高度成長期の幻影から目覚める時 | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察をコンパスに、道中で得た『叡智』を分かちあっています。

こんにちは。もう年末ムードに入ってきました。
私事ですが、最近、突然パートの解雇がありました。
野生の猿が職場付近に現れるようになっていたのですが、イタズラがひどくなり始め、ついにお客さんへの被害も出てくるようになりました。私は傷つきはしませんでしたが、襲われてしまうと危険だからということでの解雇となりました。

熊の被害も、過去最多というニュースを最近よく聞きます。

自分の身近でも起こった野生動物による被害は、「自然と人間との暮らし」の境界について考えるきっかけとなったことがありました。
また、高度成長期からの急激な「経済成長」が、いまだとどまらぬ勢いで「利益優先」の姿勢を続けようと考えている私達のありようについても、見直すきっかけとなりました。
それらを元に気付いたことから、「私たちは何に目覚める時が来ているのか」・・・を今回は話題にしようと思います。
私自身も、頭で理解していたことを血肉にしていく(肉体レベルに浸透させていく)のは、まだまだ先のようですが、今後の学びの方向性になりそうなことなので、皆様と分かち合いたいと思います。

最後には、今回の話題にちなんだ、映画祭や資料展のお知らせをつけています。

🌿環境問題も「共存」の本質的な部分に目覚めなければならない

全国的に次々と起こっている、熊からの被害は、山にどんぐりなどの木の実のような食べ物が減っていることによる、と一般に言われています。熊だけではなく、サルやシカ、イノシシなどの獣たちも、山に食べるものがないから、里に下りてきて、人間たちの作るものの食べ物を食べてしまうと。また、山の持ち主が、お金がかかるから、として山を手入れしなくなった結果、人里と山の境界がわからなくなってしまうぐらい荒れていることなども、一因とも言われています。

また、開発が進むことにより、山の森が伐採され、持続可能なエネルギーとされる大規模太陽光パネルもどんどん作られるために、これに拍車が掛かるため、野生動物の住む場所が減っています。
海外では、人間の食料を賄うための、大規模プランテーションをつくることにより、野生動物の住処がなくなってきているとも言われています。
他にもいろいろなことが起こっています。

しかし、それらは物質的な範囲で見たことです。

私は、もっと奥の背景の部分、本質的な部分に原因があると思われました。
現象界(この世)に起こっている、この野生動物の被害を、「スピリュアルの視点」で見てみました。

すると、意識レベルの話になりますが、
大いなる意識・「創造」のもとでの、人間以外の生命体との「『共存』という意識が見失われているから」ではないか、
また、「共存の大切さ」に気づき始めている人たちも、「物質的な面に囚われすぎてしまっていて、本質的な理解をしていくところにまだ至らないから」ではないか、

という気づきがありました。

🌿姫田忠義さんの民俗映画と縄文時代の阿久遺跡から知る―高度成長期の幻影から目覚める時の到来

11月27日月曜日から12月2日土曜日まで、東京の水道橋と御茶ノ水駅が最寄り駅の、アテネフランセ文化センターで予定されている、姫田忠義さんの没後10年を記念した、「姫田忠義回顧上映」があります。姫田さんは、古くからの人々の暮らしぶり、民族(民俗)風習などを様々な記録映画に残した方です。

高度成長期には、人々の生活が激変してゆきました。その波により、失われてしまいつつある、自然と共に暮らしていた人々の生活の様子が記録されています。
地域に伝わる祭りや、季節ごとの暮らしぶり、七五三などの風習の古くからのありよう、アイヌの方々の暮らしなど、も記録されています。
私の住む地元では、これら作品の上映会が定期的に行われているので、できるだけ参加して、勉強させて頂いています。
代表作には「越後奥三面」というタイトルの、新潟県と山形県の境にある奥三面(おくみおもて)地域に古くから住むマタギの暮らしぶりを記録した2部作の映画があります。
第一部は、古くからのマタギの暮らしぶりと、第二部は奥三面ダム建設が始まった後、マタギ達が山を下りて新しいところで生活をはじめてからの、生活の変化を記録している貴重な記録映画
です。
アテネフランセでの映画祭では、この作品も上映されます。
奥三面では、縄文の遺跡も沈んだようです。

先日私は、長野県諏訪郡原村にある、八ケ岳美術館・原村民俗資料館で開催されている、縄文時代の「阿久遺跡」の展示を見に行きました。
展示の中で最も気になったのは、「阿久遺跡は、その多くが中央高速道の道路下に埋まっている」ということを説明している資料でした。


阿久遺跡の発掘があったのは、高度成長期の昭和50年前後のこと・・・私がまだ赤ちゃんだった時でした。そのあたりで東京と山梨や長野県を横断する高速道路「中央道」の建設が始まりました。その時、道路予定地の辺り一帯に、「縄文時代の祭祀場跡や住居跡」つまり、縄文の遺跡群が見つかったのです。中央道建設予定地には、その中でも結構な割合を占める「住居跡」がありました。


何度も住民や学者たちの反対運動を押し切り、高速道路の中央道は、「迂回は不可能」として建設予定地を変えることはなく、「住居跡」は砂で埋め立てて、そのまま建設されました。


中央道建設前の様子が、なんと、展示会のチラシ

についています、非常に貴重な写真です。ショッキングでした。


※黄色い線(私が引きました)の間が、建設された今の中央道であり、縄文住居跡。上の森の中は、祭祀場だったと言われている。


高度成長期には、団塊世代とそのジュニアにより、人口が増え続けていきます。 

そのため、みんなの生活を現在のように賄うためにも、ダムは必要なこともあったのでしょうし、高速道路も必要なこともあったのかもしれません。今の便利さを享受できるのは、そのおかげではあります。

しかし、その中には、必ず「自然と共にあること」という選択肢ももっと見つけることができたのかもしれません、私には詳しいことはわかりません。

ただ、この時期には、「経済成長」という名のもとに、これら以外にも、様々なものが失われたこともあったのだろうと思います。


私は、動物被害が増加し、過去最多のこの時に、姫田さんの没後10年記念上映というのは、とても意味があるように感じました。


私自身のこれまでの今年の個人レベルの出来事や気づき、世の中の出来事とのシンクロなどを見ていると、

いよいよ、「人間都合やエゴ優先で『物質的な豊かさを追いかける意識』」に、本格的にメスが入ってきたのではないか、と思いました。

やはり、「人が、ある一定の境界を超えて、自然から搾取しつづけていること」が、問題であると感じます。

その背景にあるのが、「経済成長を止めたくない」という考えであり、最近流行のSDGsのありようも、よく見てみると違和感を覚えることがあるのは、この考えから脱却していないから、ということが見えてきます。
何としてでも、エコロジカル(という隠れ蓑をまとってでも)の形で、豊かになりたい・・・。

このような思いに至ったきっかけは、コロナ禍により、人々の生活がかなりスローダウンされた時のことです。
コロナ禍により、グローバリゼーションのシステム類が止まったり、減速を余儀なくさせられ、人々の動きが控えられたことがありました。コロナという「大きな出来事」により、手に入らないものが一時出てきたり、生産がスローダウンすることや、お店が閉まることにより、消費生活にも歯止めがかかりました。
その結果、世界のあちこちで、環境問題の改善が見られたことを、ニュースで知った方々もいらっしゃることと思います。

本来なら、このような大きな負の出来事から目覚めることが大切(=感謝)なのです。


例えば、「それなら、消費ばかり繰り返す世の中の在り様ではない方向に行くべきだな」とか、「搾取するありようは時代の流れではないな」と気づいたり・・・、「循環しないものは、未来に残せないな」とか・・・。


ところが、コロナ禍が終わったと同時に、人々は元のありように早く戻ろう・回復だ、とか、これまでの右肩上がりを止めてはいけない、とばかりに失ったものを取り返そうと躍起になり、経済成長優先を止めようという動きからは遠ざかっているように思います。


そうして、自然界との、お互いの間での、目に見えない犯してはならない境界のようなものをどんどん壊してしまっていて、盲目的になっている人たちも少なくはないと思います。


🌿意識が先にありき


まずは、意識が先にありき、なのが、この世の中です。


人間は、動物より知性があり、人間は最高位に位置しています。人間の知性がエゴに盲目的になり暴走してしまえば、それは、動物に無意識の領域でも被害を及ぼすようです。人間の念はかなり強い影響があります。動物達が狂うようになるのも、私は、なんとなく、人間の意識の暴走の投影のように感じます。しかし、動物達からのしっぺ返しは、ある意味、創造や神からの警告なのでしょう。人間と野生動物を含む自然との境界が、人間の都合によりどんどん崩されているからなのでしょう。


しかし、戦後、人口爆発も必然的に起こったわけですし、それにともなって開発が行われたことも、仕方がない部分もあるとは思います。

それに手を加えることは、今の段階では、無理なことも多いでしょう。

だからこそ、「意識の変化が先にありき」なのです。


意識が、過去のまま変わらないのでは、外側の行動が変わっても、未来は変わらない、ということになります。


先ほど話題にした姫田さんは、自然界の中で「人間だけが特殊化している」と、おっしゃっていました。

その言葉は、強く心に響きました。


『奇跡のコース(奇跡講座)』を、スピリチュアルを学んでくる中で、「特別意識を捨てていく」ように導かれてきたからです。

それは、何も、資本主義社会の中だけではなく、この地球上の生きとし生けるものの中で、ということです。


現代に生きる私たちが、神と共にあるように、再びなるには、この姫田さんの映画は、一つのヒントになると思いました。


いつまでも、人間たちは、高度成長期の幻影を引きずっていられません。恩恵として、便利な技術も発達してきましたが、一方で様々な大切なことが失われたこともあり、分離が極まっているのです。


だからこそ、今は、「意識の統合の時代」が来ているのです。

負の現象を更にひきつけて、やっと目覚める、ということだけは避けたいと思う人がほとんどでしょう。それには、意識レベルで、統合ができる人が増えていくこと。その結果、穏やかに変化が促されて行きます。


過去に起こった、負の出来事からの学びを、どのように、意識の上で統合していくか・・・それが、先を行く者たちに求められているように感じました。


消化には長くかかるテーマですので、私もここにすぐに答えは出せません。また、色々な角度から、考察や検証したこと、実践レポートを書いてゆき、分かち合います。
また、ぜひ、ご参考にお立ち寄りください。
本日もお立ち寄りくださり、ありがとうございました。
何か参考になったことがあれば、幸いです。

🌿参考


🔷没後10年 姫田忠義回顧上映 (東京、水道橋 アテネフランセ文化センター) 

詳細→ 



🔷企画展「縄文前期の巨大祭祀場 阿久」(長野県原村 八ケ岳美術館・原村民俗資料館) 

詳細→ https://yatsubi.com/topics/article.php?post_id=3584