大阪大学の林克彦教授らの研究グループは、オスのマウスのiPS細胞から卵子を作成し、世界で初めて、両親がオスの赤ちゃんマウスが誕生しました
この研究成果は、ヒトの不妊症や染色体異常の治療、絶滅動物の保存にも役立つ可能性があります
※本稿は、茜 灯里『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(集英社インターナショナル)の一部を抜粋・編集したものです
● 哺乳類のオスのiPS細胞から世界初の卵子作成
大阪大学の林克彦教授(生殖遺伝学)らの研究グループは、オスのマウスのiPS細胞(人工多能性幹細胞)から卵子を作り、別のオスマウスの精子と受精させて、赤ちゃんマウスを誕生させることに成功しました
哺乳類のオスのiPS細胞から卵子を作ることができたのは、世界初といいます
研究成果は、2023年3月8日にロンドンで開催された「第3回ヒトゲノム編集に関する国際サミット」で発表され、注目ニュースとして英科学総合誌「Nature」で紹介されました
同誌には15日付で原著論文も掲載されています
「両親がオスの赤ちゃんマウス誕生」のニュースは、国内メディアだけでなく、BBCや英「ガーディアン」紙でも報道され、海外でも強い関心を持たれています
研究の詳細と意義について概観しましょう
● 両親がオスの赤ちゃん誕生の手順
マウスはヒトと同様に、XとYの性染色体の組み合わせで性別が決定します
オス(男性)の細胞にはX染色体とY染色体がつずつ(XY)、メス(女性)の細胞にはX染色体が2つ(XX)含まれています
Y染色体はX染色体より短く、細胞が加齢に伴って繰り返し分裂するうちに消失する場合があることが知られています
そこで林教授らの研究チームは、オス2匹が両親のマウスを作るために次の手順を踏みました
(1) オスマウスから取り出した体細胞(尻尾の皮膚細胞、XY)を、生殖細胞にもなれるiPS細胞にする
(2) iPS細胞を長時間培養して、Y染色体が消失したオスの細胞(XO)を選ぶ
(3) XOになった細胞にリバーシン(薬剤)などを使って、同じX染色体が2本に複製されたXXの細胞を作成する
(4) XXの細胞に、始原生殖細胞様細胞(PGCs様細胞)に分化するような誘導因子や増殖因子を加えて卵子を作る
(5) できた卵子と別のオスマウスの精子を受精させる
(6) 代理母となるメスマウスの子宮に受精卵を移植する
(2)の段階でY染色体が消失した細胞の割合は約6%でした
(5)で作成した受精卵は630個で、(6)を経て誕生した子マウスは7匹でした
受精卵から誕生に至った成功率は約1%ですが、生まれたマウスはいずれも健康で生殖能力も正常とみられています
現段階では失敗が99%と効率が良くない方法ではありますが、林教授は英「ガーディアン」紙の取材に「技術的には10年後に人間で可能になるでしょう」と語っています
● ヒトの不妊症や染色体異常の治療にも役立つ可能性
「哺乳類のオス(男性)同士からの子供を誕生させる技術が開発された」と聞くと、将来、ヒトに応用して男性のカップルが女性の卵子提供者を使わずに子供を持つための基礎研究と思うかもしれません
けれど、今回の研究は、(1)一部の女性の不妊症、(2)染色体余剰、(3)絶滅危惧種の動物の保存など、様々なケースで応用して役立てられる可能性があります
もちろん、いずれも倫理的な議論を十分に尽くす必要はあります
(1)については、たとえば2本のX染色体のうち1本の全部や一部が欠損している「ターナー症候群」の女性は国内に約4万人おり、多くは不妊症とされます
この研究を応用してX染色体を複製できれば、子供を授かれるようになるかもしれません
(2)については、ヒトで23対46本ある染色体でどれかが1本多くなるトリソミー症候群は、21番が3本になるダウン症候群や13番染色体トリソミー、18番染色体トリソミー、性染色体ではトリプルX症候群(XXX、女性)、クラインフェルター症候群(XXY、男性)などが知られています
今回の研究では、ヒトのダウン症のモデル動物である16番染色体が余剰になったマウスで、リバーシン処理によって正常な数の染色体の細胞を作ることに成功しています
将来的には、ヒトのトリソミーの原因究明や治療法の開発につながる可能性があります
(3)については、絶滅危惧種の動物の中には、残りがオスだけ、あるいはメスだけになってしまった場合があります
林教授らは22年12月に「Science Advances」誌で、密猟や環境破壊によって世界でメスが1頭だけになってしまったキタシロサイのiPS細胞から、卵子や精子のもとになる始原生殖細胞様細胞を試験管内で誘導することに世界で初めて成功したことを発表しました
今回の技術を応用できれば、将来的にはオスだけになってしまった場合も、動物の子孫を残すことが可能になるかもしれません
もっとも、今回の研究では気になる結果も出ています
絶滅危惧種の保存を考えた場合、1匹のオスの体細胞からiPS細胞を経て卵子と精子を作り、受精させて子供が誕生させられれば、絶滅から救える動物が増えたり効率が上がったりしそうです
けれど実験では、同じオス個体から得た卵子と精子では、1500個以上の卵子で試したにもかかわらず、子供の誕生には至りませんでした
● 長期間培養によるエラーや代理母の問題も
実用化には、他にどんな問題点があるか考えてみましょう
たとえば、ヒトではiPS細胞から始原生殖細胞様細胞への分化は確立されていますが、その先の卵子への分化はまだ不完全です
実験マウスの寿命は長くても3~4年ですが、それよりもはるかに長いヒトの卵子を作るためにはY染色体の消失に時間がかかり、長期間にわたる培養で異常が発生しやすくなる懸念もあります
今回の成果をヒトに応用するためには、iPS細胞に関するさらなる研究成果や技術的な進歩を待たなくてはならないでしょう
さらに、代理母の問題もあります
たとえ両親がオス(男性)の受精卵の作成に成功しても、誕生させるにはメス(女性)の子宮に移植するか人工子宮を用意する必要があります
人工子宮の研究では、17年にフィラデルフィア小児病院のチームが母ヒツジを用いたものなどがあります
この実験では妊娠105~108日(ヒトの胎児の23週に相当)の母ヒツジから5匹の未熟な胎児を取り出し、「へそのお」を人工肺につなげて、人工羊水に満たされた人工子宮内で4週間育てることに成功しました
けれど、哺乳動物を受精卵から正常な妊娠期間まで人工子宮で育てて出産に至った研究成果はまだなく、ヒトでの実用化には時間がかかりそうです
とはいえ、今回の研究が生殖医療や遺伝子治療、多能性幹細胞の実験に大きな可能性を与えたことは間違いありません
実用化までは猶予がある今だからこそ、先端技術の利用や規制、倫理問題について議論を進めておくことが重要でしょう
【ポイント】
・マウスのオスのiPS細胞から世界初の卵子が作成され、オス同士から子供が誕生した
・研究成果は、ヒトの不妊症や染色体異常の治療、絶滅動物の保存にも役立つ可能性がある
・受精卵の生育には子宮が必要なので、代理母や人工子宮の問題も解決する必要がある
(この記事は、DIAMOND onlineの記事で作りました)
マウスのオスのiPS細胞から世界初の卵子が作成され、オス同士(両親がオス)から子供が誕生したとニュース
生命は元々はメスだけでしたが、多様性や可能性などを広げるためオスが出来た
今回はオスだけで子供が誕生
生命誕生の神の領域ともいえ、倫理的問題もある
それに受精卵の生育には代理母や子宮が必要という問題もある
とはいえ、不妊症、染色体異常の治療、絶滅動物の保存にも役立つ可能性もあり、議論も必要だ
SDGs、生成AI、災害救助のロボット技術など注目の科学トピックスを紹介
本記事の両親がオスのマウス誕生のトピックスも掲載