好良い
』と思い込み、ずっとブラックでした
しかし、23歳の時、尊敬する大学の助教授(しばらく後13年間付き合うことになるのですが)と喫茶店に行った時のことです。その方は、砂糖も、ミルクも入れて飲んでいました
『ほへ
』ってなりました
「え
大人はブラックでしょ?なんか子供ですね
」(ちょっと優越感にひたりながら言ったと思います)すると平然と「両方入れた方が美味しい
」と言われ、さらには、海外では緑茶に砂糖を入れるとか、延々と私の知らない話を教えてくれました
それ以来、彼とコーヒーを飲む時は、両方入れてました。ただ、例外があって
が一緒の時はブラックです。コーヒーが有り有りだと、甘過ぎるんですよね
その後、チョコマカダミアナッツフレーバーなるコーヒー豆との出会いがあり、その場合も、ブラックです。
フレッシュではなく、ホイップクリームや生クリームの乗ったコーヒーの時は、砂糖は入れないので、無し有りってことになるのでしょうか…。
で飲む時は、その時の気分にもよりますが、フレッシュたっぷりに、砂糖少しです。
がある時は、ブラックです。通なフリなんかしないで、自分の好きなように、飲んだり、食べたりしたら良いのだと、彼から教わりました。(他にも様々なことを教わりましたが)
で、私の絶対譲れないことは、フレッシュの代わりに牛乳を入れること
牛乳だと、私には何だか合わない…。とは言え、cafe au lait はフランス語で、英語にすると、coffee in milk なので、私は変形バージョンのカフェオレを、主に飲んでいるということでしょうか

うーたん
ブログネタ第3弾
ブログネタ:今までに見た1番ひどい酔っ払いは? 参加中飲み会などではないのですが、一年ほど付き合った彼氏がいて、デートDVに耐え切れず、別れ話をして、別れました

しかし『ストーカー』という言葉が当時はなかったのですが、今、振り返れば、彼はストーカー化してしまいました

帰宅すると留守番が50件とか、大学に行こうとすると玄関の扉が内側からは開かなくなっていたり、というのが、怒りバージョンで

帰宅すると、真冬なのに水風呂に浸かっていたり、あらゆるアルコールを



ごちゃ混ぜに呑んで、泣き落とし
怒りにも、泣き落としにも弱い私は、本当に辛かったです

それ以外で、困った酔っ払いには、まだ出会ってません

というか、仲間うちで、私が、ダントツに弱いので、仲間が私のことを書くかも
単にすぐ眠くなってしまうだけなんですが
うーたん
ブログネタ第2弾
ブログネタ:電報ってどんな時に使いたい? 参加中私はその他 派
電報を受け取ったことは、数え切れないくらいあります

誕生日
、卒業式、修了式、
結婚祝い
、母が亡くなった時、入学式、合格祝い、成人式…


でも、私は『送られてくるだろうな』と思っていたし、すごい数なので、当たり前になっていました


しかし、母が亡くなった時、NYにいるはずの友人から電報が届いた時は、大泣きしました
とても嬉しかった…傷付いた心に、暖かいものが溢れました


私が贈った電報は、いつまでも元彼を忘れられずに、
誕生日
に電報を贈りました
無記名で…
彼は(当時は
もない時代)『もしかしたら、もしかしたら』という思いで、学校まで仮病を使って休み、その日の0時から0時まで、ず



っと
を、家族に先にとられないようにしていたそうです…。そこへ私の電報が届き、むちゃくちゃ泣いたと、ずいぶん後になって、知りました。お互いに、お互いを忘れられずに、辛くて、苦しくて、僅かな希望を持って5年が過ぎてしまいました
あの5年間は、今は2人とも、良い思い出です
が出て、
が出て、
で
ができるようになり…
お互いに、もう少し遅く産まれていたなら、今も彼とずっと一緒に生きていたと思います



けれど、何もツールのない時代だったからこそ、良い思い出ができたとも、思います

今は、2人は別々に
幸せな生活
を送っています
私が電報を贈った彼が、いつまでも幸せでありますように

そして、13年間付き合った元彼のことも、早くこんな風に、良い思い出に変わりますように

だから、私は電報は【思いがけない時にもらう】【溢れる想いの暗号】という
特別な
贈り物
だと思いますし、そういう使い方をしたいです
うーたん