大森さんのソロ曲「催し」のビハインド映像を観た。
MVよりも、私はこちらのビハインドの方が好きかもしれない。
「グレイテスト・ショーマン」という映画がとても好きなのだけど、それを思い出した。映画の細かなストーリーというよりも、一つ一つの曲の素晴らしさとパフォーマンスから、登場人物たちの感情の震えみたいなものが伝わってきて、映画を見ながら号泣だったのを覚えている。
何度も観ていて大好きなのは「This is Me」を歌うワークショップの動画で、真ん中で歌う彼女が、震えながら心をオープンにしていく姿や、それに応えるシンガーやミュージシャンやキャストやスタッフたちの魂の交流というか、予定調和ではない奇跡の瞬間が記録されていることの喜びというか、とにかく元気を取り戻したい時に、ふと思い出して観てしまう。
「催し」のMVを観ながら、この作品をつくることで大森さんは何を表現したかったのかと考えた。大森さんの歌詞は、具体的で細かい情景描写みたいなものがあまりなく、その分様々な解釈ができるところが良いのだと思う。孤独感や虚しさ、愛への渇望や不安感、そういう誰もが抱いている気持ちを、本当にピタリと言葉にしてくれていて凄いと思う。
MVの最後で、大森さんに体当たりしてくる人たち。そのぶつかり方が激しくてびっくりする。単純に痛そう、ぶつかる人もぶつかられる人も。大森さんは、その体幹の強さで、ブレることなく前を見据えて進んで来る。ぶつかってくる人がどんどん増えて、前に進むのが困難になるほど、大森さんは本気になって必死に前にずんずん進んで行く。そして、最後はそんな周りをも巻き込んで狂気じみた一体感を見せて、みんなを魅了する。ぶつかってきた人たちも、観ている私たちも、そして多分踊っている大森さん御本人も?
でも、群舞は一瞬で終わり、高揚感でいっぱいの笑顔で解散していくダンサーたち。そしてビハインドを観ると、達成感とも脱力感とも見える表情で歩いていく大森さんが印象的だった。



「ホワイトラウンジ」が好きなのだけど、中でも「ケセラセラ」から「Soranji」への流れが切なくて好き。祭りのあとの静けさの描写が。「風と町」のMVについて話していたように「ファンタジーで結局ありたい」という、大森さんのショーマンであることへの拘りというか、その迷いのなさがすごく素敵だと思う。徹底的にフィクションを演じているからこそ伝わってくる、表現者としてのピュアさ、というか、真剣さと誠実さというか。グレイテスト・ショーマンのワークショップで感じた感動と同じ種類のものだと感じる。
星野源さんが前にどこかで話していたことをずっと覚えていて、東京ドームで何万人もの人たちから歓声を浴びて家に帰ってくると、その覚めない高揚感を抱えたまま洗濯機をまわすという現実に、何とも言えない気持ちになるというか、そんなようなことを言っていた。
大森さんを観ていると、ショーマンである自分と、それを冷静に見つめる自分と、不安や悩みを抱えた一人の人間としての自分と、その多面的な自分というものを全部みせようとしてるのかな、と考えたりする。嘘をつきたくない、誠実でいたいということは、究極的に表も裏も全て表現するということになるかもしれないけど、そんなことをしたら、普通は気が狂ってしまうんじゃないのかな。
大森さんが心身共に健康であることを願います。


それから「催し」のビハインドでは、フィクションじゃない大森さんのかっこよさが沢山見られる。自分のイメージとアイデアを語る姿は自然体で、自信があって、穏やかで、生き生きとしていて素敵。私は人が自分の得意な好きなことを語る姿が大好きだ。
そして、彼の中の宇宙と、それを形にするために酷使される肉体と知性を思って少し切ない気持ちになる。無限に湧いてくるイメージを現実のものにするのってとてつもないエネルギーと忍耐が必要なのだろうと想像する。
もう一つ好きなのが、「え、本当に始まっちゃうんだ」と言いながら少し不安げな表情で何度も確認するところ。「テスト本番…」「テストを兼ねて…テストだもんね?」「本番を兼ねた、テストだよね?」何でもできる天才も、この緊張感をいつも抱えながら自分を更新していくのだと思うと、改めてゾクゾクする。
「催し」は何を歌っているのか、という疑問に対する私の結論は「現在の大森元貴」ということかな、と思う。エンタメを背負う覚悟で、嘘のない言葉を綴りながらフィクションに徹するMrs.GREEN APPLEでの「催し」が終わった後の、自分に戻った表現のような。
カメラの前での彼のエネルギー
存在、群衆の中を歩く様子
周囲の世界は、少し混とんとしていて
狂っていて、面白い
ちょっと風変わりだけど
彼はひたすら歩き続けている
それは、自分が初めて彼に会った時のようなオーラと
存在感を示していると思います
彼は何かを欲しがっていて
それを手に入れる方法を知っていて
手に入れるまで止まらない
このミュージックビデオはその感覚を捉えている
彼が自分の人生で何を望んでいようと
彼は前進し続けるだろう
誰も彼を止められない

大森さんも、Jimmyさんとのクリエイティブについて嬉しそうにこう話していた。
感性もそうですし
こうやって言ったら雑に聞こえるかもしれないんだけど
とっても大事だと思うんだけど
バイブスみたいなものというか
やっぱこうだよね、ああだよねって
もちろんすごく緻密に練られてるんだけど
最初の構想から、着手していくにあたって
すごく緻密になっていくっていうのが
僕が思う映像の今までのやり方なんだけど
Jimmyだったり今回のクルーっていうのは
発想があって着手して
最後にもう一回
バイブスに戻って撮れるみたいなのが
すごく心強かったし、とても楽しかったし
なんか一緒に作ってるっていう感じ
本当に心強かったですね

数か月前に紅白歌合戦で見た「GOOD DAY」のパフォーマンスが完璧すぎて怖い、という理由で興味を持ち始めた大森さんは、いつも「孤独だ」と歌っていて、その正体は何なのか知りたかった。沢山読んだインタビューで辿り着いたのは「熱量が合わない孤独」で、私は想像もしなかった結論にとても驚いた(もちろん単純な理由ではないはずで、人は変わっていくから一つの解釈でしかないけれども)。才能と情熱と実行力に溢れた大森さんが心から求めていたものの一つが、確かにこのビハインドの中にあるんじゃないかと思ったら、ちょっと泣けてくるほどに感動した。
昔何かで読んだ「努力とは」という定義なんだけど、例えば結婚した相手が家事が苦手で、食器洗いが雑で、こっそり後で洗い直していたとして、でもその人は決して文句は言わず「ありがとう。助かる。」と言い続けるのです。それを積み重ねていった先に、洗い直さなくてもいい時がやって来る、と。何というか、私はとても納得して、努力とはこういうことなんだと、ずっと思ってる。何かを手に入れたいと思ったら、手に入れたいと叫ぶだけではダメなんだと。
大森さんは、本当に私たちが想像もできないような「努力の人」なんだと、私は思うのです。
このビハインドがとても好きです。







