クリスマス企画:戦いが止み始める | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察をコンパスに、道中で得た『叡智』を分かちあっています。

皆様こんにちは、そして、メリークリスマス!



 

世界には戦火の絶えない地域もある中、私は先週、自然農の師匠のお宅で仲間たちと平和に餅つきを楽しんでいました。
一人の仲間が「天気の良い日にみんなで餅つきができるなんて、ありがたいことだよね」と言っていました。
平和でなければできない、みんなでの餅つき、そして、師匠や仲間たちが育ててくれた餅米の餅。
こういうことがしみじみありがたいと思えるようになりました。

ところで、クリスマス、と言えば、「イエス・キリストの誕生日」。
この日には、戦争も一時停止することが多いようです。

現実世界とは別に、私の心の中では戦火が絶えない状態がずっとずっと続いてきました。
それが、いよいよ終わりを迎え始めたのです。

あおいが、イエス・キリストさまと対話をしてみることにしました。

🌿イエス・キリストさまとの対話~狭き門より入れ 心の中の戦火を止める

あおい:イエス・キリストさま、目に入れても痛くないと、仰って頂いた、あおいですが・・・どうかお話し頂けませんか?

イエス:おお、友よ、兄弟よ。

あ:友と呼んで頂けるんですか?な、なんて・・・畏れ多い!

イ:畏れを捨てなさい、友なのだから。

あ:あっ、ありがとうございます。
 ところで、今日は、クリスマス企画をしていますので、何かお言葉を頂きたいと思いますが・・・
 先日、「外側に天国をつくろうとする者たちは多いが、内側に天国を見る者たちは少ない」と言うことを聞いた気がします。
 そのことについて、少し対話をしていただけませんか?

イ:わかった、では、天国はどこにあるのか?

あ:内側ですが・・・
 わかりました、内側とは、自分自身の中にです。

イ:友よ、それは、どうやって見出すのかね?

あ:そうですね・・・戦わないこと、と、何度も書き直しているブログ原稿に書いていました。

イ:戦わないこととは、どういうことかね?

あ:具体的には、同じ土俵にいつまでもいない、ということを書きました。
 同じ土俵とは、争いの元になった、「エゴの都合のぶつかり合い」です。
 
イ:あなたが悩んでいる、もう学び終えたと思いたい、あの出来事だが、それは、実は起こっていなかったのではないかね?

あ:えっ?そうなんですか?
 あの、戦いまでは行きませんでしたが、多少の険悪ムードというか、そういうことになった出来事のことですか?

イ:あの出来事は起こらなかった、という『奇跡講座(コース)』の学びをしているね?

あ:えっ、ええ、しましたが・・・でも、まさか、あの出来事が、そうなんですか? そうは思えなかったのですが・・・。

イ:あの出来事で、相手と同じ土俵には最初から載っていなかった。
 あれは、あなたにとっては、学びになるというよりは、相手の学びのためだった。

あ:そうは思えないのですが・・・。

イ:あなたは、もうすでに学んでいたことをやっただけなのだ。
 だから、すでに同じ土俵にはいなかったのだよ、しかし、卒業するきっかけが必要だった。
 だから、その出来事をきっかけにしただけだった。

あ:(卒業する)時期が来ただけ、ということでしょうか。

イ:あなたは学んでしまっていたから、もうあの出来事は起こらなかったのだ。
 そのもとの価値観がぶつかっていたわけではない。
 相手が、相手のエゴがぶつかっていただけだった。
 あなたはただ、あるがままを指摘しただけだった。

あ:そうか、私は、ただ、「愛と調和」の視点(宇宙意識の視点、周囲を考えた視点)で、指摘をしていたからなのですね。
 それが見えました。
 つまり、エゴの都合のぶつかり合いには至らなかったので、「その出来事は起こらなかったも同然」ということなのですね。

 また、お互いが限界を迎えた、ということも見えましたが、どちらかと言えば、私も相手も次のステップがあるのだろう、ということを感じていました。
 ところが、後悔や様々なゴタク想念がやってきた・・・。

イ:そうだ、あなたは、あの出来事そのものからというよりは、その後の「後悔や、自分が悪かったという自責」などに、付き合わない、ということが学びだった。
 「自分があの時ああすれば、あの時ああしなければ」「相手にああ言うべきだったか」「私がああすべきだった」などのゴタク。
 
 あなたは、あなたがあの事件のすべての責任を負えるのかね?
 というより、あなたには起こらなかったことを、背負うのかね?
 だから、疲れるし、だるくなるし、眠くなるし、気分が悪くなるのだ。
 
あ:そ、っそうなんですね?
 だから、最近気分が悪くなっていたのか・・・。

イ:あなたは、すぐに背負ってきてしまう。
 それは、「私が私が・・・」のエゴだ。
 そんなに自分の力がある、と錯覚していることに気付けいていないのだ。
 その人にはその人の学びがあるのだ、あなたが口出しできることではないのだ。
 よく考えてみなさい、その人の神をコントロールできるのかね?
 それは、傲慢だ。

 
あ:そうか、確かに、そう考えると、その学びも「神」からのものですからね、
 その人の「神」への道を乗り越えるのは、その人の学び。
 そう考えると、私が背負ってしまうこと自体が、エゴであり、そもそもできませんね。

イ:関わらなくていいことにわざわざ関わるから、気分が悪くなるのだ。
 それは、意識の上でピシャッと、断ち切ることが大切だ。
 いくら同じ地球上に生きているにしても、「神の言葉」を、正しく受け取ろうという気持ちがなければ、救いようがない。
 エゴでゆがめてしまえば、それはそれまでだ。
 まだそのエゴを楽しみたい者たちもいる。
 その場合には、その意識レベルで救われるだけだ。
 それが悪いわけでは無い。
 「神の部屋は色々ある」と伝えてある。
 それぞれの、神のレベルにあった部屋に行くだけだ。
 

 あなたは、まだまだ「善悪」の虜だね。
 そこをもっとよく観察するといい。
 善悪の虜では、限界を迎えやすくなることはわかっただろう?
 だから、終わった出来事で、後悔などに耳を貸していてはいけないのだ。
 いくら善悪を付けたところで答えは出ない。
 答は、宇宙意識の中にあり、それを元に進めば、無限への扉が開く。
 それ以外に道は、本当はないのだ。
 たくさんあるように見えているが、実はそうではない。
 わたしが言った「狭き門より入れ」だ。
 しかし、聞く者は少ない。
 もちろん、いいところまで来ている者たちは、結構いる。
 

 わざわざ、学びたい人を得るための努力をしよう、などと思わなくていい。
 現世的な、営業的視点は別に持たなくていいのだ。
 時期が来たら、聞きにやってくるだろう。
 それは、神の導きだからだ。

あ:わかりました、ありがとうございました。
 また、アドバイスをよろしくお願いいたします。

 

 今日は、「シンクロニシティ」についての本を、先輩から読ませてもらえました。
 その方の教えているノウハウより、その方の素直な意識状態のあり方が、とても参考になりました。
 これも、導きだと思い、自己卑下をせずに素直に受け取れるようになります。
 少しずつ成長しているようです。
 ありがとうございます。



さて、イエス・キリストさまとの対話、何か参考になったことがありましたか?
「狭き門より入れ」が、一番重要でしたね。
それを意識して学習していれば、自ずと戦わないようになってくる。
それは戦いを我慢するのではなく、戦う必要が無くなってくるのです。
そして、対話の中にありましたが、後悔や様々な忖度、などの想念がドラマを引き延ばし、それが、さも実在したかのように、何度も繰り返し同意させようとします。
「あれをしなかったことで損をした」「あれをしたことで相手は得をしている」などの「幻想」の想念が聞こえてくると、ついそれに耳を貸してしまい、鵜呑みにしては、内的な戦いを繰り替えしていたのでした。
その癖が、いよいよなくなってきているのです。
もちろん、ただ、理解すれば無くなってくる、というわけではなく、「血肉にする努力」をしています。
それが、いよいよ顕在意識レベルにて、結果として表れつつある、ということのようです。

戦いは、「宇宙意識に沿っていれば、無くなってくる、激しい戦火にはならない(小難で済む)」ということです。
しかし、それまでには、様々な戦いの根っこ(分離意識)を見てきました。
「戦いを探すクセ」という意識もあり、それが自分の外で観察できはじめた(反応から離れているということ)ので、そろそろお別れの時期が来ているようです。
「神の平安」を望んでいれば、いずれ叶ってくる、ということが段々わかってきました。
どのようにして至ってきたかは、またもう少し、実践が進んできたら、追い追い個別に詳しく書いていきたいと思います。

学習段階によっては内容がわかりにくいところもあったと思いますが、イエスさまと私が話した中で、何か参考になったことがあれば幸いに存じます。

🌿今年の振り返りと、来年の抱負

今年は、年始めから、父の危篤状態、同じ苦しみを感じたことがあり、辛い年明けでした。
その後、いったん良くなりかけたら、亡くなってしまったのが、三月。
お葬式は、3月11日というシンクロニシティ。
そういう始まりでした。
そして、父のなくなった後の様々な行事ごとをこなし、母が一人で生活できるよう色々サポートをするために、東京との往復がふえました。
父のことが終わると同時に、職場を退職することとなりました。
同時に、新しい出会いも増えてきましたし、久しぶりの再会もありました。
いろいろなことが、幕を閉じ、新しい扉が開いていく感じです。

今年も、たくさんの学びがありました。
特に、母から「あなたは成長した、もう大丈夫」と言われるようになりました。
それは、ずっと近くにいて言われたのが初めてでした。
一つの自信として感じられるようになりました。
自分自身も、最近随分、成長を認められるようになり始めて、なんとなく「私の来た道はこれでよかったのだ」と思えるようになってきました。
統合失調症も、終わりを迎え始めています。そういう想念が流れるときもあります。
ここまでこられたのも、善くも悪くもいろいろな関わってくれた人たちのおかげだったなぁ、と思います。
父が亡くなった今年は、私にとっても、人生の中での大きな一区切りだった感じがします。

日常生活の中では、世の中でいろいろな人たちが、働いてくれているから、いろいろな自分のできない役割をしてくれているから、自分の生活が成り立っている・・・。
そう思うようになりはじめました。
それを考えるだけでも、「戦い」というのは、ある側面だけしか見えないからそうなってしまう(エゴに嵌まってしまう)のだな、と思います。
常に、どんなことも、感謝なんだな、ということが、少しずつわかり始めています。
私たちの目に見えないサポーターからは、「宇宙には喜びしかない」といわれていましたが、少しずつわかり始めています。
それは、以前の私が考えていた、いつもワクワク、とかそういうものではなく、「プラスに見える出来事も、マイナスに見える出来事も、宇宙意識に戻るための道筋なんだ」とわかってきたからです。
とはいえ、実践においては、イエス・キリストさまにも指摘されていたように、まだまだ囚われがあります。
それは、少しずつやっていこうと思います。

皆様にお伝えできた記事は、月1ぐらいでした。もう少し書きたかったのですが、なかなか書けませんでした。
しかし、来年はもっと準備をしていける気がします、状況が整い始めていて、流れができてきました。
ここに来るまでには、根深い部分の気づきの繰り返しがありましたので、それを、少しずつ書き下ろせればいいかなと思っています。
来年は、もっと「自分のことを整理していく」ということや、「自分自身のための時間を取る」と言うことをしていきたいと思います。

成長する前には、たくさんの栄養を蓄えます。
そして、花が開くときがやって来ます。

少しでも今年私が書いた記事が、皆さまの学習のお役に立てていたなら、幸いです。
すこしずつでも、神の言葉を伝えられたり、実践結果を分かち合えたこと、宇宙の采配により続けられてきたことに、感謝を致します。

それでは、皆様、よいお年をお迎えください。

🌿音楽のクリスマスー古くからドイツに伝わるクリスマスソング「エサイの根」 プレトリウス

先週、NHK-FMの「古楽の楽しみ」で紹介されていた曲です。
とても静かで、美しい曲に感動しましたので、掲載することにしました。
旧約聖書の中のイザヤ書から取った歌詞の内容と言われています。(下記参考)
なぜクリスマスソングかと言えば、クリスマスはイエス・キリストの誕生日と言われています。
これまで何度も滅びそうになった「神の教え」を甦らせ、伝えた「イエス・キリスト」の誕生を祝い讃える曲です。
作曲者はプレトリウス(Michael Praetorius) と呼ばれている、ルネッスサンス時代の作曲家です。

動画は、ネットから拝借させて頂いたものですが、美しい教会で、アカペラというのがクリスマスにはぴったりだと言うことで、先輩が見つけてくれました。
どうぞ、お立ち寄り下さった皆様、何度も滅びそうになった神の言葉を、イエス・キリストさまに今もなおこうして伝えてもらえたことに感謝をして、神の子として、私たちも生まれ変わってゆきましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=OAIro_A1CYw&t=16s



(拝借:ELY CATHEDRALさんYouTube動画より)

歌詞
Es ist ein' Ros' entsprungen,
aus einer Wurzel zart.
Wie uns die Alten sungen,
von Jesse war die Art.
Und hat ein Blüm'lein 'bracht;
mitten im kalten Winter,
wohl zu der halben Nacht.

ひとつの若芽が萌え出でた、
か細い根から。
古人が歌い告げたように、
エッサイの切り株から。
そしてそれは小さな花を咲かせた、
寒い冬の、
深い夜のさなかに。

Ros:バラ,若芽・・・マリアを指す
Blüm'lein:小さな花・・・イエスを指す
Jesse:エッサイ・・・古代イスラエル王国の王ダヴィデの父
(この国は「バビロン捕囚」で滅び,神の教えも絶えたかに見えたが,この王朝の血を引く者が神の教えを甦らせ,異邦人達に伝える,という話が『旧約聖書』「イザヤ書」11章にあり。)