仏蘭西の街で、
火の手が上がっている。
商店が壊される。
道路が塞がれる。
警察と若者がぶつかる。
煙が立ちのぼる。
映像として観えているものだけを拾えば、
「暴動」
という言葉で片づけることもできる。
誰がやったのか。
何人捕まったのか。
どこの勢力が関わっているのか。
誰が悪いのか。
それを調べていけば、
ある程度の説明はつくのかもしれない。
けれど今回、
映像を眺めながら、
私の中に残ったものはそこではなかった。
何かが氣になる。
何かが、
これまでとは少し違って見える。
その感覚だった。
■ 観えるものと、感じるもの
私はこのところ、
「観える世界」と
「感じる世界」
という二つを、
できるだけ分けずに観ようとしている。
ニュースで確認できるもの。
数字として出てくるもの。
映像として映るもの。
制度として説明できるもの。
それが、
観える世界。
一方で、
なぜか氣になる。
何となく引っかかる。
以前見た何かと重なる。
言葉にはできないけれど、
流れが変わり始めているように感じる。
こちらが、
感じる世界。
もちろん、
「感じたから正しい」
という話ではない。
直感は間違う。
思い込みもある。
自分が見たいものだけを
拾ってしまうことだってある。
だからこそ、
観えるものとすり合わせる。
逆に、
数字だけを追いかけていても、
後にならなければ分からないことがある。
時代が変わる時というのは、
最初から
「今日から新しい時代です」
という看板を掲げて
やって来るわけではない。
何か小さな違和感として現れる。
これまで普通に動いていたものが、
少し動かなくなる。
これまで抑えられていたものが、
少し外へ出てくる。
そしてある時、
誰の目にも見える形になる。
今回、
私が仏蘭西の火を見て感じたのは、
そんなことだった。
■ 火そのものではなく、その前に何が積み上がっていたのか❓
火が見えると、
私たちは火を見る。
当たり前のことだ。
しかし、
火は突然そこに生まれたわけではない。
燃えるものがあった。
乾いていた。
熱が蓄積していた。
そして最後に、
どこかで火がついた。
社会も同じなのではないかと思う。
人々の暮らし。
教育。
仕事。
物価。
格差。
移民。
治安。
税。
国家財政。
政治への信頼。
それぞれを見れば、
別々の問題に見える。
ニュースも普通は、
それぞれ別の記事として扱う。
けれど、
社会の中では本当に
別々に存在しているのだろうか❓
一つのところで余裕がなくなれば、
その影響は別のところへ流れる。
家計に余裕がなくなる。
行政にも余裕がなくなる。
学校にも余裕がなくなる。
治安を守る側にも余裕がなくなる。
人の心にも、
余裕がなくなっていく。
何か一つが原因というより、
それぞれの余白が少しずつ失われていく。
その結果として、
どこかで火が上がる。
そう考えると、
「誰が最初に火をつけたか」
だけを追いかけても、
全体は見えてこないように思う。
■ 私が思い出していたのは、革命だった
今回の映像を観ながら、
私の頭には
フランス革命が浮かんでいた。
もちろん、
今回の騒乱が
フランス革命になる、
という意味ではない。
そんなことは分からない。
私が感じていたのは、
もっと大きな流れのことだ。
歴史を振り返ると、
ある時代が終わり、
次の時代へ移る時、
最初から次の形が
用意されていたわけではない。
古いものが壊れる。
人々が怒る。
街が荒れる。
権威が揺らぐ。
今まで正しいと思われていたものが
信用されなくなる。
そして混乱の中から、
次の仕組みが
少しずつ形を持ち始める。
後世の私たちは、
「フランス革命」
「明治維新」
「産業革命」
と、
一つの名前で歴史を眺めることができる。
しかし、
その中を生きていた人には、
自分が今、
歴史のどこにいるのかなど
分からなかったはずだ。
ただ、
昨日までとは何かが違う。
今までの仕組みが
うまく動かなくなっている。
そんな感覚だけが
先にあったのではないか。
■ 壊す人と、次をつくる人は同じではない
ここでもう一つ、
私が氣になっていることがある。
時代が変わる時、
古いものを壊す力と、
新しいものをつくる力は、
必ずしも同じではない。
街頭で声を上げる人。
先頭でぶつかる人。
建物を壊す人。
火をつける人。
そうした人たちが
歴史の映像には残りやすい。
けれど、
その騒ぎが終わったあと、
税を集める者。
食料を運ぶ者。
治安を維持する者。
行政を動かす者。
制度を設計する者。
組織をまとめる者。
そういう人たちが
必ず必要になる。
そして、
混乱の中で力を示した者の中から、
次の仕組みへ取り込まれる者も出てくる。
役職を与えられる。
仕事を与えられる。
地位を与えられる。
権限を与えられる。
昨日まで外側にいた人間が、
今度は
新しい内側を守る人間になる。
歴史では、
そういう入れ替わりも繰り返されてきた。
だから私は、
表で目立つ人物だけを
追いかけすぎないようにしている。
本当に観たいのは、
騒ぎが終わったあと、何が配置し直されたのか❓
そこだ。
■ 見えないものを「決めつけない」
ここは、
とても大事だと思っている。
何か大きな出来事が起きると、
「裏で誰かが操っている」
「本当の黒幕は誰々だ」
という話へ行きやすい。
けれど私は、
そこを追いかけたいわけではない。
本当に力を持っているものが
表に出てくるとは限らない。
身代わりが出ることもある。
途中で人が入れ替わることもある。
そして何より、
社会という巨大なものは、
一人の人間が思い通りに
動かせるほど単純ではない。
だから、
「誰かがすべてを仕組んだ」
と決めてしまえば、
そこで観察は終わってしまう。
それより、
この出来事によって、誰が得をするのか❓
どの制度が変わるのか❓
どこへお金が流れるようになるのか❓
誰に新しい権限が渡るのか❓
何が当たり前ではなくなるのか❓
その変化を、
後から一つずつ拾っていけばいい。
見えないものを
無理に見ようとしない。
ただし、
見えていないからといって、
何も動いていないとも決めつけない。
その間に立つ。
これが、
今の私には大切に感じられている。
■ 「崩壊」という言葉について
私は最近、
世の中が崩壊していく、
という感覚を持っている。
ただ、
ここでいう崩壊は、
ある日突然、
すべてがなくなるという意味ではない。
これまで当たり前だった仕組みが、
少しずつ役割を果たせなくなること。
それでも外形だけは残っていること。
だから人は、
まだ大丈夫だと思う。
昨日も動いていた。
今日も電車は走っている。
店も開いている。
銀行も開いている。
政府もある。
だから、
何も変わっていないように見える。
けれど、
内部の余白だけが
少しずつなくなっていく。
そしてある時、
一つの出来事をきっかけに、
それまで見えなかった亀裂が
突然表へ現れる。
私は今回の仏蘭西を、
そういう現象の一つなのかもしれない、
という目で観ている。
■ 火の向こうには、まだ何も見えない
では、
次に何が来るのか❓
私は分からない。
フランス政府が
騒乱を収めるかもしれない。
何事もなかったかのように
日常へ戻るかもしれない。
逆に、
別の不満とつながるかもしれない。
労働者へ広がるかもしれない。
政治への不信へ変わるかもしれない。
別の国へ、
似た現象が現れるかもしれない。
今の時点で
結論を決める必要はないと思っている。
ただ、
火の手が上がっている。
その火を、
単なる暴動として見るのか❓
犯罪として見るのか❓
政治問題として見るのか❓
それとも、
時代の内部に溜まっていたものが、
一瞬だけ姿を現したものとして観るのか❓
同じ映像でも、
見え方は変わってくる。
■ 観える世界と、感じる世界をすり合わせる
感じるだけなら、
妄想になるかもしれない。
観えるものだけなら、
後追いになるかもしれない。
だから私は、
観えるものを確認しながら、
その横で、
自分が何を感じているのかも
捨てないでおこうと思う。
今回、
仏蘭西の街に上がった火を見て、
私は、
「誰がやったのだろう」
より先に、
「何かが、表へ出てきたな」
と感じた。
それが何なのかは、
まだ分からない。
だから、
答えを急がない。
少し離れた場所から、
これから何が動いていくのかを観る。
誰が消え、
誰が残り、
何が壊れ、
何が新しく置かれるのか❓
そしてその時、
自分の中にあった感覚と、
現実に起きたことを
もう一度すり合わせてみる。
それでいいのだと思っている。
時代の変わり目というものは、
後から振り返った時に初めて、
「あそこから始まっていたのかもしれない」
と分かるものなのだから。
今はただ、
火の向こう側にある、
まだ形を持たない何かを、
静かに観ていたい。
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ai-kusunoki & 「6」
構造で読む力を、暮らしの中心に。
