《二つの世界をつなぐ橋》第2話 自分の足で立つ――「利己」を取り戻す | 「6」 愛の狩人

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自分の足で立つ――「利己」を取り戻す

前回、

「みんなと同じ道」を、

少し外れてみるという話を書きました。

いつもと違う時間に動いてみる。

いつもと違う道を通ってみる。

いつもなら見ないものを見てみる。

自分が「普通」だと思っていることに、

「なぜ❓」

と問いかけてみる。

そうすると、

それまで見えていなかったものが、

少しずつ見えてくることがあります。

けれど、

その次に、

もっと難しい問いが出てきます。

「では、自分は何を基準に選ぶのか❓」

みんなと同じだから、

ではない。

誰かに言われたから、

でもない。

では、

自分は、

何を基準に生きるのか。

ここから、

本当の意味で、

自分の足で立つということが始まるのだと思います。


🌱 私の言う「利己」は、少し意味が違う

「利己」という言葉を聞くと、

自分勝手。

自分だけ得をする。

他人より自分を優先する。

そんな意味を思い浮かべる人が多いかもしれません。

でも、

私がここで使っている「利己」は、

少し違います。

私にとっての利己とは、

自分の足で立つこと。

自分で考える。

自分で感じる。

自分で選ぶ。

そして、

選んだ結果を、

自分で引き受ける。

誰かに人生の答えを預けない。

それを、

私は「利己の確立」と考えています。


🧭 自分で選ぶということ

自分で選ぶ。

言葉にすると簡単ですが、

実際には、

それほど簡単ではありません。

私たちは、

氣づかないうちに、

たくさんのものへ判断を預けています。

親

学校

会社

社会

政治

専門家

テレビ

新聞

SNS

そして、

「普通」という言葉

もちろん、

人の話を聞かないということではありません。

専門家の知識が必要なこともある。

経験者から学ぶことも大切です。

助けてもらわなければならない時もある。

問題は、

誰かの意見を聞いたあと、

最後に決める場所が、自分の中に残っているか❓

ということです。


🌿 「聞く」と「預ける」は違う

誰かの意見を聞くことと、

自分の判断を預けることは、

同じではありません。

いろいろな意見を聞く

情報を集める

経験者から学ぶ

考える

感じる

そのうえで、

最後は、

「自分はどうするのか❓」

を決める。

これが、

自分の足で立つということだと思います。

誰かが言ったから、

失敗した。

政府が決めたから、

こうなった。

会社が言ったから、

仕方がなかった。

親に言われたから、

そうした。

もちろん、

自分ではどうにもならないこともあります。

でも、

何でも外側へ理由を預けてしまえば、

自分の人生なのに、

自分がどんどん不在になっていく。

私は、

そこに違和感を感じます。


🪞 自由には、責任がついてくる

以前、

私はこんなことを感じました。

「何を思い、何をするか❓は、僕の自由なんだ。」

当たり前のことのようですが、

この言葉は、

私の中ではかなり重たいものです。

自由というと、

好きなことができる。

嫌なことをしなくていい。

そんな側面だけが語られがちです。

でも、

自分で選ぶということは、

その結果も、

自分の人生として受け取るということです。

自由と責任は、

別々ではない。

だから、

自分の足で立つことには、

少し怖さもあります。

誰かのせいにできなくなるからです。


🌊 恐怖があっても、一歩を出す

自分の足で立つということは、

恐怖がなくなることではありません。

私自身、

怖さを感じることはあります。

先が分からない。

正解も分からない。

これまでと違う道へ進む。

そんな時、

恐怖は出てきます。

でも、

恐怖が消えるのを待っていたら、

いつまでも動けないこともあります。

だから、

時には、

腹をくくる。

怖い。

分からない。

それでも、

「自分はこうする」

と決める。

私がこの十数年で感じてきたのは、

そういう一歩の積み重ねでした。


🌉 誰かについていくことと、自分で歩くこと

私たちは、

強いリーダーを求めることがあります。

この人なら、

何とかしてくれる。

この人についていけば、

大丈夫。

そう思いたくなる時があります。

特に、

社会が混乱している時ほど、

その氣持ちは強くなるかもしれません。

けれど、

ここには一つ、

氣をつけなければならないことがあります。

誰かが正しい方向を示してくれたとしても、

自分で歩かなければ、

結局、

自分の足は育たない。

そして、

その人がいなくなった瞬間、

また誰かを探さなければならなくなる。

それでは、

依存する相手が変わっただけなのかもしれません。


🌳 本当のリーダーは、人を依存させない

だから私は、

これから必要になるリーダーシップは、

今までとは少し違うものになると思っています。

「私について来なさい」

ではなく、

「あなたは、自分の足で立てますか❓」

と問える人。

答えを全部与えるのではなく、

自分で考えられる余白を残す人。

人を自分へ依存させるのではなく、

その人自身が立てるように手助けする人。

そして、

自分自身も、

誰かに答えを預けず、

先に歩いている。

そんな人が、

これから必要になるのではないかと思っています。


🤲 利己は、利他の反対ではない

ここで、

もう一つ大切なことがあります。

「利己」と「利他」は、

反対側にあるものではない。

私は、

そう考えています。

むしろ、

本当の利他へ進むには、

先に利己が確立されている必要がある。

自分の足で立てていないまま、

誰かを助けようとすると、

自己犠牲になったり、

相手から必要とされることで、

自分の価値を確かめようとしたり、

相手を無意識に依存させてしまうこともある。

だから、

まず自分が立つ。

自分を生きる。

自分を満たす。

そのうえで、

余ったものを、

必要なところへ差し出す。

そこから、

利他が始まる。

私は、

そんな順番なのではないかと思っています。


🌱 自分の足で立つ人が増えたら

もし、

一人ひとりが、

自分で考え、

自分で感じ、

自分で選べるようになったら、

社会はどうなるでしょうか。

誰かが強い言葉を発しただけで、

一斉に同じ方向へ動くことも、

少し減るかもしれない。

誰かが敵だと言ったから、

敵として見る。

誰かが正しいと言ったから、

正しいと思う。

そういうことも、

少しずつ減っていくかもしれません。

自分で立っているからこそ、

自分と違う人が立っていることも、

認められる。

ここに、

次の段階があります。


🌿 違うまま、共に生きる

大切なのは、

みんなが同じ考えになることではありません。

それぞれが、

自分の場所に立つ。

違う考えを持つ。

違う生き方をする。

それでも、

「では、どうすれば一緒に生きられるのか❓」

を考える。

そのためには、

まず、

自分が立っていなければならない。

自分が立っていなければ、

相手へ寄りかかるか、

相手を自分の側へ引っ張ろうとしてしまいます。

だから私は、

大調和へ向かう最初の土台は、

意外にも、

一人ひとりの「利己の確立」

なのではないかと思っています。


🌉 橋は、自分の足で渡る

《二つの世界をつなぐ橋》は、

誰かに運んでもらう橋ではありません。

私は、

私の橋を渡る。

あなたは、

あなたの橋を渡る。

途中で、

同じ景色を見ることもあるでしょう。

一緒に歩くこともあるでしょう。

助け合うこともあるでしょう。

でも、

最後に自分の足を動かすのは、

自分です。

それが、

この橋の出発点なのだと思います。


次回

第3話

本質へ立ち返る――「思い出す」ということ

自分の足で立とうとした時、

次に出てくる問いがあります。

「では、自分とは何なのか❓」

新しい答えを探す前に、

もしかすると、

私たちは、

ずっと前から知っていたものを、

思い出す必要があるのかもしれません。

次回は、

「本質へ立ち返る」ということについて、

考えてみます。

 

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