儒者は寝床の中で目が醒めた。昨晩の酒が体に残っていて、頭痛がする。儒者は昨晩の記憶を巡って、そこで忘れていた約束を思い出した。あの踊り子と会って、最後の挨拶をするはずだった。儒者は布団を捲って立ち上がった。頭の中に多くの蜂を飼っているようだった。儒者はどうにか仕度して、庭に出た。庭には、誰もいなかった。
体を引きずるようにして橋の袂まで来ると、儒者はそこに座り込んでしまった。茶屋の女将がその様子を見て、声をかけた。
「大丈夫ですか?」
儒者は手を上げたが、意に相違して体は動かなかった。女将は茶を淹れてくれた。
「これでも飲んで、少し落ち着くと良いですよ」
儒者は茶を受け取って口に含んだ。茶の香りが鼻腔に広がった。
「もしや、昨晩ここに踊り子が来ていなかったか?」
「いえ、来ておりませんよ」女将は酒臭い儒者を斜めに見ながら言った。
「そうか…茶を馳走になった」儒者は立ち上がって、橋の欄干に掴った。
「ところであなたは、もしかしてカラ国から来た学者先生ではないですか?」女将は少し離れて儒者を見た。
「え?そうだ」儒者は心持ち面を伏せて言った。
「確か徳川さまへの士官を断ったと聞きました。それで、結局一念を貫いてお国に還る事を許されたと…。よかったですねえ。いえね。この国に連れて来られたあちらの方を見る度に、心が痛んでねえ。太閤も死に際に汚点を残したと、昨日も話していたところなんですよ。ところであなた、ご家族はあちらに?」
「いや…独りだ」
女将ははっと口を噤んだ。
「ごめんなさい。余計な口を利いちまったようだね。ホホホ。じゃああたしは店に戻りますよ」
女将が店に戻っても、暫く川面を見ていた。陽の光が川面に映えて、きらきらと光を放っていた。