能登半島地震の自分の体験の覚え書きです。
(人的被害なし、家屋無事)
センシティブな表現も含まれています。
その点お含みおきのうえ、お読みになるかお選びください。
地震の記録。
忘れないうちに書いておこうと思う。
1/1 16時過ぎ。
その時、旦那と2人で自宅にいた。
地震警報が突然けたたましく鳴った。
石油ストーブを消して、テーブルの下に入った。
すぐ収まったので、大したことなかったね、と言ってテレビをつけた。
震源は珠洲市と言われ、パッとテレビに珠洲市が映った。
次の瞬間、また警報が鳴り、テーブルの下に隠れた。
しかし今度は揺れが長い。なかなか止まらない。
こんなはずじゃない、こんなはずじゃない、と揺れている間、頭の中で言葉がよぎる。
室内では、消したストーブの上に置いてあった大根の煮物が鍋ごと転がり落ちる。
自分のいる側でなく、反対側だったのは不幸中の幸い。
揺れが治まると、テレビは津波が来ます!と連呼した。
浜に近いところに住む義母を連れに行かねば!
すぐ電話をして迎えに行くからと言い、安心させた。
旦那は混乱したのか「歩いて迎えにいく」という。
義母は老人車を押してゆっくり歩くのがやっとの高齢者だ。徒歩で避難は無理。
アホ!と、一喝し、車で向かう。
義母の町内は高齢者が多いので、リアルパニック映画。
車がある人は、とにかくここから離れねばと必死で動かし、車のない老人は歩いて近くの小学校に向かっていた。
迎えに行くと、この期に及んで冷蔵庫の中の食品が気になると言う義母。そんなの無視だ!
有無を言わせず、すぐ車に乗せる。
火の元確認し、保険証の入ったカバンを肩から掛けさせ、家の鍵をかけた。
嫁のワタシGJ!
道路は南に向かって大混雑。
途中のコンビニにも、たくさん車が止まっていたが、それよりも南へ!と車を走らせた。
移動中も けたたましく警報が鳴り、車ごとなんども揺れた。怖かった。
やがて義母が尿意を訴えたので、スーパーの駐車場に入るが、店中ガラスが散乱していると入店を断られる。
とあるドラッグストアは、店舗のトイレが外から入れる構造になっているのを旦那が思い出した。
旦那GJ!
店は混乱していたようだが、トイレの鍵はまだかかっていなかった。
これ幸いとまず義母をトイレに押し込み、用をたすよう、座らせる。
もちろん扉全開。
安全確保のため外に私が立った。
途中で店長らしき人がトイレを閉鎖しようとやってきたが、最中の年寄りを追い出すことはさすがにせず店に帰って行った。
義母GJ!
事後は旦那に義母を託し、(旦那は外で済まさせた。お店の方ごめんなさい)私も光の速さで用を足す(怖かったがさすがに扉はしめた)
前の道路では南に向かう車が数珠繋ぎであるため、ドラッグストア駐車場に留まることにする。
やがてトイレは施錠され、店内のあかりが消えた。店員も皆帰った。
しばらく駐車場にいたが、落ち着いてきた様なので19:30に自宅に戻った。
教訓
・トイレは早めに!
地震後、コンビニもスーパーもドラッグストアも商品やガラスの散乱とかで閉められてしまう。(開けてるコンビニもあった)
・年寄り用の非常袋が必要(自分もだけど…)
最低限の中身-オムツ、尿とりパット、ウェットティッシュ、水、飲んでいる薬1週間分、保険証とお薬手帳のコピー(出来ればラミネートして)
・石油ストーブの上に鍋やヤカンを置きっぱなしにしない
向こう側に落ちたから良かったものの…いつもはヤカンもかけてたのでゾッとした