生と死、スケールの大きな循環の中での愛を歌っているのかと思ってもみたのだけど、やっぱりそれだけでは説明できない、個人的な体温みたいなものを感じてしまうので、何を歌っている曲なのか時々考えていた。
大森さんが昔作ったという曲を少し聴いていた中で、「私の音」の歌詞を読みながら、「フロリジナル」「Feeling」「露」などと一緒に「They are」を改めて聴いてみたら、実体験から生まれた曲だとご本人が言っているというこの曲で歌われている喪失と「来世でも」は、もしかして関係があるのでは、と思うようになった。
「They are」では、その人を失って初めて、その人が自分にとってどんなに大切な人だったか気づいた、と歌われている。
絶対に取り戻せないと知ってから感じる「君の喜ぶ顔」や「泣きそうな瞳」や「僕を呼ぶ声」と共に生きるのは、本当に寂しくて悲しかったんだね、と思った。
だって、その君が、大森さんの孤独を分かち合ってくれていたんでしょう?と妄想する。
それで改めて「来世でも」を聴いてみたら、大切な人への深い深いラブソングのように思えて、ちょっと震えた。
「分かち合うあなたともう一度 来世でもキスをしよう」
もちろん全て妄想なんだけど、そう考えると「来世でも」を歌う甘く優しい声も、包み込むような優しい歌詞も、温かな体温を感じるような安心感も、すごく納得が行くような気がした。
個人的な温度と、スケールの大きな愛の循環を、こんなにも自然に美しく作品にして歌ったのだとしたら、大森さんは表現の天才じゃん…と鳥肌が立ちつつ、天才という言葉のチープさに愕然とした、という話。
