「ザトペック投法」「2代目ミスタータイガース」の村山実 | メインウェーブ日記

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村山実は、闘志むき出しで全身を使って投げる「ザトペック投法」や「2代目ミスタータイガース」として知られる・・・

 

ちなみにザトペックとは、エミール・ザトペック氏のことで、チェコ(現役当時はチェコスロバキア)の男子陸上選手で、1948年ロンドン五輪で金1(10000メートル)、銀1(5000メートル)、1952年ヘルシンキ五輪で金3(5000メートル、10000メートル、マラソン)を獲得し「人間機関車」といわれる・・・

全身を使い苦しそうに走る姿が村山のある意味悲壮感のある投球と重なり、村山の投球は、「ザトペック投法」と呼ばれた・・・

 

村山は関西大学を出ると、阪神に入団・・・

 

新人の年のオープン戦のプロ初登板が初代ミスタータイガース藤村富美男の引退試合でもあった・・・

 

新人の村山は新人離れした活躍で18勝10敗、防御率1.19で最優秀防御率と沢村賞を獲得したり、無安打ながらエラーで得点の入る珍しい「ノーヒットアリラン」を記録したが、新人王は31本塁打で本塁打王になった桑田武(大洋)・・・

2年目の長嶋茂雄もよく抑えたが、数少ない安打からあの有名な天覧試合のサヨナラ本塁打を浴びる・・・

微妙な判定であったため、村山は生涯「あれはファールだxった」といっていたといわれる・・・

このことで二人のライバル関係ができ、村山は、通算の1500奪三振と2000奪三振を長嶋から奪っている・・・

 

村山は、沢村賞を最多タイの3回獲得したり、戦後唯一のシーズン防御率0点台(0.98)、通算防御率のセ・リーグ記録を記録するなど阪神のエースとして活躍した・・・

 

村山は快速球とフォークを駆使し、エースとして君臨・・・

 

フォークを磨き、多投した・・・

(フォークボールの元祖・杉下茂は、ここぞという時しかフォークを投げなかった・・・)

 

背番号11は、「永久欠番」、前述のように「2代目ミスタータイガース」とも・・・

 

現役引退後は、解説や2度の監督などを歴任・・・

 

1998年死去、享年61歳・・・

 

投手成績

14年、222勝147敗、防御率2.09

MVP1回、最優秀防御率3回、最高勝率1回、最多勝2回、奪三振王2回(当時表彰なし)

野球殿堂入り(日本)1993年

 

監督成績

5年、241勝241敗16分、勝率4割7分1厘