意識を中立に戻すことは大切〜神の中に安らう | The trumpet shall sound!~魂の目覚めの福音をお届けします~

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愛と感謝にあふれた「内なる神」を生きようと出た、意識の統合の旅。想念観察や赦しにより道中で得た『叡智』を分かちあっています。

こんにちは。

元日早々,大地震のニュースが飛び込んできました。

震源地周辺の方々は、年明けを家族みんなで過ごされているときに被災されたのだろうと思うと、とても辛い思いになります。

被災地域にいらっしゃる方々、心よりお見舞い申し上げます。

また、お悔やみ心より申し上げます。

 

ニュースを見て、非常に驚いたり、悲しい思いをされている方々、不安に思う方々もいらっしゃると思います。

それが、世間的にはまっとうな、他者を思いやる同情の心や不安感であっても、場合によっては、事態にエネルギーを注ぐことになります。

第三者の立場にいる私たちにとって何ができるのか、タイトルの通り、メッセージをお伝えしたいと思います。

祈りや光を送ること、愛を送ること、なども大切ですが、ここではさらに一歩進んで、一番大切なことをお伝えしようと思います。

 

また、今年の心の持ち方においても、参考になりますので、ぜひお立ち寄りください。

 

🌿自宅で地震が起こったときに気付いたこと~「神の中に安らう」とは?

 

地震の時間の時、私は自宅でパイプオルガンの演奏のDVDを見ていました。

しかし、いつものように、左後頭部が痛み、胃にかけて気分が悪くて困っていました。

 

その時「神の中に安らう」と閃きました。

それから、「エゴに安らぎを求めているから、痛みが引かなかったのか」と気づいた瞬間に大きく揺れました。

震源地からは離れていますので直接的な被害はありませんでしたが、あまりの長く大きな揺れに驚きました。

 

「神のうちに安らう」ことを、今年は意識した方が良いとわかりました。

これは、「神々からの、宇宙からのメッセージだな」とわかったので、皆様に、自らの実践結果を参考に付けて、お伝えします。

 

🌿熱中状態に気付いて、離れること(客観視の状態になること)、が、まずは第一歩

 

大みそか、私はある会合に参加しました。

波動的には比較的良い場であったのですが、居合わせた人たちが、観察状態ではなく「熱中している様子」でした。

想念観察(自己観察)の立場からすると、「熱中状態」とは、客観視せずに、エゴや現象(外側の出来事)に溺れている状態であり、エゴに囚われていることに気付けない状態を言います。

また、「分析」や「想念を捏ねているとこ」に自覚無くはまり込んでいる状態のことを言います。

この状態をずっと続けていると、当然その意識(思い癖のパターン)に「エネルギー」を注いでいる状態になりますので、

個人レベルでは病、社会レベルでは様々な災害や戦争、などに現象化します。

 

〇プレアデス人からのメッセージ

「集中と熱中について」

 ・・・(省略)

まず熱中について。

これはエゴ体が対象時にすっかり囚われ、身動きすらできない状態を示します(これは対象事の周りを衛星のようにグルグル回るというイメージをもって解釈して下さい)。そしてこの状態が、ある場合に非常に危険な状態を呼んでしまうことがあることを、あなたに言っておきます。捉えられている自己を管理することが非常に難しいこと、また中心の星はあなたの知らない間に危険地帯に侵入していくかも知れない、ということです。

 簡単に言ってしまえば、自己と対象事、また第三者に対し、あなたはほとんど責任が持てなくなるということになるのです。この危険性は、特に集団においては、極端な場合には大量殺戮、集団自決等といった結果になって表れ、個人レベルであるのなら、発狂、ノイローゼ、自殺、肉体上の様々な病となって現れるでしょう。

・・・(以下省略)

 

客観視をしていない場合には、想念に埋没してエネルギーを思い切り増幅しているため、実は「熱気」になる様子が、観察してわかりました。

『メッセージ集』に書いてあったことが、実践において、検証できたと言うことです。

 

「熱中状態」を感じるとき、私の場合には、やけにのぼせたり、胃や胸がムカムカした感じで気分が悪くなってしまいます。

この会合では、何度かそうなりました

そして、気づいて早くみんなの想念の熱気から離れました。

その後、気分が悪くなりそうになる度に、ひたすら、光の瞑想(*下記に付けてあります)をしました。

すると、一気に場の念が静かになりました。

これを繰り返しながら、その場の熱気や自分の気分の悪さから離れました。

そうすることにより、何とか、波動を下げずに、気分が悪くならずに1日やり通せました。

 

何が、今回の話題と関連するかと言えば、

 

クローバーこの背景にあった気づき「エゴに安らぎを求めることを止めていく」ということ。

 

もし、それを集団レベルで増幅したら、どうでしょうか?

プレアデス人の『メッセージ集』によれば、「熱中状態」が引き起こすものは、上述の通りです。

実際、私が大みそかの集まりで感じたことが、集団レベルで引き起こされれば、何か大きな現象が起こるんだろうな、という感じはしていました。

 

例えば、最近の温暖化は、一つのいい例のようです。

波動上昇とともに、人々の表面意識の下に埋もれている分離意識についてうまく対処できないために、何とかしようと「熱中状態」になります。

それが、場合によっては、二次的に「何か現象を引き起こす」ということにもなるようです。

 

何とかしようと「熱中状態になる」というのは、プラスもマイナスも(ポジティブもネガティブも)あります。

ネガティブな場合になれば、エゴの闇に埋没し、引き籠もったり、戦いを挑んだり、自己否定や卑下を頭の中で繰り返したり、不安恐怖から投資や保険などにどんどん金をつぎ込んだり、病に埋没していったり、などです。

ポジティブな場合になれば、外向きの行動に出て行くことが多いので、エゴの闇をひたすらごまかすために、飲みに行くとか人に会うとか、買い物とか、ビジネスでもいいですが、激しく行動的になることもあります。

 

このように、「エゴの都合」に合わせた行動に気付かなければ、自覚無しにエネルギーを注いで、分離状態を深めていくことになります。

しかし、エゴレベルの自分は、不安の反動でエゴ的に心地よい安らぎに執着しますので、その境地を繰り返味わいたがったり、そこから離れたくなかったりすることで、分離が維持されます。

「熱中状態で、エゴに囚われている」とは、そのような状態なのですが、エゴレベルの自分は、「神の内に休らうこと」が真に心地よい・・・などとは思わず、むしろ居心地悪かったり感じているものなのです。

 

では、この状態が問題なら、どうすればいいか・・・ということです。

 

「エゴに安らぎを求める」ということは、自覚している範囲でやれるよう、「想念観察」などの「客観視」の状態の姿勢を作ることが、何よりも大事になります。

今、エゴという衣をまとっていることを自覚しながら、いずれこのエゴは卒業する」ということを自覚していることが大切です。

そこに気付いているのと、気付いていないのとでは、「進化」に大きな違いをもたらします。

また、地球の平和に貢献し、平穏な世界を望む場合には、そこが重要な「ポイント」になります。

もちろん、病からの回復や人間関係の改善など、個人のレベルでも同じです。

他者がもし、「エゴに熱中状態」であることに気付いたら、それを「赦すこと」も大切です。

しかし、他者のエゴの熱中状態に、「迎合」したり「同意」してあげることとは違いますので、注意が必要です。

逆に、他者のエゴに「反発」しまくるのも違います。批判はあっても、それに気付くことです。

それは、自分自身においても言えます。

エゴ(の想念)に、同意し、迎合したり、反発したりしても、気付いては「赦すこと」を、その都度していきます。

 

そして、「神のありよう」を、真理の本で知っておくことが大切です。

私は、何度も不安や恐怖になるたびに、「本物の真理の本」を繰り返し読みました。

「神の世界のありよう」と、自分がエゴに嵌まっているありよう、の差額を知っておくことが大切です。

それにより、「どういう時にエゴ的安らぎを求めているのか」ということが、わかってくるようになってきます。

判ってきた、ということは、その熱中状態から離脱した、浮き上がってきた(アセンションし始めた)ということになります。

 

~☆~☆~

 

こう書いている私自身も、ここまで来るには結構今まで苦労しました。

しかし、努力するのとしないのとでは、大違いになります。

できること、理解できたことから、一歩ずつ、進んで頂ければ、と思って「神からのメッセージ」として、書いています。

 

色々理屈を書きましたが、意識の方向性や、進化(神との一体化)への道について、大切なことを書いていますので、できるとかできないとかは関係なく、

「そういうものなのか」と、掴んで頂ければ大丈夫です。

「エゴに安らぎを求めている」というのは、意識して「エゴ」を観察しなければわかりませんので、自身を客観視する練習に取り組み、自覚していくことです。

 

そして、次に大切なことです。

 

クローバー意識を中立に保つよう努力をすること

 

想念観察をしたり、常に自己観察をしていること、また、時折瞑想をし、心を「中立に戻すこと」が大切です。

そして、そういう時は、「神のうちに安らう」ことに繋がりやすくなります。また、穏やかな波動に変わります。

災害の沈静化や大難が小難になること、などがあります。

 

不安を誤魔化すことを目的としたエゴの安らぎは、有限です。

そのため、いずれ、限界を迎えます。(限界とは、破壊とか、うまく回らなくなるとか、色々)

気づきによる安らぎを得るようにし、無限からくる真の安らぎに、なるべく繋がるように意識することが、他者や地球への恩返しや救いになります。

 

それは、「聖人のようになる」とか「善人になる」ため、ということではありません。

私たちが、本来のありよう=私たちの本質=宇宙意識、神意識、と、一体化していくためです。

神聖な、というよりは、エゴにがんじがらめになっていた自分から、卒業していく、という感じです。

 

そして、実は、もっと深く言えば、上述の「エゴの観察(自分の反応観察)」は、かつての覚者達が言っていた・・・

「あるがまま」「ただある」

という状態に、還るためのことになります。

実は、「進化」とは、そういうことのようです。

 

そのために、「成功哲学」的な要素のあるスピリチュアルや、やたらと「神秘的」なことを強調するスピリチュアル、

「何かになろう/何かを得よう」という「願望成就」は、「エゴにとっては面白い」のですが、自分自身の「本質(本当の自分)」をはき違えてしまうことがあるために、返って遠回りしてしまうこともあります。

一番いいのは、きちんとしたエッセンスを伝えている「真理の本」を元に勉強し、その視点を身につけて、ただ、エゴをそぎ落としていくこと・・・それが一番近道のようです。

その道からブレずにいると、自己(想念)観察が、次第に「純粋観察」という状態に導かれていくので、エゴにとっては大いなる危機となります。

エゴはその存在が知られてしまうと消滅してしまうので、あの手この手で古い世界に引き戻そうと画策する結果、エゴと本質の自分との間のせめぎ合い、葛藤が出てきます。

しかし、それを通り抜けようと努力していけば、いずれ現実を観察しながら、「自分の内的に常に行われている判断」を、「ネガティブ、ポジティブ」どちらも、ただ見ていられるようになってくるようです。

すると、「波動が中立」に保たれる時間が長くなってくるので、「真我(神意識、宇宙意識との一体化した本質の自分)」となるようです。

「中立」が保てれば、純粋な光が出てきます。

それが「ただある状態」ということになります。

 

真我、とは、エゴが思うような「本当の自分」ではありません。この場合の「本当の自分」とは、「あるがまま」ではなく、「エゴの欲求・願望に沿った理想像」を掴んだに過ぎません。

「真我」とは、エゴをきちんと観察して、落としていった先に、自ずと現れ出てくるものです。

そして、それこそが「真の個性」に繋がっていきます。

 

🌿本物のスピリチュアル、とは

 

前項でわかったと思いますが、そのため、ちまたのスピリチュアル界で騒いでいるような、「特別感」も「キラキラ」も、ありません。

実は、ただ「あるがまま」を知る、その状態に還るために進化というものがあるようです。

もちろん、楽しくやることも、エゴを生かすことも大切ですが、そこには本来特別なキラキラや特別な何か優越的な物事や、インセンティブなどもありません・・・。

エゴは、純化して使う、というのは、実は、欲や分離意識の状態を落としていくこと、それが、「愛そのものの姿」になるということです。

愛を体現する、ということではなく、「愛そのもの」に還ることが、本質に戻ること、宇宙意識に戻っていくこと、ということです。

 

実は、元日のお昼にしみじみと感じたことがあります。

いつも通り、お昼の支度をしました。

元日なのでおせちをつつくのですが、それと一緒に食べる「お雑煮」を作っていました。

その時、我が家育ちの元気な「大根」を使うことができました。

自然農の師匠の奇麗な色の「京人参」や「里芋」も入りました。

なんと、お餅まで作ってくれているのですが、それを今年も買わせて頂くことができました。

ゆずも、無農薬・無肥料栽培のものを別の方から頂きました。

我が家の三つ葉は、寒い中でも藁の中で小さく育て続けていて、「お正月まで頑張ってね」と、実はお願いしていました。

そしたら、小さな三つ葉を収穫することができました。一生懸命育ってくれたのです。

白味噌も、有名な自然系の味噌蔵の味噌を使いました。

我が家は、元日は京風(西の)お雑煮になりますが、2日は関東風のお雑煮です。

お醤油も、自然食品店のもの。

昆布も、実は永平寺御用達のものです。

お料理に使ったお水は、地元の神社にある湧水より、元旦に頂いてきました。

信じられないぐらい、贅沢で素晴らしいお雑煮を食べられることに、本当に感謝の気持ちが沸きました。

 

しかし・・・私はもっと大切なことに気付きました。

 

実は、どんな食材でも、背景には、作ってくれた人たちの努力、があります。

そして、野菜などの食材達も、自然環境の中でしっかり育ってくれたのです。

種を播いて世話をしますが、育つ意識が種にはあります。

そのことにも感謝だと感じました。

 

今年、一生懸命育てた人たちがいたから・・・その人たちが、大事が無かったから・・・手もとに運ばれてきた・・・。

本来、おせちとは、そういう「昨年のみんなの成果」が凝縮されたものであり、そのことを、新しい年で祝い、そして、それを食べる私たちが健康であるように、そうすれば、永遠に喜びが続くよ、というものなのかな、と思ったのでした。

 

お水も、きちんと管理してくれているから、湧き水が飲めるし、地元の人たちも奇麗に保とうとするから、いつまでもおいしいお水が汲める・・・。

そう考えると、自然環境に対する意識も、当然変えるべきなのが、私たちのありようだ、ということがわかってきました。

つまり、「ただある」ために、やるのです。

本来は、SDGsのため、とか、問題だから、ではなくて、「私たちは、自然環境と共存しているから」、それが当たり前だから、なんだな、と・・・。

ごくごく「当たり前のことに気づけなかったんだ」ということに、気づかされました。

 

話が環境の方にずれてしまいましたが、実は、一杯のお雑煮やおせちに、様々な人たちやもの、エネルギー、自然環境が関わり、素晴らしい奇跡的なハーモニーの上で、手もとに届くのだ、ということが、見えてきたら、本当にありがたいと思いました。

 

そういう、日常が、実は、多くの人々に支えられていることこそが、実は「奇跡」なんだな、実は、毎日が普通に暮らせることが「奇跡」なんだな、ということがわかってきました。

実は、それこそが、「真実」に気付くこと、であり、「本当のスピリチュアル」なのだ、とわかってきました。

 

私自身、20年以上から今まで、外側をキラキラさせる方(特別感)にエネルギーを注ぐスピリチュアルと、どっちが「本物?」なんて葛藤することがたくさんありました。

簡単に「本物か偽物か」とは言えないのですが、私はこの年末において、いよいよその葛藤のステージから、ステップアップしました。

一応、後から来る皆様に、「光」となるよう、書き記しました。

 

🌿最後に。今年一年の過ごすポイントと、奇跡の連続であることを感謝の気持ちで。

 

奇跡、というのは、何かが不思議なやり方で起こる、めったにないことが起こること、ということもありますが・・・

毎日が、普通に暮らせていることのありがたさ、こそが、実は「奇跡」なんだな、と気づけました、というのは上述の通りです。

 

今年は、辰年なので、「龍が暴れる」と聞きました。

たぶん、「波動がより精妙になってくる、ので、電子レンジ状態がもっとひどくなり、あぶり出しが大きくなってくる」ため、現象が派手に出やすい時期になるのだろうと思います。

エゴに走ると、たぶん、ものすごいあおりをくらい、良い方にもグンと上がるのかもしれませんが、バランス感覚がエゴ側に偏っている分、落ちることも早く、深くなってしまうと予測されます。

観察をしていなければ、なおさらのようです。

 

そのため、「中立を保つ努力を重ねる」ということを意識していくことが、一番いいように感じます。

さざ波、小難、で、済まそうということです。

そういう人が増えれば、派手な現象(災害など)も防げるようになってきます。

 

焦って特別な自分になろうとか、何かを掴もうとするよりも、気付いた分離エゴを落とすことを意識していけば、自ずと内側から「こうしよう」と次のステップ(行動)に導かれていきます。

神の視点が定着し始めるようになれば、エゴの世界でうごめている方が、実は「狭い」んだ、と気付かされます。

だから、安心して、エゴを脱ぐ方に行けばいいだけのようです。

つまり、「気づき」を深める方に、エネルギーを向ければ、飛躍的に成長できる可能性も、今年の龍の暴れの、ポジティブな側面にはあると思います☆

 

皆様が、今年一年、毎日が「奇跡の連続」であること、それを感じ「感謝の気持ち」で過ごされますよう、お祈り申しあげます。

来年が、きっと違ってくると感じます。

 

それでは、今回の記事はこれで終わりです。

何か参考になったことがあれば、幸いに存じます。

 

本日もお立ち寄り下さり、誠にありがとうございました。

 

🌿光の瞑想

 

私は私の周りの光の存在、意識体に宣言します

私は私の光のすべてをささげます

この光は宇宙の根源より供給され、尽きることがありません

私は光 私は光 私は光

私の光はこの地球を覆いつくし、地球と一体となり

私の存在のすべてが、地球そのものであることを祈ります

私は地球の感じる感情のすべてを理解し

共に分かち合うことを祈ります

私は光を地球に注ぎます

私は光 私は光 私は光

 

🌿音楽のお楽しみ~ヴィヴァルディRV630 この世にまことの安らぎはなく

 

 これは、元日にFM-NHKの古楽の楽しみで、流された曲です。

朝の5時から始まる番組ですが、録音を私は3日に聞きました。

私が、震災の時に聞いた神の言葉と思われる言葉(今回の記事)と、この曲の紹介が、シンクロしていました。

ちょっと驚きましたが、きっと天界から強く伝えられているメッセージのように思いました。

曲の中では、宗教性があるため、「イエス」の中にこそある、となっておりますが、

それは、「宇宙意識、キリスト意識」または、上述のように、真我に向かうことの中に「安らぎがある」と、思って聞いてくださればよろしいかと思います。



Nulla in mundo pax sincera   この世にまことの安らぎはなく

 

sine felle, pura et vera,     苦渋のない、純粋にして真実の安らぎは

dulcis Jesu, est in te.      慈愛にあふれるイエス、御身の中にこそ。

 

Inter poenas et tormenta    痛みと苦悩のはざまにあっても

vivit anima contenta      魂は満ち足りて生きている

casti amoris sola spe.     穢れなき愛のみを望んで