いつもいつも、遅寝遅起きの友人が今日に限って珍しく朝7時頃には起きていて、まだ寝ている私を起こしに来た。私は昨晩、喉が痛かったので風邪薬を飲んでぐっすり寝ていたのだ。
だから、今朝はゆっくりしていようと思ったのにそうもいかないらしい。私は彼の声ですぐに起きて出かける準備をした。昨晩から彼とシャティーラに行く約束していたことを思い出したからだけではない。パレスチナキャンプには、どうしても行かなければならないのに、なかなか行けないでいた。どうせ、シャティーラに行くのなら故・桧森さんたちの墓参りでもしてこようと思い、日本から持って来た線香なども準備した。ところが、実際行ってみると何のことはない。今や普通の下町と何ら変わらない雰囲気に拍子抜けした。だが、よく注意してみると手や足に障害を持った若い世代、子供たちがいる。彼らは、この前のイスラエルの空爆で怪我をしたということだ。詳しいことはよくわからないが、国連の巡回車両が街中に来て生活環境などを調査しているようだった。雑居街の中に小さいながらも診療所があり、患者たちでにぎわっている。
子供たちは、相変わらず人懐っこい。小学生くらいの男の子たちは「外の人」とみると面白がってみんな興味本意で近寄ってくる。私と一緒にキャンプに来たマグレブ系のフランス人は、アラブ系なので近づきやすいのだろう。しかし、当の本人はメンタリティーがフランス人なので戸惑っているようだった。まあ、根が子供好きなようなのでよかった。
ところで、パレスチナ難民のキャンプというと写真などセキュリティの面で厳しく管理されていそうに皆さんは思うだろう。私もそのように一計を案じて同行のフランス人には一言忠告しておいた。しかし、さすがに彼がPA管理事務所近くの路上でビデオをかまえていた時には、お声がかかった。どこからか出てきた青年に呼び止められて、近くの八百屋の屋台の裏に引き込まれていた。私は彼がなかなかついて来ないので後ろを振り返ったとたんの出来事だった。人間の感覚は状況に慣れてくると忠告などはお構いなしにビデオカメラを堂々と道の真中でかまえている。それまで、比較的、オープン感覚のシャティーラなので結構長時間撮影していても何も言われなかったのだ。ところが、彼も然る者でさすがにマグレブ系フランス人。こんなチンピラに絡まれるような状況にも動じることなく対応していた。彼は、いわゆる「空気を読む」という事に長けているのだろう。パレスチナ人に囲まれてときでも、とった写真やビデオの目的を聞かれてすぐさま「マグレブに住む家族に見せるため」と一言答えたらそれでチャラになった。もちろん、私たちは最初から「旅行者」という設定でキャンプに入ったのだからその程度で済んだのだろう
現在、シャティーラ・キャンプには故・アラファト氏の肖像が未だに掛かっていてファタハの感じを受ける。また、故・ラフィーク・ハリーリ氏の肖像もレバノン人居住区に行くと見られるようになる。意外とお金を投下しているようで、キャンプ中心地の開けた場所に大きくて最新の設備が整ったきれいな建物があるので何かと思ったら小学校だった。ハリーリの資産で建てられたようだ。未だに、居住区のゴミ処理問題は解決していないで不衛生な環境なのに子供たちの教育には熱心になるのだ。しかし、その割には学校に行っているのかどうか分からないような子供がキャンプには多いようだった。
さて、桧森さんたちのお墓であるが、なんとこれが何者かに傷を付けれられていた。いずれの肖像写真のパネルも意図的にガラスを割られている。しかも、土台のコンクリートが斜めにずれているところから察して、誰かが足で蹴ってずれたようでもある。それにしても誰の仕業か知らないが、もの言わぬ墓標に嫌がらせをするとは、よほど恨みを根に持った奴の仕業かと思われる。とにかく、墓標の修復が必要であろう。