下記の記事翻訳は、レバノンで刊行されている英字新聞『DAILYSTAR』の9月29日(土曜)発行号から引用しました。
この前日、金曜日のイスラム休日にパレスチナ難民キャンプ「ナハルエルバレド」の破壊状況調査として、レバノン政府および軍が特別にパレスチナ各組織の幹部たちとジャーナリストの入場を許可した際に取材したものです。この記事を取材・執筆したHani M Bathish氏は、様々な立場の人にインタビューを行っています。
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Nahr al-Bared devastation stuns Palestinian officials.
but some residents can return "within days"
ナハルエルバレド荒廃はパレスチナ人政治幹部を卒倒させた
しかし、居住者の数世帯は「数日以内」に戻ることができる?!
現在、ひとたび破壊し尽くされたナハルエルバレド難民キャンプの市場は粉塵に包まれたゴーストタウンとなった。「新しいキャンプ」では、ビルの多くが完全に黒焦げになリ、蜂の巣状態になったまま空の状態で放置されている。この金曜日にレバノンとパレスチナ当局は、一週間から10日以内にキャンプの一部を避難した者たちに返還が可能であると宣言した。
ジャーナリストがレバノン内パレスチナ政治組織のリーダーたちと同伴した。戦闘が9月2日に止まったので、金曜日に初めてキャンプに入ることが許されたのだ。パレスチナ側の対話委員会であるカリリ・マッカウィ氏、パレスチナ解放機構代表レバノン支部のアッバス・ザキ氏、ハマス代表レバノン支部のオサマ・ハムダーン氏、および他の職員たちである。
マッカウィ氏は、キャンプで比較的完全の新しい建物のいくつかが1週間か10日間に変換されることができると約束した。「キャンプの破壊された90パーセントは古い居住区です。他の 60パーセントだけが新しく破壊された新しい居住区なので、すぐに修理することができます。これと同じ区域の人々は近日中に建物に戻ることができるでしょう。」と、彼は言った。また、マッカウィ氏は被災者たちの所有物回収についてこう述べた。彼の委員会とレバノン陸軍と共同でコーディネートを行い、1人のメンバーを準備して自分の家のダメージを点検に来る被災者に同伴させて作業を手伝えるとのことである。
ザキ氏は、瓦礫の中でマッカウィ氏との共同記者会見を記述しながらこう皮肉を述べた。: 「私が、以前ナハルエルバレドの人々の避難が一時的であると言ったので、返還は保証される・・・。本件において、対テロ戦争が大部分であると宣言した人々は、私たちがキャンプを再建するのを助ける」だろう。ザキ氏のキャンプ入りについて、自宅玄関をキャンプの古い居住区に示す残骸の山に達するまで陸軍は許可した。しかし、レバノン治安当局は、メディア向けにはキャンプのちょうど1.5キロメートルしか進入を許可しなかった。この古い居住区の点検を迅速に済ませた直後にザキ氏は、状況が非常に厳しいとレポーターに答えた。 「それは完全に破壊されている・・・。内部状況が非常に難しいので、私たちは専門家の査定を待っている。破壊の程度はかなり酷いものだ。」と、ザキ氏は言った。そして、ザキ氏は自らの訪問が「外側から始まる」再建活動の始まりを示すものであると言い足した。キャンプの再建は、破損個所が比較的軽微な「新しい居住区」と共に始まるのを示す。しかし、この再建は時間がかかると強調して、 「この常軌を逸した破壊を前にして、私たちは、私たちが悲観的ではないという、より大きい努力を示す必要があるだけだ」と、ザキ氏は語った。
陸軍のスポークスマンは、軍隊が古い居住区を残っている部品から取り除くために、まだあと1週間が必要であると言う。さらに、 「新しい居住区には地雷はありません。しかし、古い居住区には、それがまだ残っているでしょう。 これからは、新しい居住区はレバノン人と共同で生活しているパレスチナ人たちが混在した居住区になるでしょう」と彼は述べた。
そこで、今後、戻ることの出来る居住者対策はいつから始まるのか。また、それは政府次第なのかということを尋ねた。すると、スポークスマンは「新しい居住区で見る破壊の頻度も酷く、それらの中には再建は絶望的なところもあります」と言い足した。このような状態で、いったい人々はどこに戻れるのか?
マルワン・アブデル・アリ氏(ナハレルバレドでのPFLPの事務局長)は、金曜日に初めて戦闘が終わった跡のキャンプを見て、彼が直面しした事実によって衝撃を受けた。 「道路やキャンプのフリンジのダメージを軍隊がまだ点検していないように、私の家は入場を許可されなかった私の兄弟の家の下にある。」と、彼は述べる。ここには、かつてメインストリートがありました。私たちがキャンプに入ったとき、すべての思い出が押し寄せる波のように脳裏に浮かんできたのです。私の一生涯がここにあって、この通り中のありとあらゆる家には、それぞれのストーリーがあって、誰がその家を建てたかも言うことができます。そして彼らが生計を立てるようにどのように奮闘していたかも・・・。」と、彼が言った。ジャーナリストはキャンプでインタビューしている間、アブデル・アリ氏かPFLPがファタハ・アル・イスラムのメンバーと対話したかどうか尋ねた。アリ氏は応じて 「私はマルキシストである、そして、彼らはそれを知っていた。 私の血液は、彼らへの宗教的に合法な食物でしかない。彼らは非常に極端であった」と、つまり、何ら相手にならなかったと語った。
ハッジ・リファート氏(キャンプ内、パレスチナ解放機構PLO幹部)は、これをパレスチナの人々の最後を告げる最初のきざしと受け止めて、金曜日の訪問を考えたという。 「私たちは、1,500世帯がすぐ新しい居住区に戻ることができると見積もる… キャンプの古い部分は再建されるのに2年はかかるそうだ。私たちは居住区が与えられるのまでどちらか 1つを取るかもしれない。」 そして、優先順位がが現在、避難先の学校で仮設住宅に住んでいる者たちに与えられていると言い足して、ラフィート氏は言う。 彼は、家がキャンプの新しい居住区にある何人かの人々がラマダン明けの犠牲祭前には戻ることができるだろうと語った。
UNRWA作業員は、瓦礫を浄化するための殺虫剤と猫いらずをスプレーしている間、巨大な焚き火を燃やし続ける。「いくつかのビルが崩れてキャンプ東周囲の家々が少ない破壊を被った。だが、フィールドは実際には保たれている」と、1人のUNRWA作業員が述べた。
アブ・ジャベル氏(戦争が勃発した2カ月後にナハルエルバレドの自宅を出たPFLP幹部)は以来、自宅の姿を見ていない。 彼は、海岸に沿って市場地域について説明して、「まるで、津波がここを通過したようです」と、彼は言った。 「この場所は、商店が数千軒あるスークのエントランスでした。そこは、もともとアスファルトの道だったのです」
アリ・ファイサル(DFLPの職員)はキャンプに入ったとき彼が見たものに等しく驚いていた。 「それがファタハ・アル・イスラムを追い出すための破壊と損失は、地震などの災害と同じで、これと似ている。今こそ、私たちはパレスチナ人とレバノン人の間でこの悲劇を克服して、社会的市民生活が復興することを望んでいる。」と、彼は言った。また、ジャーナリストから、「パレスチナ被災者の受け入れを拒否する北部の一部住民たちに対して、あなたたちはどのような怒りの声を持っているか」との問いにファイサル氏は、怒った様子にもかかわらず、「両方の住民間の政治的、社会的な結びつきはまだまだ強いのです」と述べている。彼は、パレスチナ人派閥が両方の住民間の好意を回復するために地方自治体の責任者や各村のムクタール(首長)らと協議の最中であると語っていた。
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個人的な感想としては、レバノン政府・軍は破壊した跡のキャンプを段階的にパレスチナ人被災者たちに返還すると言っていますが、その後の保証についてはまだ何も述べていません。被災者たちの生活の補償問題をまず先に話し合わなければならないのに各組織の幹部たちまで互いの政治主張を述べたり、ある者は「地震などの災害と同じ」などと言っていることに呆れてしまいます。結局、レバノン軍も自分たちでキャンプを瓦礫の山にしておきながら、その場所に「避難した住民よ、さあ戻っておいで」と言っているだけのように感じます。テロリストの追い出しだけでこのような人災をもたらした軍や政府の責任を誰が問うのでしょうか。ナハルエルバレド・パレスチナ難民たちは、これまでにも増して深刻な状況になることは確かです。(Wattan)