レバノン南部 (9月27・28日) | Wattan Net Life

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無道探訪‼︎                                         

 例のフランス人青年と南部に行ってきた。あらかじめ計画したとおり、コーラからバスに乗って港町のサイダで降りる。まずは、軍司令部に出頭した。南部の各地区ごとに設置されている軍事検問を通過するには、軍司令部で通行許可を貰わなければならない。私たちは最初、「許可」というものが具体的にどのような形式なのか知らなかった。てっきり、何かの書類にサインしてから「許可」のIDカードでも発行してくれるものだと思っていたのだ。ところが違った。なんと、司令部の担当官が言うには、レバノン国籍をもった者のコンダクターが必要なのだそうだ。そこで私たちはいったん断られて外に出たはいいが、ここまで来てとんぼ返りは出来ないと思っていた。なにぶん、連れのフランス人青年が過度の低血圧で、朝の10時過ぎてもボーッとしてふらついている。申請の受付時間が正午までなので、私も気持ちが急いでいた。仕方ないので、道路わきのカフェテリアで休憩しているタクシードライバーに声をかけて英語を話せる初老の男性をコンダクターにして通訳兼ガイドとして雇うことにした。彼と司令部に出頭してからは意外と簡単に許可がおりた。つまり、この「許可」とはそういうことだったわけだ。

 さあ、そうして司令部を出た後、私から「料金はどうしようか」と話しを持ちかけたところ、「いいから、まず飯を食おう」という事になってしまった。私も「まあ、金の話しは後にして、スケジュールを話しておくか」と、コースの段取りに入った。大まかに予定を決め、途中一泊してレバノン南部を一回りすることにした。私の希望としては、シェバー村やキアン刑務所跡、ファティマゲートなどに行きたいと言っておいたら、ドライバーは「ああ、うんうん、どこでも行く」などと調子のよい返事が少々不安だった。案の定、その不安が的中することになる。さっそく、タクシー乗用車をかっ飛ばして着いたのが、ナバティーエという小さな街だ。だが、そこは通り過ぎただけ。私たちはすぐに、シェバーに向かった。israerl horm01
私は、なんとしてもレバノン側からイスラエル領を覗いてみたかったからだ。シェバーってもっと狭い地域かと思っていたら意外と広いので驚いた。とは言うものの、ほとんど崖と岩場と少しの樹木と畑があるだけの土地だ。車を止めたところは村の街道だったが、わずか数キロ先にはイスラエル人の入植地、住宅郡があちらこちらに見えるではないか。こんなに近くだったとはさらに驚いたものだ。まあ、この日はドライバーが面倒臭がって国境ゲートまで行ってくれなかったのでそこまでで終わりにした。途中、ハズボッラーの要塞のような基地が山の頂に建っていたので写真に収めた。saida01
「許可」には時間制限があった。私たちは決められた時間までにサイダの軍司令部に連絡をしなければならない。午後2時にはサイダに着いて古い宿場街に安宿をとって一泊した。古い石造りで趣のある宿だった。

 次の日、低血圧のフランス人をたたき起こすのに手間取ったが、実は私も以前からこじらせていた風邪で昨晩発熱していたので起きるのがしんどかったのだ。朝の9時には、ドライバーが迎えに来ていたので30分ほど待たせてしまった。とにかく出発。再び南部に向かう。しかし、このドライバー、本当に調子のよい奴で、しかも責任感が希薄なので困った。昨日、行程の途中で土産物屋に立ち寄ったのは奴っこさんの友人の家だからか、それともボーダーゲートに行きたくなくて時間稼ぎをしたかったのか。israerl horm03
いずれにしても、その店でフランス人青年に買わせたハズボッラーのロゴマーク入りTシャツと帽子は後で問題になった。話しを戻すと、私たちは南部のシーア派居住地の村々を車で通過したとき、これまたお調子者のフランス人はそのハズボッラーTシャツと帽子をかぶって助手席でタバコをくわえていた。それを見ていた何も知らない村の人たちはてっきり、「ラマダン中にもかかわらずハズバッラーのひとが日中にタバコを吸っている」と思ったであろう。まあ、そのくらいなら可愛げがあると言えるが問題はその次だった。ドライバーは、私の要望に沿ってレバノン南部に展開する国連軍のあとを追って彼らの宿営地に向かった。それはもう、本当にイスラエルと国境を隔てた目と鼻の先にあるばしょだった。私たちがその場所に行く途中にも自衛隊の車両ともすれ違ったのだ。いよいよ、国境の宿営地前にたどり着くとそこでは陣地建設途中であったので、私たちは車を止めて写真を撮った。軍からの「許可」条件では、「レバノン軍や警察の写真を撮るな」とは言われているが、国連軍を撮るなとは言われていないだろう。という見通しで、私は撮影を敢行した。un01すると、そこにあのハズボッラーの格好をして調子こんだフランス人が前に出てきて国連軍にカメラを向けている。私は、変に勘違いされてしまったらやばいと思い、彼にその格好は禁止行為だと注意したところドライバーまで「大丈夫、大丈夫」などと言っている。もう、呆れて彼らとしばらく距離をおいていた。その途端の出来事だった。きっと、どこからかの通報が入ったのだろう。後方から2台の車が猛スピードですっ飛ばして来て私たちの目の前で止まった。本物のハズボッラーである。

 私は一瞬、「また拉致かな?」と覚悟を決めていた。彼らは車から降りずにカメラを構えているフランス人青年を傍に呼びつけると彼のTシャツを引っ張りながら激しく注意している様子だった。私は少し離れているところから様子を伺っていただけなので話しの詳細は分からなかったが、案じていたとおりになった。なにしろ、国境近くの国連軍をそんなTシャツを着たアラブ系の顔をした者が写真撮影などしているところを見たら、誰だって「ハズボッラーが堂々と偵察している」などと勘違いされてしまう。もちろん、イスラエル側からも丸見えなので下手をしたら向こう側から銃撃される可能性すらある。国連軍宿営地はイスラエル側にも別なものが作られていて、相互に国境を監視しているのだった。私も、もっと強く注意して要ればよかったのだが、コンダクターである私たちのドライバーが「大丈夫」と言うのを鵜呑みにしていたのが悪かった。このとき、私は「旅行者」という名目で本当の旅行者のフランス人と行動していたのでパスポートを確認されて注意されただけで無事に放免された。しかし、私たちがそこから立ち去って暫くすると、ドライバーの携帯電話に直接、軍の担当官から連絡が来た。おそらくハズボッラーから通報を受けたのであろう。あとで分かったのだが、もうその時点で私たちの「許可」は軍によって取り消されていたのだった。un02

 そのあとに、南部のパレスチナ人キャンプのゲートを通ろうとして「許可」の確認をとったら既に取り消されていて中に入ることが出来なかった。次に立ち寄ったサイダのパレスチナ人キャンプでも同じく断られてしまった。その間もドライバーは「許可」が失効していることを私たちには告げることなく南部やサイダの街中を意味もなく走り回っていたのだ。kana01
それで、私がこれで今日の仕事は終わりにしようと彼に告げたところ、「ベイルートまで送っていく」と気前よく言ってきた。私たちも疲れていたので送ってもらうことにした。ダウンタウンのホテル前で車を止めたドライバーに私は値段交渉をして驚いた。前日に100ドル払っていたので、ドライバーも今日は50ドル程度だと言っていた。まあ、コンダクターとして私たちの身元保証人にまでなってもらって、ドライバー兼通訳までやってもらったのだから妥当な値段だろうと思ったのだ。ところが、いざ最後となってみると彼の態度がガラッと変わって途方もない金額を要求してきたのだ。なんと、「200ドル払え」と言う。私はそんなには払えない。「確かにあなたには世話になったが、100ドル払うから帰ってくれ」と言う。すると、彼はそれまでの善人ぶった態度とはうって変わって凄い形相になりアラビア語でまくし立ててくる。小さいホテルなので入り口前の騒ぎを聞きつけたホテルの管理人が降りてきた。「何事か?」との彼の問いに、私が答えている最中にもドライバーが喚き立てている。そのうちに周囲の通行人まで集まって来て、あれやこれやと話しているうちに、どうやらドライバーは自分が不利な立場なことに気づいたようだ。それもそのはず、シャールズ・ヘロウの往来で見るからに余所者のタクシードライバーが騒いでも不利になることは明らかだった。最後に彼は、あと20ドル払ってくれと言う。私は後腐れになることが嫌なので、50ドルを払って彼にはおとなしく引き取ってもらった。

 とにかく、面倒なことが一難去ったが、おかげでまた風邪がぶり返し発熱してきたのでそのまま部屋に行こうとしたところ、ホテルに私宛の電話が掛かってきた。