シリアで何が起きているの? | 中東情勢入門? ~マニアがご説明します~

中東情勢入門? ~マニアがご説明します~

 アラビア語・中東政治専攻、治安分析等々、中東8か国を訪問した男が、「遠くてややこしい」と思われがちな中東をご説明します。

(※書きかけですが、公開させて頂きます!
  ※著作権上、掲載できない図や資料は、
リンクを貼らせて頂きました。探してみてね♪)

 中東の国シリアでは、2011年6月から内戦が続いています。
 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、これまでに9万3,000人以上が死亡(2013年6月30日付)し、2013年7月末現在、163万人以上が難民となっています。
 ⇒現在の難民の数(UNHCR)

 今シリアで起こっていることを順序立てて端的に表すと、
 ■ 
2011年3月~8月: 反政府デモが発生し、各地に拡大
 ↓ 
2011年4月~: 政府部隊が反政府勢力に対して弾圧を開始
 ↓ 
2011年6月~: 弾圧に反発した兵士・警察官や市民が、政府部隊に武力で応じる
 ↓ シリア国外からの影響もあって、大規模な内戦に発展
    ・ 世界各地のシリア系移民、周辺諸国の義勇兵、イスラム過激派が、それぞれ反政府派の武装グループに合流
    ・ シリア政府の崩壊を望むトルコ・サウジアラビア・カタールなどが反政府派に武器や資金を提供
 ↓ 内戦がさらに泥沼化&「国際化」
    ・ イスラム過激派が各地で大規模テロ、周辺国のイスラム過激派と協力
    ・ 隣国レバノンの武装組織が内戦に参加
     ・ “化学兵器”の使用に米・英・仏が警戒感を強める

 ⇒つまり、内戦から2年たった今、情勢は「国際紛争」の域に達しつつあるのです。
   日本も決して無縁ではありません。

  8月21日には、首都ダマスカス東郊の緑地一帯(通称「ゴウタ」)で内戦が始まってから最大規模の殺戮が起こり、少なくとも300人以上が死亡しました。
  反政府勢力は「政府部隊が"化学兵器"を使用した」と主張していますが、政府・軍ともにこの主張を否定しています。

  国連調査団がダマスカスで銃撃されるなど、事実関係の確認がほぼ不可能な中、内戦への直接関与を避けてきたアメリカのケリー国務長官は「政府側が化学兵器を使用した」と断定、イギリス・フランスとともに軍事行動までちらつかせています。
 (9月に入ると、シリア政府と親しいロシア政府がアメリカ・フランス両政府との合意に達し、軍事攻撃の可能性は小さくなりました。
  また、イギリス政府は議会に軍事攻撃の承認を拒否されました。)

  10年前のイラク戦争を思い出させるようなシリア情勢・・・・
  このシリーズでは、「なぜ内戦に発展したのか」、「今後どうなるのか」に比重を置き、経緯をご説明したいと思います。

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【内戦に発展するまで】 ①~③

■ 平和な警察国家に訪れた危機

 シリアは少なくとも半世紀以上、中東で最も安全な国のひとつでした。
 隣国のサウジアラビアでは2000年代初め、イラクでは今日も爆弾テロが頻発していますが、シリア国内で発生したテロは、内戦突入前、指を数えるほどしかありませんでした。
 私が2007年にシリア各地を旅行した時も、表面的には平和すぎるくらいの牧歌的な雰囲気で、欧米や日本から多くの観光客・留学生が訪れていました。

 2010年末に"アラブの春"が到来し、エジプトでは政権が崩壊、隣国ヨルダンでも反政府デモが拡大しましたが、当初シリアにとっては「どこ吹く風」という感じでした
 2011年1月~2月にかけて、首都ダマスカスなどで小規模なデモが平和裏に行われましたが、「デモが呼びかけられたものの、政府部隊などを恐れて参加者が集まらない」というケースがあったくらいです。

 しかし、そんな雰囲気を変えたと言われているのが、3月に発生したダルアー事件です。
 南部の町ダルアーで始まったデモが政府部隊に攻撃され、やがて町が部隊に制圧されたことをきっかけに、抗議行動が全国に拡大しました。
 ダルアーのデモは、「反政府的な落書きした子ども達が政府関係者に虐待された」との情報が発端でした。

 政府部隊がデモのさらなる拡大を恐れ、各地で武力を行使するようになると、部隊の中から反政府派の市民の側に転向する者が現れ、反政府派の市民自身も武装するようになります。
 2011年6月、北西部のイドリブ県などでこうした人々が政府部隊と交戦する傾向が顕著になり、瞬く間にほぼ全国が゛内戦状態"に突入したのです。

■ 単純化される内戦の構図

 以上を読んで、
  「国民が政府を嫌になってデモを始めたけど、政府に弾圧されて内戦になったんだ」
 と思う人もいるではないでしょうか。
 もっとよくご存じな方は、「シリア内戦は宗派間の戦い」とおっしゃるかもしれません。
 ・・・しかし、これらはいずれもかなり偏った見方で、情勢の誤解を招きかねません

 マスコミではよく「政府部隊と反政府部隊が・・・」、「アラウィー派とスンナ派が・・・」などと大雑把な報道が行われていますので、無理もないと思います。
 そこで、シリア国内には様々な勢力・人々がいることをご説明します。

 ▽ 「政府」・・・役人だけじゃない

   シリア政府のトップは、アサド大統領です。
   大統領は他のアラブ諸国と同じく、内閣(首相&大臣)を任命し、軍の最高司令官であるため、「政府」と言うと、必然的に背広組と制服組が含まれます。
   中東の警察は内務省という役所が管轄しているので、警察も「政府」の内部機関です。
   
   首相と大臣はたいてい国会議員(人民議会議員)の中から指名されますが、議会は大統領が率いる与党「バアス党」に寡占されています。
   議員と同じく大統領も国政選挙で選ばれますけれども、1970年代以降、バアス党とその支持政党が議席過半数を割ったことはなければ、大統領の得票率が9割を割ったこともありません。
   今のバッシャール・アサド大統領は、1971年からずっと国を率いてきたハーフィズ・アサド大統領の息子で、ハーフィズ氏が死亡した後、急に留学先のイギリスから戻って(というか戻されて)大統領に就任しました。
   つまり、「政府」の中枢はアサド家など一部の勢力に固定されていることが分かります。

   ただ、反政府派の人々からすれば、政府(=アサド政権)を支持する人々もまさに「政府」そのものです。
   政府支持派には、次のような人々が多いとされます:
    ・ビジネスマン、実業家
     ⇒バッシャール氏が2000年代半ばから市場経済改革を加速させた影響
    ・キリスト教徒
    ・各宗派の世俗派
  選挙結果が示すとおりに「国民の9割に支持されているとは」言えませんが、少なくとも゛アラブの春"以前の中東では、アサド政権は比較的強固な支持基盤を維持してきたのです。
  (「アラブ・アメリカン協会(AAI)」がシリアなど中東数か国で行った世論調査によると、アサド大統領は2011年度より前、「中東で最も支持率の高い首脳」でした。)

  最後に重要なのは、「シャッビーハ」と呼ばれる武装集団の存在です。
  彼らはいわばマフィアのようなもので、支持や忠誠心というよりも、雇い主との契約関係で、略奪・襲撃・虐待などの暴力沙汰を引き起こします。
  アサド政権が公に彼らを利用しているかは不明ですが、彼らが政府関係者あるいは支持者の見返りに基づいて、反政府派を弾圧していることは確かです。
  したがって、彼らも当然、反政府派から見れば「政府」の一部なのです。

▽ 「影の権力」・・・アサド大統領は"独裁者"じゃない?

  以上のように説明すると、まるで大統領率いる政府が軍や警察を完全にコントロールしているかのように思えます。
 普通・・・というか、多くのアラブ諸国もそうです。日本だって、総理大臣が自衛隊の最高指揮者ですよね?(警察は違いますが)

 形の上では、アサド大統領も軍の最高指揮者で、内閣を通して警察を統括します。
 が、我が国のシリア現代政治研究の第一人者である青山・東外大教授によると、実態としては、軍・警察などの治安諸機関が『影の権力』を形成し、内閣・議会などの『表向きの権力』を制御しているのです。
 (詳しくはこちらの本をご覧ください)

 治安機関の中でも一番力を持っているのが、マーヒル・アサド司令官(アサド大統領の弟)が指揮する共和国防衛隊と、軍・警察の各部門に設置されている「情報局」(ムハーバラート)です。
 ムハーバラートは事実上の"秘密警察"で、「どこで何をやっているか分からない」ミステリアスな存在。暗殺、市民の監視や拉致に関わってきました。

 各種治安機関、大統領府、内閣のそれぞれが体制維持のために活動し、国家の象徴としてアサド大統領が表に出る実態。
 もしアメリカなどが「アサド政権打倒」や「大量破壊兵器の無力化」を目的にシリアを攻撃する場合、一体何を標的にするのでしょうか?

▽ 「反政府勢力」・・・もはや"多国籍"

 反政府勢力は、アサド大統領を首脳とする政治体制を倒そうとしている人々を一つにまとめた言い方です。
 したがって、『どのように倒すか』、『倒した後にどのような国づくりをするか』、『誰と協力するか』などをめぐって、彼らの考え方はまさに十人十色です。

 まず、大きな違いは「背広組」と「制服組」。
 「シリア反政府・革命勢力国民連合(NSC-ROF)」は、「背広組」主導の連合体で、反政府派の政党・市民団体・デモ団体などの代表者が参加しています。
 背広組は当初、トルコ・イスタンブールに本部を置く「シリア国民会議(SNC)」や、シリア国内でデモの調整や国外への情報発信を行う「地域調整委員会(LCC)」などに分散していましたが、2011年末にこれらのグループをつなぐNSC-ROFがカタールのドーハで結成されました。
 (ちなみに、トルコもカタールもアサド政権の『敵』です)

 NSC-ROFの有力者、特に欧米に亡命していた政治家や実業家は、世界各国政府や国際組織と外交を続けていますが、外交による内戦解決が悲観視される中、武力を通じた政権打倒を目指す「制服組」と協力せざるを得なくなりました。

 こうして、「制服組」の代表格の一つである「自由シリア軍(FSA)」の幹部らが、NSC-ROFの議席を獲得することになりました。
 FSAは、シリア軍・警察や情報機関から反政府派へ転向した将校たち、そして自ら武器を取った民兵から成ります。FSAの「参謀本部」に名を連ねているのは前者の「元高官」たちです。
 「元高官」たちのレベルまではある程度の体系が整えられていますが、実際に戦闘を行っているのは、民兵が中心の「旅団」で、FSA全体に十分な統制が行き渡っているとは言えません。

 反政府勢力間に見られるさらに大きな違いは、「世俗」or「イスラム」です。
 上で挙げたNSC-ROFやFSAは、宗教を問わず、「オール・シリア」で政権を倒そうと言う世俗路線に立っていますが、イスラムの思想を糧に政権を倒そうというグループの存在感が日増しに強まっています。

 

 ▽ 「宗教・宗派」・・・政府/反政府には納まりきらない!   



【"国際化"する内戦】 ④~⑤