靖国参拝をいちいち報じる必要はあるのだろうか。
前もっていっておくが、私は右寄りではない。といって左寄りでもない。できれば中立。グレーな世界が好みである。
靖国参拝が封じられるにつけ白百合女学園の生徒さんを思い出す。
通学途上に靖国神社の至近を歩くことから、気になっていて機会があってローマ法王庁にどうすれば問うたという。
日本礼賛ものは紹介したくないんだが、経緯がわかるのでこちらもどうぞ。
ラングドン教授支持派のはぐれクリスチャンとしての私は、ヨハネ・パウロ2世猊下は特別な人物だと思っている。
なんといってもエルサレム旧市街地に赴いて嘆きの壁と岩のドームに接した法王猊下である。
ついでにいえば法王庁に支持されれ宣教活動と称してスペインとポルトガルが滅ぼした文明に謝罪すれば満点だった。
日本人はとかく宗教を訝しがるが、神や仏の教えは個人の行動の指針となっている場合が多い。無神を信じている場合にもである。
故に宗教を甘く見てはいけない。
っていうか、「靖国神社にA級戦犯を合祀しているから云々」を議論の俎上にあげようとする方に謹んで申し上げれば、「自分の意に沿う国に政治亡命でもすればいいじゃん」
国の立場とすればあなた方が収めるであろう税収は惜しいだろうが。戦時の政府指導部も、戦地で亡くなった将兵も「国のため」に散ったのだ。その苦痛も理解しないで軽々に反対するな。
私はこれだけが多様性だと思っていない。
っていうか、同性婚が一般的な社会とか行政が認めないとして、「フツーの人間」の行政に認めてもらう必要ある?
性的な差別とか同性婚上での不都合なことは、障害の有無による差別と同様、一般社会や行政の有り様や方針に人権リスクが生じていないか問えばいい。その範疇でがんばれ。機会があれば応援するぞ。
今週も気合い入れて行こー♫
by MOAChans