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メインウェーブ日記

気になるニュースやスポーツ、さらにお小遣いサイトやアフィリエイトなどのネットビジネスと大相撲、競馬、ビートルズなど中心

「人造人間」、すなわち人型ロボットは、SF作品ではおなじみの存在である

現実の技術で、自ら考え行動する完璧な人造人間を作り出すことは、おそらく未来永劫不可能だろう
だが、太古の神話や伝承には、現代人も驚くような精巧さと自我を備えた人造人間が登場することがある

そうした神話に描かれた驚異のメカニズムについて解説していく


1.ゴーレム

ゴーレム(golem)といえば、ゲーム等ではお馴染みの動く巨像のモンスターであるが、元々はユダヤ教の伝説に登場する人造人間である

ゴーレムの作り方は、まずラビ(ユダヤ教の聖職者)が祈祷を行った後、泥をこねて人形を作る
その額に「emeth」と記された札を張り付けることで、泥人形にみるみる生命力が生じ、ゴーレムが完成するとされる

ゴーレムは製作者の命令を忠実に遂行する下僕であるが、扱いが非常に難しく、その運用には細心の注意を払う必要があるという

エリヤ・バールシェム(推定1570~1583年)というラビが使役していたゴーレムは、時が経つにつれ、身長がどんどん伸びていったそうだ

このままでは宇宙を飲み込むほど巨大化してしまうのではないかと危惧したエリヤは、ゴーレムの抹殺を決意する

方法は、札に書かれた「emeth」の頭文字の「e」を消し「meth」にすることである
「meth」は死を意味する言葉であり、こうすることでゴーレムの生命力を断ち、破壊することができるとされている

しかし死への恐れからか、ゴーレムはエリヤに反逆し、その顔に引っかき傷をつけたという

また、別の伝承によるとゴーレムは滞りなく破壊されたが、その瓦礫に押しつぶされエリヤも死んでしまったと伝えられている

イェフダ・レーヴ・ベン・ベザレル(1525~1609年)というラビが使役していたゴーレムは、姿を自在に消したり、死者の魂を呼び出す神通力を持っていたと伝えられている

ユダヤ・キリスト教の伝統には「安息日」という労働を禁じる日が存在する
安息日にはいかなる理由があっても労働は許されず、違反すれば厳しい罰則を受ける場合もある

ゴーレムも例外ではなく、安息日を迎える前夜には額の札を外して停止させるのが慣例であった

ところがある時、レーヴはその札を外し忘れていたことに、安息日の直前になって気づいた
もしゴーレムを働かせたまま安息日を迎えたとなれば、どのような罰を受けるか分かったものではない
加えて、ゴーレムが怒り狂って反逆する危険もあった

慌てたレーヴは急ぎ札の「e」を消し去り、ゴーレムを塵と化したと伝えられている

2.ガラテア

ガラテア(Galatea)はギリシャ神話に登場する、人間に生まれ変わった彫像である

詩人オウィディウス(紀元前43~紀元後17or18年)が著した『変身物語』にて、その存在が言及されている

かつて地中海のキプロス島は、「ピグマリオン」という王により治められていたという
彼は、人間の女性を軽蔑していたと伝えられている

当時キプロス島では売春が横行しており、金のために平気で体を売る女の尻軽さに、ピグマリオンは心底うんざりしていたそうだ

憂さ晴らしのため、象牙を素材に彫刻を始めたピグマリオンだったが、思いがけず見事な女性像を彫ることに成功した

この像があまりにも美しかったためピグマリオンは恋をし、寝食を共にするようになった
像は無機物でしかないため、当然何も反応はしてくれない
だがそれでも、ピグマリオンはかまわず愛を注ぎ続けた

この異常な光景を見かねた愛の女神「アフロディーテ」は、像に生命を与えることにしたという

ピグマリオンは大喜びで彼女を妻に迎え入れ、二人は末永く幸せに暮らしたとされる

3.モックルカールヴィ

モックルカールヴィ(Mökkurkalfe)は、ゲルマン民族の伝承、いわゆる北欧神話に登場する人造人間である

アイスランドの詩人、スノッリ・ストゥルルソン(1178~1241年)が記した『散文のエッダ』にて、その存在が言及されている

(意訳・要約)

ある時、雷神「トール」と巨人「フルングニル」が、決闘をすることになったそうだ。

※参考記事
『酒に敗れた神話の怪物たち』酒呑童子、ポリュペモス、フルングニルの伝承
https://kusanomido.com/study/fushigi/story/102696/#3

フルングニルは巨人たちの中でも屈指の実力者であり、滅法強かった。

だがトールは、北欧神話最強の存在と謳われる存在であり、いかにフルングニルといえど勝ち目は薄い。
そこで仲間の巨人たちは、粘土をこねて巨大な人形を作り、さらに雌馬の心臓を移植することで生命を与え、人造人間「モックルカールヴィ」を生み出したのである。

モックルカールヴィは身長が約72kmほどもある、とてつもない巨体であった。
ところが性格は極めて臆病であり、決戦場に現れたトールを見た途端、恐怖で心臓は震え、挙句の果てに失禁するという体たらくであった。

決戦はトールが勝利し、フルングニルは討ち取られた。

モックルカールヴィはというと、トールの従者である「シャールヴィ」により、いつの間にか殺されてしまっていたという。

こうして見ていくと、神話に登場する人造人間たちは、現代のSFに通じる発想や、人間の創造願望を色濃く反映していることがわかる

人類は古代から、命を作り出すという「神の領域」に憧れ続けてきたのかもしれない

参考 :『Israel der Gotteskampfer der Baalschem von Chełm und sein Golem』『散文のエッダ』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)
 

「人造人間」、すなわち人型ロボットは、SF作品ではおなじみの存在である

現実の技術で、自ら考え行動する完璧な人造人間を作り出すことは、おそらく未来永劫不可能だろう
だが、太古の神話や伝承には、現代人も驚くような精巧さと自我を備えた人造人間が登場することがある


神話に登場する人造人間たちは、現代のSFに通じる発想や、人間の創造願望を色濃く反映していることがわかる

人類は古代から、命を作り出すという「神の領域」に憧れ続けてきたのかもしれない



 

 


良心回路を持つ人造人間ジローは、人の心を持ちながら機械ゆえに苦悩する
巨匠の傑作SF!
人造人間とえば私の子供の頃は「キカイダー」でしたね

世界最速のヘビは何か、とグーグルに質問してみてほしい
たぶん、こんな答えが返ってくるのではないだろうか

「一般に、世界最速のヘビと考えられているのはヨコバイガラガラヘビ(サイドワインダー)であり、そのスピードは時速18マイル(約29km)に達する。ブラックマンバとイースタンブラウンスネークも極めて速く、時速12マイル(約19km)に達する」

これは正しくない
その理由は、このあとすぐに説明する
Chat GPTに同じ質問をすると、もう少しマシな答えが返ってくるが、それでもまだ正確ではない

「世界最速のヘビはブラックマンバ(Dedroaspis polyepis)

主なファクト:

・トップスピード:陸上で最高時速12マイル(時速19km)
・分布:サハラ以南のアフリカの在来種
・体長:大きいものは14フィート(約4.3m)になることもあるが、8~10フィート(約2.4~3m)が一般的
・毒:極めて強力な神経毒をもち、世界屈指の危険なヘビ
・習性:おそろしいという評判とは裏腹に、たいていは人間を避け、追いつめられないかぎり攻撃してくることはない

多くのヘビは瞬間的な攻撃に長けているが、陸上での持続スピードの記録保持者はブラックマンバである」

これらの答えはいずれも正しくない
だが、仮にヘビのレースというものが存在し、ブラックマンバかヨコバイガラガラヘビのどちらかに自分の金を賭けなければならないのなら、私だったらブラックマンバに賭けるだろう

簡単に言うと、『Joural of Experimetal Biology』で最近発表された研究論文でも説明されているように、横ばいの動きは運動学上、スピードを出すには適していないのだ
生体力学研究で測ったところでは、ヨコバイガラガラヘビの地上での速度は時速2.2マイル(約3.5km)前後が上限だった
したがって、ごく普通の速さで歩いている平均的な人なら、この毒ヘビを難なく避けられるだろう

ブラックマンバはそれよりもかなり速いが、それでも世界最速のヘビの敵ではない──いや、世界最速のヘビのグループ、と言うべきだろう
そのヘビたちは、まったく違う移動方法に頼っている
どんな方法かと言えば──滑空だ

世界には滑空するヘビが5種おり、いずれもトビヘビ属(Chysopelea)に属している
それぞれを簡単に紹介していこう

■1.パラダイストビヘビ

パラダイストビヘビ(Chysopelea paradisi)は、空中移動の達人だ
東南アジアに分布するこのヘビは、樹冠から飛び出し、体を平らな翼のような形状にして、宙を「飛んで」、最長100フィート(約30m)以上の距離を移動できる

地上での速さはとりたてて目覚ましいものではないが、このヘビのすごいところは、地上を移動するどんなヘビよりも速く空中を移動する能力だ
飛び出す高さと体の大きさによっても変わるが、『Joural of Experimetal Biology』で発表された研究によれば、このヘビの滑空速度は、最高時速25マイル(約40km)に達するという

体を扁平にして空気抵抗を増やし、落下を抑制することに加えて、このヘビは、空中で横方向に波打つように体をくねらせて滑空中の安定性を高めている
この行動はよく「空中を泳ぐ」と形容される

■2. ゴールデントビヘビ

ゴールデントビヘビ(Chysopelea ornata)も熟練のグライダーだが、近縁のパラダイストビヘビに比べると、熟達ぶりはわずかに劣る
南アジアに広く見られ、滑空のメカニズムはパラダイストビヘビと同じだ
肋骨を扁平にし、凹形状をつくって空気抵抗を増やす

獲物を探したり、捕食者から逃げたりするために樹冠から飛び出す姿がよく目撃される
研究で示されているところによれば、滑空中に軌道を調整する能力があり、モモンガやトビトカゲなどのほかの滑空する動物に匹敵する、敏捷かつ制御された動きができるようだ

トビヘビ属の滑空に関する初期の実験的研究では、高さ135フィート(約41m)のタワーから飛び立ったゴールデントビヘビが、180度旋回し、また同じタワーに着地するところが観察された

■3.ベニトビヘビ

ベニトビヘビ(Chysopelea pelias)は、タイ南部から東のジャワ島、ボルネオ島まで、東南アジアで広く見られる、森林に生息する種だ

通常は体長3フィート(約90cm)に満たない
近縁種と同じく、空中での見事な敏捷性を誇るが、その滑空行動についてはまだあまり研究されていない

トビヘビ属のすべての種の例にもれず、このヘビも弱い毒をもち、後方の牙を使って毒を注入する「後牙類」だが、前述したブラックマンバやヨコバイガラガラヘビのような前方の牙を使う「前牙類」とは異なり、この毒は人間とってはそれほど脅威ではない
ブラックマンバやヨコバイガラガラヘビの毒の方が、はるかに強力だ

■4.モルッカトビヘビ

インドネシアのスラウェシ島とモルッカ諸島の固有種であるモルッカトビヘビ(Chysopelea rhodopleuron)は、トビヘビ属のなかでもあまり研究されていないメンバーだ
とはいえ、解剖学的特徴を見るかぎり、ほかの種と同じように滑空に適応しているようだ

また、裏づけの乏しい現地報告では、このヘビも熟達した飛行家であることが示唆されている
近縁種と同様、日中に活発に宙を飛びまわって、トカゲなどの小型の脊椎動物を狩っていると思われる
地上では到達しえないスピードで滑空し、獲物を追いかけたり、捕食者から逃げたりすることができるのだろう

進化という観点から見ると、このヘビはトビヘビ属のなかでも最古級の種だ
遺伝的分析による推定では、2000万年ほど前に近縁種から分岐したことが示唆されている

■5. ハイオビトビヘビ

ハイオビトビヘビ(Chysopelea taprobanica)はスリランカとインド南部だけで見られ、その生息地は、より広く分布する近縁のゴールデントビヘビと重なっている

1943年に初めて正式に記載されたこのヘビは、トビヘビ属のなかではもっとも最近になってから認識された種で、分布以外のことはほとんどわかっていない
これまでのところ、このヘビの滑空能力はまだ研究されていない

(この記事はForbe JAPANの記事で作りました)

ヘビの中には「空を飛ぶヘビ」トビヘビ属がいるそうだ

トビヘビ属のパラダイストビヘビは空を最高時速25マイル(約40km)で飛ぶそうだ


 

 


多様性に満ちた世界のヘビを、豊富な写真資料と共に一挙掲載!
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戦国時代の日本には、今なお真偽の定かでない奇妙な逸話が少なからず伝えられている

その中でも知られるのが、果心居士(かしんこじ)と呼ばれる幻術師をめぐる逸話である

別名・七宝行者とも呼ばれているが、その正体ははっきりわかっておらず、ただ大まかな出自と摩訶不思議な幻術にまつわる逸話が書物に残されているのみである

果心居士は、在りし日の織田信長や豊臣秀吉など、名だたる戦国武将の面前で幻術を見せたことがあるという

正体は忍者だったという説もあるが、どこの誰に仕えていたのかも定かではない

謎多き戦国時代の幻術師、果心居士にまつわる奇妙な逸話に触れていこう


謎に包まれた果心居士の出自

安土桃山時代末期に記された世間話集『義残後覚』では、果心居士は筑後(現・福岡県南部)出身の人物で、奈良(当時は大和)の興福寺に僧籍を置いていたが、異教の幻術を得意としたために興福寺から破門されたと記されている

果心居士は興福寺の猿沢池にて、群衆を集めてから手に持っていた笹の葉を池に投げ入れた

そして水面を手で軽くたたくと、さざ波が大きな波と変わって浮いた笹の葉が鯉となり、優雅に泳ぎ出したのだという

ちなみに果心居士の「居士(こじ)」とは、在家のまま仏道の修行をする男子のことである

居士を名乗る者は仏教世界において、僧侶に準ずる、もしくは僧侶に匹敵する知識や力量を持つ人物とされている

戦国時代を生きた著名な人物の例でいうなら、茶人の千利休が豊臣秀吉に仕えていた時期に、参内するにあたり正親町天皇より居士の号を賜っている

果心居士は興福寺に破門されてからは、見事な地獄絵を携えて群衆に説法を行い、布施を募りながら上方を放浪するようになったという

松長久秀を幻術で怯えさせる

一説には果心居士は、奈良の戦国大名・松永久秀と面会し、親交を持っていたと伝わっている

久秀は興福寺で偶然、果心居士の幻術を目の当たりにし、やがて居城の多聞城にたびたび招いては言葉を交わしたという
摩訶不思議な幻術を国盗りに役立てようと目論んだ、梟雄・久秀らしい企てがあったとも推測されている

ある日、久秀は果心居士に対して「幾度も修羅場を潜り抜けてきた自分を、恐怖に震えさせることができるか」と挑発する

果心居士は当初、これを固辞したが、久秀が執拗に迫ったため、ついに要求を受け入れた

薄暗くなりつつある夕暮れ時の多聞城
久秀の目の前から果心居士がにわかに消えたと思うと、辺りが突然暗くなり、襖越しの廊下に1人の女の影が現れた

その女は襖を開けて、ゆっくりと久秀のもとに近付いてくる
よくよく顔を見てみれば、その女は久秀の亡き正室だった

「今宵は、他の女の所へ行かれますか・・・?」

女の口から発せられたか細いつぶやき声に久秀は震え上がり、もう止めろと訴えた

すると亡き妻の姿は消えてしまい、いつの間にか果心居士がそこにいたという

斬り殺されたはずなのに再び現れる

ある時、織田信長は巷で評判となっていた果心居士の説法の噂を耳にし、居士を召し出した

信長は、彼が説法に用いていたという見事な地獄絵を所望した

しかし果心居士は、地獄絵の代金として金百両を要求したので、信長は機嫌を悪くした
その時は結局、地獄絵は信長の手元に渡らなかったが、果心居士は帰り道の途中で信長の家臣に斬り殺されて絵を奪われてしまう

そして、信長が家臣から献上されたその絵をいざ広げてみると、ただの白紙になっていた
果心居士を斬った家臣は、信長をたばかったとして牢に入れられた

それからしばらく後、死んだはずの果心居士が、以前と変わらぬ様子で地獄絵を広げ、群衆に説法を行っている姿が再び目撃された

奉行所に呼び出された果心居士は、奪われた地獄絵が白紙になっていた理由を問いただされると、「信長公より正当な代金を賜れば、絵は元どおりに戻るでしょう」と答えた

そこで信長が金百両を払ってやると、まっさらだった白紙にふたたび地獄絵が浮かび上がってきたという

明智光秀の前で、小舟とともに消える

後に本能寺の変で信長を討つことになる明智光秀も、果心居士の評判を聞きつけ興味を抱いた

居城の坂本城に招き、手厚く酒肴を振る舞ったという

無類の酒好きだった果心居士は、礼として幻術を披露することを申し出た
座敷には近江八景を描いた屏風が置かれており、果心居士はその遠景に描かれた小舟を手招きした

するとたちまち屏風の中から水が溢れ出し、座敷一面が水浸しとなった
さらに絵の中の小舟が実際に漕ぎ出して現れた

果心居士はその小舟に乗り込むと、舟は再び屏風の中へと戻り、次第に小さくなって姿を消した

気がつくと水浸しだった座敷も、何事もなかったかのように元通りに乾いていたという

秀吉の過去をあばいて処刑されかける

果心居士は、豊臣秀吉にも幻術を見せている

世にも不思議な幻術の噂を聞きつけて、果心居士を大坂城に呼びつけた秀吉は、自分の目の前で幻術を披露してみろと命じた

果心居士は乗り気ではなかったが、秀吉の要求を条件付きで承諾した
その条件とは、幻術を行う場には側近を含め誰一人立ち入らせず、刀剣などの刃物も一切遠ざけるというものであった

秀吉が条件に従い、何が起こるのかと期待を膨らませて待っていると、やがて部屋が暗くなり、久秀のときと同様に一人の女が忽然と現れた

その女の顔を見て、秀吉は腰を抜かすほど驚いた
恨めしそうな表情を浮かべたその女は、かつて秀吉が戦場に出ていた折に、乱暴して殺した女だったのだ

秀吉は過去の過ちを後悔しており、誰にも話していなかったにもかかわらず、果心居士はその女の幻影を見せた

知られてはならない過去を暴かれたと思った秀吉は、すぐさま果心居士を捕らえさせ、磔の刑を言い渡す

しかし処刑される寸前に、果心居士はネズミに姿を変えて縄を抜け出した

磔柱に駆け上がったそのネズミは、どこかから舞い降りてきたトンビにさらわれ、そのまま刑場から消え去ったという

その正体は夢まぼろしかそれとも忍か

果心居士の名は、『義残後覚』や『玉帚木』『醍醐随筆』『虚実雑談集』など、江戸期に編まれた奇書や世間話集にしばしば登場する
しかしその実在は古くから疑問視され、架空の人物であった可能性も指摘されている

松永久秀に仕えた忍者であったという説もあるが、どの勢力に与していたのかもはっきりせず、もはや果心居士という人物そのものがまるで幻のような存在なのだ

ネズミに姿を変えて刑場を脱したとされる果心居士は、後に因心居士と名を改め、駿府の徳川家康のもとに現れたという

経緯は定かでないが、旧知の間柄であった家康が年齢を尋ねると、「88歳になり申した」と答えた

その後、駿府にとどまった果心居士は、家康にたびたび呼び出され、戦乱の世の昔語りに興じたとも語られている

参考文献
中江克己 (著) 『日本史 怖くて不思議な出来事(愛蔵版)』
清水昇 (著) 『戦国忍者列伝 乱世を暗躍した66人』
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部
 

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

私は戦国のいわゆる「天下」に関わった2人は信長、秀吉だと考える

果心居士(かしんこじ)はこの上の2人を翻弄した幻術師だという

中国で三国時代に時の実力者・曹操を翻弄した左慈を思わせます

 

 


「飛鳥時代に目撃された謎の飛行物体」「京都で突然姿を消し、江戸浅草に落ちてきた男」「信長や秀吉も認めた超能力者・果心居士」「大量の砂利が降ってきた越後の村」「坊主が住む奇怪なかまど」など、過去、日本で目撃された異常な出来事は超常現象か、はたまた宇宙人のしわざなのか?
土蜘蛛伝説や酒呑童子伝説の真実とは?歴史上確かな記録として残る怪奇事件を集大成

天井や柱の木目が見知らぬ人の顔に見えたり、自分しかいない部屋で別の人の存在を感じたり、子どもの時は毎日が恐怖と隣り合わせだった

本書のタイトルは十三篇の「吉本ばなな版遠野物語」という意味だけど、知り合いがそっと語りだした不思議な出来事という感じがする

読みすすめながらドキッとする
いつか、どこかで経験したことがある瞬間が織り込まれているからだ

「花」という短篇にこんなフレーズがある

「我々は、この世に、花を見にきてる。花が見たいから生きてる。でもそのことを生活してる途中で忘れちゃうんだよね」

「花」とは何なのか
物語の中にそれらしい答えはある
だけど物語から一瞬離れて読み手は自分の「花」を探してしまう
フィクションである小説が、人生の深いところへ刺さってくる不思議
自分の「花」を見失わないようにしなければ、と思った。

もっとも興味深かったのは「光」
著者が若かったころの実話、と前置きした一篇

姉の友人の娘Aさんをめぐる話だ
中学時代は明るく元気だったAさんは大学生になって精神の調子を崩し、マンションから飛びおりてしまう

著者の元には時折Aさんから悩み相談の電話がかかってきていた
しかし当時の著者にはAさんより優先すべきことがあった
Aさんが自死を選んだ事実についてさまざまに思考する
彼女を救えなかったという後悔ではない
また、自己弁護でも正当化でもない

個人ではどうすることもできない現実がある
目に見えない念が絡み合うこの世は、そういった因果の中にあるのだろう

冒頭に書いたように、子どもの感受性はそんな念を目にしてしまうのかもしれない
見えないものを見てしまうのは怖いけど、見ずにはいられない。怖くて滋味深く、心温もる短篇集

[レビュアー]中江有里(女優・作家)
なかえ・ゆり/1973年大阪生まれ
法政大学卒
89年芸能界デビュー
多数の映画、ドラマに出演
2002年「納豆ウドン」で第23回BKラジオドラマ脚本懸賞最高賞受賞
産経新聞にコラム「直球&曲球」連載
多数の週刊誌や月刊誌に書評を寄稿
文庫解説も多く手掛け、読書家としても知られ、近年は読書をテーマにした講演も全国で行っている
既刊本に『残りものには、過去がある』『万葉と沙羅』『水の月』など

協力:新潮社 新潮社 週刊新潮

 Book Bang編集部

(この記事はブックバンの記事で作りました)

「遠野物語」は民俗学者・柳田國男の著書で河童などの話が収録されている興味深い書籍

本記事で紹介した「ヨシモトオノ」は吉本ばなな氏による現代版「遠野物語」・・・

自身の体験した怪談も収録されている


 

 


ヨシモトオノとは、吉本ばなな×「遠野物語」!
日常にふと口をあける世界の裂け目
生と死の境界がゆらぐとき――心に小さな光を灯す物語たち
天井の木目に小さな顔があった
何度見ても顔だった
知らないおじさんの顔
木目って人の顔に見えるよなあ、小さいときも風邪を引くと木目がいろんなものに見えたな、と思ったら、そのおじさんがにやりと笑った
こちらの考えを見透かすように(「思い出の妙」より)
民俗学者・柳田國男が地方の不思議な伝承を集めた不朽の名作「遠野物語」
これは「不思議と言えば不思議で、そうでもないと思えばそれっきり忘れてしまう」小さなエピソードを集めた「吉本ばなな版遠野物語」!

【やばい世界史】「海賊」と呼ばれた商人たち――ノルマンディーを築いたヴァイキングの正体
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です
地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります
政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです
地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます
著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏
黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い
近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある


● 海賊と呼ばれた商人たち――ヴァイキングの活躍

ヴァイキングVikingとは入江(フィヨルド)を意味する古ノルド語(古代の北欧言語)vikに由来するもので、その名称自体が「商人」を意味します

海賊をはじめとする商業民族は、故地(縁故のある土地)が農業などに適していないことから商業活動が社会の維持に不可欠です(とりわけ穀物の取引など)
商業が順調なうちはいいものの、停滞すると生活必需品が手に入らなくなるため、彼らにとって死活問題となります
このため、商業活動が停滞すると、非常手段として略奪に走るのです

世界史に登場する海賊は、いずれも商業民族に相当するのです
これは、ミケーネ文明をはじめとする古代ギリシア、中世のヴァイキング、中国の倭寇など枚挙にいとまがありません

さて、スカンディナヴィア半島やユトランド半島を原住地とするヴァイキングは、人口増加や商業活動の停滞から、ヨーロッパ各地に出没し、略奪などを繰り広げるのです
一方で、商業民族の本分として、交易活動の拡大にも貢献します

ヴァイキングは主に3つに大別され、それぞれ、①デーン人(ユトランド半島)、②ノール人(スカンディナヴィア西部)、③スウェード人(スカンディナヴィア東部)と呼ばれます
彼らが後に原住地に建国した国家が、それぞれ①デンマーク、②ノルウェー、③スウェーデンに発展するのです

では、ヴァイキングの進出を読み解いていきましょう

本日はノール人について解説します

ノール人は最も活動範囲が広いです
手始めに彼らは低地地方(ベネルクス3国)や北フランスに侵入します
フランスはセーヌ川やロワール川といった幅が広い河川が多く、喫水の浅いヴァイキング船(ロングシップ)は、大河を遡航しながら内陸の奥深くまで侵攻します

● 「ノルマンディー」の誕生秘話

ノール人の侵攻に苦しんだ西フランク王シャルル3世は、北フランスの一帯を封土としてヴァイキングに与え、後続の侵入者への防波堤にしようと考えます

911年にサン・クレール・シュル・エプト協定が西フランクとヴァイキングで結ばれ、フロールヴ(ロロ)を首長とするヴァイキングの一団は、セーヌ川河口の一帯に定住します
これ以降、この地域は「ノルマンディー」と呼ばれ(ノルマンディー公国の成立)、定住したヴァイキングたちは「ノルマン人」と呼ばれるようになります

ノルマン人は、11世紀にイングランドや南イタリア、シリアにまで進出し、各地でノルマン国家を樹立するのです
この他、ノール人の一派はグリーンランドを発見し、北米にまで入植地を築きます

 (本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』を一部抜粋・編集したものです)

(この記事はDIAMOND onlineの記事で作りました)

● 海賊と呼ばれた商人たち――ヴァイキングの活躍

ヴァイキングVikingとは入江(フィヨルド)を意味する古ノルド語(古代の北欧言語)vikに由来するもので、その名称自体が「商人」を意味します

海賊をはじめとする商業民族は、故地(縁故のある土地)が農業などに適していないことから商業活動が社会の維持に不可欠です(とりわけ穀物の取引など)
商業が順調なうちはいいものの、停滞すると生活必需品が手に入らなくなるため、彼らにとって死活問題となります
このため、商業活動が停滞すると、非常手段として略奪に走るのです

海賊たちは商業を主産業とする商人だったんですね


海賊のひとつ・ノーム人・・・

● 「ノルマンディー」の誕生秘話

ノール人の侵攻に苦しんだ西フランク王シャルル3世は、北フランスの一帯を封土としてヴァイキングに与え、後続の侵入者への防波堤にしようと考えます

911年にサン・クレール・シュル・エプト協定が西フランクとヴァイキングで結ばれ、フロールヴ(ロロ)を首長とするヴァイキングの一団は、セーヌ川河口の一帯に定住します
これ以降、この地域は「ノルマンディー」と呼ばれ(ノルマンディー公国の成立)、定住したヴァイキングたちは「ノルマン人」と呼ばれるようになります

ノルマン人は、11世紀にイングランドや南イタリア、シリアにまで進出し、各地でノルマン国家を樹立するのです
この他、ノール人の一派はグリーンランドを発見し、北米にまで入植地を築きます




 

 


本書は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図を用いてわかりやすく、かつ深く解説した一冊です
地図が語りかける「本当の世界史」

ジョナサン・スウィフト(1667年〜1745年)は、18世紀のイギリス文学を代表する作家です

社会の矛盾や人間の本質を、鋭い風刺を通して描き出したことで知られています

なかでも有名なのが、1726年に発表された『ガリヴァー旅行記』です

架空の航海記という形をとりながら、政治や科学、宗教、そして人間そのものを痛烈に批判したこの作品は、今なお多くの人に親しまれています

スウィフトの著作は、一見、空想的でユーモラスに見えることもありますが、その底には厳しい社会批判と深い絶望感が込められています

なかでも、1729年に発表された風刺的エッセイ『アイルランドの貧民に対する穏健なる提案(A Modest Propoal )』では、衝撃的な内容が提示されました

その内容と、当時の時代背景について触れていきたいと思います


スウィフトの孤独

ジョナサン・スウィフトは1667年、アイルランドのダブリンで生まれました

生まれる前に父を失い、母とも幼い頃に別れるという不遇な境遇の中で育った彼は、幼少期から孤独と貧困に苦しんできました
このような環境が、彼の作品に見られる冷徹な人間観や強い皮肉精神を育んだと考えられます

スウィフトはダブリンのトリニティ・カレッジを卒業した後、政治や宗教への関心を深め、イングランドとアイルランドを行き来しながら文筆活動を続けました

当時の保守的な政党で、現在の保守党の前身にあたるトーリー党の支持者としても知られ、政治パンフレットの執筆を通じて名声を得ていきます

しかし晩年の彼は、長年にわたる病と精神的な衰弱に悩まされ、最終的には認知機能の低下により会話も困難となり、孤独のうちに生涯を終えました

苦しみぬいたアイルランドの民

スウィフトが『アイルランドの貧民に対する穏健なる提案』を著した1729年当時、アイルランドは深刻な苦境にありました

12世紀にイングランド王ヘンリー2世による侵攻が始まって以来、それまで脈々と続いていたアイルランドの土着支配層は次々に滅ぼされ、アイルランドはイギリス本島によって税収を吸い上げられる従属的な土地と化していったのです

さらに17世紀半ばには、イングランドの護国卿オリバー・クロムウェルによる軍事侵攻が行われ、事態は一層深刻化します

熱心な清教徒であったクロムウェルにとって、カトリック国家アイルランドは宗教的にも政治的にも敵であり、多くの市民が虐殺されました
推定では、アイルランドの人口の約3分の1が命を落とすか、国外に追放されたといわれています
加えて、侵攻の直後に流行した疫病がさらに人々の生活を脅かしました

このように長年にわたり積み重ねられた抑圧と暴力の歴史の中で、アイルランドの民衆は極度の貧困と飢えに苦しみ、イギリスに対する強い恐怖と屈辱を植え付けられることになりました

そしてその隷属的な構造は、経済的にも政治的にも固定化されていったのです

こうした悲惨な状況の中で、スウィフトが世に出した『穏健なる提案』は、常識では理解しがたいほどに過激で突飛な内容を含んでいました

飢えと絶望の中で投げかけられた“解決策”

スウィフトの提案は、読む者に暗い感情を呼び起こさずにはいられない内容であり、その要旨は次のようなものでした

「毎年12万人もの貧困層の子が生まれている現在のアイルランドにおいて、全ての子を労働適応年齢まで養育するのは極めて困難である。そのために多くの子殺しや堕胎が起きている。この悲惨な状況から子と両親を救済するために、満一歳になった赤子を富裕層の『食糧』として高額で販売することを提案する」

スウィフトによれば、子どもを育ててから売りに出すにも、6歳未満なら畑も耕すことは出来ず、買い手がつくのはせいぜい12歳以降であるしかしこの年齢を超えるまで育てるのは国家の負担でしかない
従って乳離れをする1歳になったところで、食糧にするのが最も効率が良いというのです

さらに彼は、1歳の子どもであれば体重はおよそ28ポンドに達し、食材としても十分な価値があると述べています
貧困層の親が1人の子を年に2シリングで育て続けるよりも、富裕層が1人あたり10シリングで「購入」することによって、その家庭に経済的利益が還元されると論じたのです

そして最後には、子どもの「再生産」を継続するために必要な数として、およそ2万人を残しておけば問題はないという見積もりまで示していました

狂気か?風刺か?

後に、文豪・夏目漱石はその著書『文学論』の中で、『穏健なる提案』を仮に真面目な政策論として受け取るならば、スウィフトは純然たる狂人であると評しています

もちろん、漱石はこの提案を風刺として読むべきものであり、そうでなければ到底理解しがたいと述べているのです

スウィフト自身と『穏健なる提案』の真意は一体どこにあったのでしょうか

提案の中でスウィフトは、実現に向けた統計や流通の仕組みだけでなく、調理方法に至るまで検討を加えています
そして、単なる狂気では説明がつかないほど緻密に構成されているのです

スウィフトの提案は、当時の政府や富裕層が貧しい人々に向けていた冷酷な態度を、わざと過激な形で表現することで、その非人道性を浮き彫りにした風刺だと考えられます

「子どもを売って食べれば貧困が減り、親も救われる」という発想は、あまりにも突飛で常識外れですが、だからこそ読者の良心に強く訴える力があったのです

スウィフトはこの作品を通じて、上流階級が当然とする搾取の論理を突き詰め、それがいかに非道で暴力的なものであるかを読者に突きつけました

一見すると狂気のようにも思える提案の中には、鋭利な知性と強い怒りが込められていたのです

参考文献:『奇書の世界史』歴史を動かす「ヤバい書物」の物語/三崎 律日(著)
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

ジョナサン・スウィフト(1667年〜1745年)は、18世紀のイギリス文学を代表する作家です

社会の矛盾や人間の本質を、鋭い風刺を通して描き出したことで知られています

なかでも有名なのが、1726年に発表された『ガリヴァー旅行記』です

架空の航海記という形をとりながら、政治や科学、宗教、そして人間そのものを痛烈に批判したこの作品は、今なお多くの人に親しまれています

スウィフトの著作は、一見、空想的でユーモラスに見えることもありますが、その底には厳しい社会批判と深い絶望感が込められています

なかでも、1729年に発表された風刺的エッセイ『アイルランドの貧民に対する穏健なる提案(A Modest Propoal )』では、衝撃的な内容が提示されました


その内容などは・・・

「毎年12万人もの貧困層の子が生まれている現在のアイルランドにおいて、全ての子を労働適応年齢まで養育するのは極めて困難である。そのために多くの子殺しや堕胎が起きている。この悲惨な状況から子と両親を救済するために、満一歳になった赤子を富裕層の『食糧』として高額で販売することを提案する」


この衝撃の内容は狂気か風刺か・・・

後に、文豪・夏目漱石はその著書『文学論』の中で、『穏健なる提案』を仮に真面目な政策論として受け取るならば、スウィフトは純然たる狂人であると評しています

もちろん、漱石はこの提案を風刺として読むべきものであり、そうでなければ到底理解しがたいと述べているのです

スウィフト自身と『穏健なる提案』の真意は一体どこにあったのでしょうか

提案の中でスウィフトは、実現に向けた統計や流通の仕組みだけでなく、調理方法に至るまで検討を加えています
そして、単なる狂気では説明がつかないほど緻密に構成されているのです

スウィフトの提案は、当時の政府や富裕層が貧しい人々に向けていた冷酷な態度を、わざと過激な形で表現することで、その非人道性を浮き彫りにした風刺だと考えられます

「子どもを売って食べれば貧困が減り、親も救われる」という発想は、あまりにも突飛で常識外れですが、だからこそ読者の良心に強く訴える力があったのです

スウィフトはこの作品を通じて、上流階級が当然とする搾取の論理を突き詰め、それがいかに非道で暴力的なものであるかを読者に突きつけました

一見すると狂気のようにも思える提案の中には、鋭利な知性と強い怒りが込められていたのです

これは彼についていた「孤独」とも関係あるかも



 

 


これは、良書か、悪書か?
本書で紹介する奇書とは、数“奇”な運命をたどった“書”物です
「かつて当たり前に読まれていたが、いま読むとトンデモない本」
「かつて悪書やフィクションの類と目されたが、いま読めば偉大な名著」
1冊の本を「昔」と「今」の両面から見ると、時代の流れに伴う価値観の「変化」と「差分」が浮かび上がります
過去の人々は、私たちと比べ、「どこまで偉大だったか」「どこまで愚かだったか」――
そこから得られる「教訓」は、私たちに未来への示唆を与えてくれるでしょう

「名前」とは、あらゆる物に付される識別のための記号である

名称が与えられることで、対象への理解や認識は一段と深まる

時に名前は、異常な長さを持つことがある
たとえば欧米では、祖先や聖人の名をミドルネームとして重ねる慣習があり、結果として非常に長い個人名が生まれることがある
また、動物の学名も「属」と「種」などの分類名を組み合わせて構成されるため、複雑で長大になりやすい

こうした“名の長さ”は、神話や幻想の世界においても度々現れる
ときには、ひと息では言い切れないような長大な名前を持つ怪物や妖精が登場し、その名前自体が物語の鍵を握ることもある

そんな異様に長い名前を持つ怪物伝承をいくつか紹介したい


1.ヘルマフロタウルス・アウトシタリウス

ヘルマフロタウルス・アウトシタリウス(Hermafrotaurus Autositarius)、通称「フタナリウシ」は、スペインの写真家ジョアン・フォンクベルタとペレ・フォルミゲーラによる架空動物図鑑『秘密の動物誌(Fauna secreta)』に登場する想像上の生物である

スペインとフランスにまたがる「ピレネー山脈」に、フタナリウシは生息するとされている
非常に奇妙なことに、この生物は一つの頭に二つの胴体を有しているそうだ
そしてフタナリという名が示す通り、胴体の片方はオスで、もう片方はメスなのだという

どうやらその意識も、オスとメスとで分かれているようであり、メスの意識は常に発情状態にあり、興奮し過ぎて眠ることができない
一方、オスの意識は大抵はグッスリ眠っているのだという

メスが情欲を満たしたくなったときは、「プシー! ヘイッ!」と声を発し、オスを目覚めさせる
そして飛び跳ねながら互いの腰を激しくぶつけ合う、猛烈な交尾をするのだという

突拍子もない生態にもかかわらず、書中では320年も生きたという驚異的な寿命が語られている

2.ホルツリューアライン・ボンネフューアライン

ホルツリューアライン・ボンネフューアライン(Holzrührlein bonneführlein)は、ドイツの民間伝承に登場する妖精である

その名は、作家テオドール・コルシュホルンとカール・コルシュホルンが1854年に編纂・出版した童話集『Märchen und Sagen aus Hannover(ハノーファーの昔話と伝説)』の中で語られている

(意訳・要約)
昔々あるところに、牛飼いの一家と羊飼いの一家が住んでいたという。
牛飼いには娘が、羊飼いには息子がおり、二人は幼いころから相思相愛だった。
二人が成人したとき、息子は娘にプロポーズをし、結婚が決まった。

だが、そんな二人に魔の手が忍び寄る。

ある時、醜い小人の妖精が牛飼い一家を訪ねてきた。
妖精はさまざまな高価な品を家族にプレゼントし、こう言った。

「どうか娘さんを私にください」

しかし娘は妖精のあまりの醜さに、これをはっきりと拒否した。
娘の母親も、妖精の醜さにうんざりしていたが、財宝だけはしっかりと自分の懐に入れていた。

数日後、妖精は再び贈り物を携えてやって来たが、娘はついに怒りを爆発させた。
「醜い者からの施しなど受け取れません。今すぐ帰ってください!」と強く言い放ったのだ。

これに激高した妖精は、目をぎらつかせながら、こう叫んだ。
「ならば、お前の家族が受け取った財宝の代金を払え! 明日の正午にまた来る。そのときにこの私の名を言い当てられなければ、お前をさらって無理やり妻にしてやる! 後悔するがいい!」

そう言い捨てると、妖精は怒気を残したまま去っていった。

一方その頃、羊飼いの息子は、羊を連れて森を歩いていた。
洞窟の近くにさしかかったとき、突風のようにその中へ飛び込んでいく小さな影があった。
あの妖精である。

訝しんだ息子が洞窟の奥へ足を踏み入れると、かすかに歌声が響いてきた。

「ここに座り金を掘っている♪
私の名前は“ホルツリューアライン・ボンネフューアライン”!
この名を知らずに娘は守れまい♪」

息子はその不気味で妙に長い名を、しっかりと胸に刻んだ。

その晩、息子は娘と母親に森での出来事を語り、三人でその奇妙な名前を何度も唱えては覚えた。
言いにくさに苦笑しながらも、どうにか暗記に成功した。

そして迎えた翌日の正午、約束通り妖精が現れ、「さて、私の名前をご存知かな?」と不敵な笑みを浮かべた。

娘の母親はあえておびえたふりをし、「マウゼリッヒ?」「ルップステアート?」などと、見当違いの名を並べた。
妖精はすっかりその気になり、醜い顔をくしゃくしゃにして笑い出した。

「ハッハッハ、惜しいどころかかすりもせんな。娘はもう、私の花嫁ということだ!」

すると娘が静かに言った。
「でもまさか、あなたの名前って・・・ホルツリューアライン・ボンネフューアライン、じゃないですよね?」

その瞬間、妖精は叫び声をあげる間もなく、かき消すように姿を消した。
そして二度とこの世に現れることはなかった。

こうして娘と息子は結ばれ、末永く幸せに暮らしたという。

3.アズキトギトギ・ウメボッシャスイスイ・メンパコロガシ

アズキトギトギ・ウメボッシャスイスイ・メンパコロガシは、富山県の魚津市に伝わる「小豆洗い」の一種と推測される妖怪である

小豆洗いとは日本各地に伝わる妖怪であり、その名の通り小豆を洗うような怪音を立てるとされている
音だけでなく、「小豆洗おか~、人とって喰おか~、ショキショキッ!」などという、恐ろしい歌詞のメロディを口ずさむことでも知られる

このアズキトギトギ・ウメボッシャスイスイ・メンパコロガシの名前については、ウメボッシャスイスイは「梅干しが酸っぱい」を、メンパは「曲げ物(木製の円形容器)の弁当箱」を、それぞれ意味するとされる

この妖怪は、ある名家の屋敷に生えていたカヤの木の内部に棲んでおり、日暮れ時になると坂道に現れ、小豆を研ぐ音やメンパを転がすような音を響かせ、人々を驚かせたと伝えられている

また、この妖怪の名は、夜更かしする子供たちへの“しつけ”にも利用された
大人たちは「早く家に帰らないと、アズキトギトギ(以下略)に誘拐されるぞ!」などと脅かすことで、子供の帰宅を促したのである

これだけ長い名前なのだから、子供たちに与えたインパクトは相当なものであり、効果は絶大であったと考えられる

参考 : 『秘密の動物誌』『とやま民俗 58号 2002年1月』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

落語の「寿限無 寿限無」のように『名前がやたらと長い』世界に語り継がれる「変な名前」の怪物伝承・・・

「名前」とは、あらゆる物に付される識別のための記号である

名称が与えられることで、対象への理解や認識は一段と深まる

時に名前は、異常な長さを持つことがある
たとえば欧米では、祖先や聖人の名をミドルネームとして重ねる慣習があり、結果として非常に長い個人名が生まれることがある
また、動物の学名も「属」と「種」などの分類名を組み合わせて構成されるため、複雑で長大になりやすい

こうした“名の長さ”は、神話や幻想の世界においても度々現れる
ときには、ひと息では言い切れないような長大な名前を持つ怪物や妖精が登場し、その名前自体が物語の鍵を握ることもある


ちなみに偉人で長い名前といえばあのパブロ・ピカソが知られます



 

 


幻想世界の動物たちを紹介
図も多くわかりやすく迫力がある
コンパクトな文庫版(ただし単行本、ハードカバー版の方が図などに迫力がある)

数多の有名武将がしのぎを削り、名声を高めた戦国時代

武将や土豪など、ある程度の地位にある者は戦に勝利すれば、主君から褒美や所領を得られた

しかし、歴史に名を残さない大勢の雑兵たちには、よほど大きな手柄がない限り、大した報酬や優遇措置は与えられなかったという

かの織田信長は「兵農分離」を先駆けて取り入れ、雑兵にも給与として金銭や物資を与え、常時動員可能な戦闘要員として組織化していた

だが、信長が台頭する前から日本各地では戦乱が相次ぎ、多くの農民や雑兵たちが戦に駆り出されていた

なぜ彼らは、少ない報酬で命を懸けて戦に参加していたのだろうか
それは、戦に勝利したときに得られる「うま味」が存在していたからである

戦国時代に行われていた残酷な略奪行為「乱妨取り(らんぼうどり)」について紐解いていく


乱妨取りとは

乱妨取りとは、戦国時代から安土桃山時代にかけて各地で行われていた、戦のあとで雑兵が集落や農地、町屋などから食料や金品、さらには人間を強奪する行為である

「乱妨取り」を省略して「乱取り」とも呼称される

戦国時代の軍隊は、主に総大将のもとに家老や侍大将がつき、その下に足軽大将や足軽・農兵などの下級兵が配属される階層構造で編成されていた

その人数配分は地位の高さに比例してピラミッド型になるため、当然下層を支える身分の低い兵たちの人数が最も多くなる

戦国時代の初期から中期にかけては、大名や武将にも十分な資金がなく、農兵などの雑兵一人ひとりに給与を支給する余裕はなかった
戦で手柄を立てた者には、年貢の減免といった優遇措置が与えられることもあったが、国の情勢次第ではそれすら実現しなかった

一応、戦を本業とする足軽であれば多少の待遇は期待できたが、農業を本職とし、領主に徴兵されたときだけ戦に駆り出される農兵には報酬も配給もなかった

そんな彼らにとっては、戦後の「乱妨取り」こそが報酬だったのである

乱妨取りの実態

では、実際に乱妨取りは、どのように行われていたのだろうか

農兵たちは自軍が戦に勝利すると、勝利の余韻に浸る間もなく敵地の集落に押し入った
そして収穫直前の稲を刈り取って持ち去ったり、民家から金品や家財を強奪したり、人を誘拐したりなど、好き放題に略奪行為を行った

特に、女性や子供は乱妨取りの犠牲になりやすく、身ぐるみはがされて暴行された後に、奴隷として売り飛ばされてしまうことも少なくなかった

奴隷として売られた人々には二束三文の値が付けられ、日本国内の他国に売られるだけではなく、南蛮貿易商に引き渡されて海外に売り飛ばされることもあったという

そんな雑兵たちの乱暴狼藉を、軍の上層部が知らなかったわけではない
むしろ知った上で黙認されていた

多くの戦国大名や戦国武将は、十分な報酬を与えられない代わりに、乱妨取りを利用していたのである

乱妨取りをする雑兵も、敵地の住民に同情などしてはいられない

命がけの戦に参加しているのだから、何か持ち帰れるものを得ることに必死になったのだ

加熱する「乱妨取り」によって起きた武田軍での珍事

甲斐国の武田信玄や越後の上杉謙信など、後世に「仁政」や「義将」として語られる戦国大名たちでさえ、敵地での乱妨取りを黙認するどころか、むしろ公認していたと伝わっている

しかし雑兵の中には、もはや戦には専念せず乱妨取りにばかり夢中になる者も少なからずいた
確かに効率を考えれば、そのような行動に出る者が多くなるのも無理はない

武田信玄は信濃侵攻の際、勝機を見て雑兵たちの士気をさらに高めるため、乱妨取りを許可した
しかし、これを機に戦闘を放棄して陣を抜け出し、略奪に走る者が続出し、軍の統制に深刻な問題を抱えることとなった

しかし乱妨取りを禁じてしまうと、雑兵たちの士気が下がることは目に見えており、掴んだ勝機をみすみす逃してしまうことになりかねない

そこで信玄は、雑兵の士気を下げずに戦に集中させるために、一芝居うつことにした

雑兵たちが乱妨取りに先走るのを抑えるため、各軍の家臣たちに「夢に神が現れ、乱妨取りを戒めた」と語らせ、そのうえで乱妨取り禁止の命令を出したのである

主君の目をかいくぐって抜け出す雑兵も、どこで見ているかわからない神の怒りに触れたくはなかったのだろう

信玄の思惑通りに雑兵たちは乱妨取りを自発的にやめ、戦に集中するようになったという

織田・豊臣による乱妨取り規制

このように乱妨取りは、雑兵の士気を高めるための「必要悪」とされていた

しかし信玄の例に見られるように、勝利目前で兵が油断しやすくなるうえ、田畑の荒廃や住民の減少によって、占領後の復興に多大な時間と費用を要するという問題も引き起こしていた

そこで信長は、無益な被害をもたらす乱妨取りを問題視し「兵農分離策」を推し進めた
兵として雇用した者には経済的な報酬を与え、衣食住を保障する体制を整えたうえで、乱妨取りを禁じ、違反者には厳罰をもって臨んだ

それまで農作業と兵役を兼ねていた足軽を城下に集め、日常的に軍事訓練を施すことで、常時出陣可能な常備軍として再編し、自軍の戦力強化を図ったのである

信長が今川義元と戦った桶狭間の戦いでは、前日の戦で勝利した今川軍の下層兵たちが、乱妨取りのために散開した隙を突き、織田軍が今川本陣に攻め込んで義元の首を取ったとする説もある

信長に仕えた秀吉もまた、乱妨取りを厳しく取り締まり、兵農分離をより徹底して推進した

秀吉は太閤検地によって土地の生産高を正確に把握し、農業は農民のみが従事するものと定めたうえで、武士は兵として村から切り離され、城下に住むよう制度化した

織田・豊臣政権を通じて、足軽の給金は決して多くはなかったが、最低限の衣食住は保障されていたとされる

大坂夏の陣の「乱妨取り」

戦国時代の後期になると、乱妨取りは徐々に減少していったが、完全に姿を消すことはなかった

乱妨取りを禁じていた豊臣軍においても、朝鮮出兵の際には各大名の物資や資金が不足し、現地での略奪が横行した

『島津家記』によれば、島津軍は討ち取った敵兵の証として、遺体の鼻を削ぎ、塩漬けにして日本に送り届けていたという
その中には、女性や子供の鼻も含まれていたとされる

さらに、生け捕られた現地住民は、男女を問わず奴隷として売られていった
もちろん本来は禁止されていた行為だが、兵に十分な報酬を与えられなかったため、大名たちは黙認せざるを得なかったのだ

1615年に起きた大坂夏の陣では、勝者となった徳川軍による大規模な乱妨取りがあったと伝わっている

敗者となった大坂城下の民衆たちは、徳川軍の雑兵たちに老若男女問わず襲撃され、男は偽首として献上するために首を落とされ、女性は身ぐるみを剥がされて乱暴され、子供は誘拐されるなど、凄惨な略奪行為が行われた

真田幸村(信繁)の三女・阿梅は、大坂夏の陣の後に発生した乱妨取りの混乱の中で仙台藩に連行され、片倉重長の侍女となった

後にその素性が明らかとなり、重長の側室に迎えられ、正室の死後は継室になったと伝えられている

戦争勝者による略奪行為は世界中で行われている

江戸時代以前の日本に限らず、乱妨取りに類する略奪行為は時代、国にかかわらず様々な場所で起きている

古代中国の兵法書『孫子』では、戦においては後方からの補給に過度に頼らず、敵地で兵糧を調達することが勝利の鍵であると説かれている

第二次世界大戦では、国際法で略奪行為が禁じられていたにもかかわらず、戦地で勝利を収めた軍は連合国・枢軸国を問わず、金品や美術品、産業資源、さらには人の移送までも行っていたとされる

人間が争いを繰り返す限り、乱妨取りのような行為が完全に消えることは難しいのかもしれない

参考文献
藤木 久志 (著)『【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』他
文 / 北森詩乃/ 校正 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

数多の有名武将がしのぎを削り、名声を高めた戦国時代

武将や土豪など、ある程度の地位にある者は戦に勝利すれば、主君から褒美や所領を得られた

しかし、歴史に名を残さない大勢の雑兵たちには、よほど大きな手柄がない限り、大した報酬や優遇措置は与えられなかったという

かの織田信長は「兵農分離」を先駆けて取り入れ、雑兵にも給与として金銭や物資を与え、常時動員可能な戦闘要員として組織化していた

だが、信長が台頭する前から日本各地では戦乱が相次ぎ、多くの農民や雑兵たちが戦に駆り出されていた

なぜ彼らは、少ない報酬で命を懸けて戦に参加していたのだろうか
それは、戦に勝利したときに得られる「うま味」が存在していたからである

戦国時代に行われていた残酷な略奪行為「乱妨取り(らんぼうどり)」について・・・

乱妨取りとは

乱妨取りとは、戦国時代から安土桃山時代にかけて各地で行われていた、戦のあとで雑兵が集落や農地、町屋などから食料や金品、さらには人間を強奪する行為である

「乱妨取り」を省略して「乱取り」とも呼称される

戦国時代の軍隊は、主に総大将のもとに家老や侍大将がつき、その下に足軽大将や足軽・農兵などの下級兵が配属される階層構造で編成されていた

その人数配分は地位の高さに比例してピラミッド型になるため、当然下層を支える身分の低い兵たちの人数が最も多くなる

戦国時代の初期から中期にかけては、大名や武将にも十分な資金がなく、農兵などの雑兵一人ひとりに給与を支給する余裕はなかった
戦で手柄を立てた者には、年貢の減免といった優遇措置が与えられることもあったが、国の情勢次第ではそれすら実現しなかった

一応、戦を本業とする足軽であれば多少の待遇は期待できたが、農業を本職とし、領主に徴兵されたときだけ戦に駆り出される農兵には報酬も配給もなかった

そんな彼らにとっては、戦後の「乱妨取り」こそが報酬だったのである


「乱妨取り」は形式上は禁じられていたが、実際は「必要悪」として行われていた

戦国大名たちは「黙認」していたのだ


このような「略奪行為」は世界的にあったようだ

戦争勝者による略奪行為は世界中で行われている

江戸時代以前の日本に限らず、乱妨取りに類する略奪行為は時代、国にかかわらず様々な場所で起きている

古代中国の兵法書『孫子』では、戦においては後方からの補給に過度に頼らず、敵地で兵糧を調達することが勝利の鍵であると説かれている

第二次世界大戦では、国際法で略奪行為が禁じられていたにもかかわらず、戦地で勝利を収めた軍は連合国・枢軸国を問わず、金品や美術品、産業資源、さらには人の移送までも行っていたとされる

人間が争いを繰り返す限り、乱妨取りのような行為が完全に消えることは難しいのかもしれない



 

 


「乱妨取り」といわれる「略奪行為」は残念ながら「必要悪」として存在した
奴隷狩りもあったようだ
人間が「最も恐ろしい」のかも・・・

「ワニ」は、恐るべき捕食者である

鱗に覆われた巨大な体と、ひとたび獲物を見つければ容赦なく襲いかかる獰猛さ
その姿に、太古の人類は畏れを抱いた

世界各地には、奇怪な怪物にまつわる伝承が数多く残されているが、中にはワニを正体とするものも少なくない

そんなワニにまつわる恐怖の伝承をひもといていく


1.鼍

鼍(だ)または猪婆龍(ちょばりゅう)は、中国に伝わる妖怪である
古くから知られた存在であり、さまざまな文献にその名が残っている

学者である李時珍(1518~1593年)が著した『本草綱目』によると、鼍は長江(中国最大の川)や洞庭湖(中国で2番目に大きい湖)に生息する怪物であったとされる

全長は約6mほどあり、その姿はヤモリやセンザンコウに似ているという

凶暴で力強く、恐ろしい鳴き声を発し、雨雲を呼ぶなどの神通力も持つ厄介な化け物だが、鱗・肉・脂・肝などには優れた薬効があるとされ、狩猟の対象になることもあったそうだ

作家である劉義慶(403~444年)の著作『幽明録』では、人間に化ける鼍が登場する

ある夜、劉余之という人物の家に賊が10数人ほど入りこみ、娘を誘拐しようとした

劉余之は侵入者どもを抹殺すべく抜刀すると、賊のリーダーと思しき者が、「湖の主である我が会いに来てやったのだぞ!それなのに殺そうというのか!者ども!であえであえ!」などと言い出した

しかし、劉余之は取り合う様子も見せず、ただ無言で刀を振るい続けた
激しい応酬の末、賊たちは散り散りに逃げ去り、家の庭先には奇妙なものが残されていた
それは、狸(たぬき)と鼍(すっぽんに似た巨大なワニのような水獣)の死骸であったという

鼍の正体は、絶滅危惧種である「ヨウスコウアリゲーター」のことだと考えられている

2.オロボン

オロボン(Orobon)もしくはオラボウ(Orabou)は、フランスの探検家アンドレ・テヴェ(1516~1590年)の著作、『La cosmographie universelle』にて言及されている生物である

体長は約3mで、ワニと猫を足したような姿をしているという

その肉は驚くほど不味く、しかも食べた者には尿路結石ができる可能性があるとされている
できた結石は表面が激しく尖っており、腎臓や膀胱を傷つけながら移動し、やがて尿道にまで達することもある
その痛みは凄まじく、意識を失う者さえいるという

それでも、紅海近くの「Marzouan」と呼ばれる山に暮らすアラブ人たちは、ある工夫を凝らしてこの肉を口にする
まず多量の水を飲み、さらにハーブを用いた利尿剤を服用することで、体内に石ができるのを防ごうとするのだ

どれほどの効き目があるのかは定かでないが、毒にも薬にもなるその肉は、奇怪な生物オロボンの名にふさわしい異様さを持っている

3.ラガルト

ラガルト(Lagarto)は、ワニに似た姿を持つ異形の怪物で、海外から日本に伝わったとされる

その名はポルトガル語で「トカゲ」を意味する

江戸時代の天文学者、西川如見(1648~1724年)が著した地理書『華夷通商考』に、この怪物の情報が記されている

ラガルトはきわめて獰猛で邪悪な性質を持ち、陸上では絶えずヨダレを垂らしながら徘徊する
その粘ついた唾液で足を滑らせた獣や人間は、倒れた拍子に生きたまま喰われてしまう

ただし、臆病な一面もあり、獲物を追いかけることはあっても、自らが追われるとすぐに逃げ出す
水中では魚を主に捕食するものの、動きが鈍く狩りは不得手で小魚には見向きもしない
この性質を逆手に取り、小魚たちはあえてラガルトの周囲を泳ぐことで、大型魚から身を守る術としている

体表は硬い鱗で覆われており防御力に優れるが、腹だけは無防備で柔らかい
また、雑腹蘭(サフラン)が生えている場所には、どういうわけか近づくことができないそうだ

江戸後期の中国学者・秦鼎(1761~1831年)の随筆『一宵話』には、蝦夷(北海道・東北地方)でラガルトが目撃された事例が記されている

あるとき、体長約3メートルのラガルトが3匹現れ、魚や獣を食い荒らした
これに対し、蝦夷の人々は討伐に乗り出した
初めは数人が噛まれたが、腹部が弱点であることに気づき、毒矢を用いて3匹すべてを仕留めたという

この出来事を蝦夷人がオランダ人に語ったところ、さらなる情報がもたらされた
そのオランダ人によれば「ラガルトには舌がない。それにもかかわらず、人間の泣き声をそっくりに真似る能力を持つ」というのだ

この声に引き寄せられて近づいた者は、ヨダレによって足元を奪われ、逃げる間もなく捕食される

子どもの泣き声を利用して敵を誘き寄せるという話は、実際の戦争の中でも時折語られることがある
人間の庇護欲を利用した卑劣な手段ではあるが、効果が高いため、残念ながらそうした手法が完全に消える日は遠いのかもしれない

人の想像力が生み出した「怪物」は、ただの空想にとどまらず、時に現実の脅威や恐怖を映し出す鏡でもあるのだ

参考 : 『本草綱目』『幽明録』『La cosmographie universelle』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

「ワニ」は、恐るべき捕食者である

鱗に覆われた巨大な体と、ひとたび獲物を見つければ容赦なく襲いかかる獰猛さ
その姿に、太古の人類は畏れを抱いた

世界各地には、奇怪な怪物にまつわる伝承が数多く残されているが、中にはワニを正体とするものも少なくない

ワニは「現存する爬虫類最強」とも・・・



 

 


中国の妖怪・怪獣・神などについて書かれた書籍
解説や注釈つき

人はなぜ“ありえない存在”に魅了されるのでしょうか?

ドラゴンやユニコーンといった伝説上の生き物は、ただの想像の産物ではなく、時代や文化、そして人間の恐れや願いの投影とも言われています

現代の科学では証明されていないものの、かつて多くの人が「本当にいる」と信じていた“伝説の生き物”たち

日本と世界に伝わる代表的な5つの存在を取り上げ、それぞれの背景や伝説の真相に迫ってみましょう

① 麒麟(きりん)|中国・日本

「麒麟(キリン)」は、神獣として中国の伝説に登場する存在で、日本にも平安時代以降に伝わりました

現代の首の長い動物“キリン”とは別物で、体は鹿、顔は龍、尾は牛、足には馬の蹄とされ、穏やかで聖なる動物として描かれています

特に有名なのは、麒麟が現れると“その地に賢王が生まれる”という吉兆の象徴

戦国時代の織田信長が、自らを麒麟にたとえていたという逸話もあります

なぜこんな生き物が信じられたのか

その背景には、様々な動物の特徴が混じり合った目撃談や、未知の動物への畏敬の念があったと言われています

② ネッシー(ネス湖の怪獣)|イギリス・スコットランド

世界でも有名な“伝説の生き物”の一つが、ネス湖に棲むとされる怪獣「ネッシー」です

1930年代に撮影された写真をきっかけに、世界中の関心を集めました

ネッシーは首長竜のような姿をしており、一部では「古代の生き残りではないか」と考えられてきました

実際に、ネス湖では未確認生物(UMA)の調査が何度も行われていますが、決定的な証拠は見つかっていません

とはいえ、地元の人々や観光客による目撃証言が絶えず、現代においても“いそうな気がする”という想像力をかき立てる存在です

③ 天狗(てんぐ)|日本

天狗は、日本古来の伝承に登場する山の妖怪・神様のような存在です

赤い顔に長い鼻、背中には羽があり、空を飛び、神通力を持つとされます

京都・鞍馬山や高尾山など、各地に天狗伝説が残っており、中には「剣術を授けた」「悪人を懲らしめた」といったヒーロー的な逸話も

また、天狗は仏教や修験道とも深く関わりがあり、“修行の守護者”としても信仰されました

その姿は人間と自然の境界をまたぐ存在として描かれ、人間の力では到底及ばない“自然の力”への畏敬の念が込められています

④ ドラゴン(龍)|世界各地

ヨーロッパや中国、日本など、世界各地に存在する「ドラゴン」は、まさに“伝説の生き物”の代名詞

火を吹く、空を飛ぶ、財宝を守る──その能力や性格は地域によって異なります

中国では皇帝の象徴として神聖視され、日本でも「八岐大蛇」や「龍神信仰」として多くの神社に祀られています

一方、ヨーロッパでは聖ジョージがドラゴンを倒す話が有名で、悪の象徴として描かれることも

恐怖と畏敬、破壊と再生、両面を併せ持つ存在だからこそ、時代を越えて人々を惹きつけてきたのかもしれません

⑤ ユニコーン(一本角の馬)|ヨーロッパ

ユニコーンは、西洋の伝説に登場する白い馬の姿をした神秘的な存在
額に一本の角が生え、純粋で清らかな心を持つ者の前にしか姿を現さないと言われています

中世ヨーロッパでは聖なる生き物とされ、その角は“あらゆる毒を無効化する”と信じられていました

実際には、ナワール(イッカク)の牙などが“ユニコーンの角”として高値で取引されていた歴史もあります

ユニコーンは幻想的な存在として、現代でもアートやキャラクターに多用されるなど、ファンタジー世界の象徴として人気を集めています

おわりに

伝説の生き物たちは、ただの想像上の産物ではなく、人々の文化や信仰、そして自然への畏敬が生み出した“心の投影”でもあります

それぞれの存在には、目撃談や記録、象徴的な意味が込められており、私たちの想像力と好奇心を今もなお刺激し続けています

現実と幻想の境界線を歩くような魅力を持つ、伝説の生き物たち。あなたは、どの存在に心惹かれましたか?

(この記事はFUNDOの記事で作りました)

人はなぜ“ありえない存在”に魅了されるのでしょうか?

ドラゴンやユニコーンといった伝説上の生き物は、ただの想像の産物ではなく、時代や文化、そして人間の恐れや願いの投影とも言われています

現代の科学では証明されていないものの、かつて多くの人が「本当にいる」と信じていた“伝説の生き物”たち・・・


これら「幻獣」や「伝説の生き物」などの多くは複数の動物や特徴を持った「合体獣」です


伝説の生き物たちは、ただの想像上の産物ではなく、人々の文化や信仰、そして自然への畏敬が生み出した“心の投影”でもあります

それぞれの存在には、目撃談や記録、象徴的な意味が込められており、私たちの想像力と好奇心を今もなお刺激し続けています

現実と幻想の境界線を歩くような魅力を持つ、伝説の生き物たち。あなたは、どの存在に心惹かれましたか?


 

 


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