テント村の人びと その2 (9月23日)  | Wattan Net Life

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無道探訪‼︎                                         

 昨夜は、同室のパッセンジャーたちが遅くまでテレビを観ていたにもかかわらず、私は早々と寝てしまった。

と言うのも、今朝早く起きて散歩がてら例のテント村を覗いてみたかったからだ。ただ、ちょっと気になったのは今日が日曜だからだ。
しかし、実際に来てみたらちゃんといつもどおり人がいるではないか。当然である。たぶん交代制で泊り込んでいるのだろう。
今日の警備係は、シーア派ハズボッラーの若者だった。私はこの前と同じように近づいて行って挨拶してみると、意外に愛想よく応じてくれた。
人懐っこい顔が無精髭の中いっぱいに広がった。彼と話しをしてみることにした。

 「私は2日前にもここに来てアウン派の人と話しをしたんですよ」

 自分が初めてではないと言うことを伝えた。だが、相手の男性は、「フランス語ならよく話せますが、英語は片言です」と断ってきた。

 「じゃあ、私より凄いじゃないですか。私なんか、アラビア語も英語も少し少しですよ」などと、おどけながら応じた。

 すると彼も心なしか安心したように、「まあ座って」と私に椅子を勧めて話しに応じてくれる様子だった。私は彼にこの前とは違ってヒズボッラーならではの質問をしてみようと
思ったのだが、彼の時間をかけた熱心な説明も一般論としての状況説明にとどまってしまっているのでここでは割愛させていただく。それよりも、私が興味を引かれたのは、彼自身のプライベートな身の上話であった。
 
 人間とは、様々なコミュニケーションの機微があると思う。私と彼がお互いじっくり時間をかけて知っている英語で会話をしていると、やはり話しに詰まることがある。そんなときに彼が自分の学生証を出して、今どんな勉強をしていてどの大学に通っているとか、将来は政治も学びたいとか言ってくる。私も、彼ばかり身分証を出させては悪いと思い、自分のパスポートを見せてやった。すると、彼は私の生年月日を見て驚いたように、「なんだ、俺のほうが10歳も若いのか」と驚いたようだった。「日本人は見た目より老けているんだ」と私が言うと信じられないというような顔をしていた。彼は、結婚して幼い子供が2人いると言う。バールベックに実家があり、自分たち夫婦の家もその近くにあるそうだ。実家には、彼の両親と妹、姉ともう一人の妹は嫁いでしまったとのことだ。そんな家族の話しをする彼の表情は、何か心が満たされているように見えた。私は、なぜか彼が羨ましく見えた。

 そんな彼にも、悲しい出来事はあった。彼の幼い頃からの友人は5人ともハズボッラーのコマンドになったという。しかし、そのうち2人は既にこの世にいない。ひとりは、昨年のイスラエル進行のときに最前線で戦死した。もうひとりも、イスラエルの空爆でオトストラード・アビヤッドStの市街地で死亡している。そうやって、自分の心をさらけ出すことによって他者の心を引き寄せるということは、普通ではなかなかできることではない。私は彼に、ベイルートに住んでいる他のレバノン人にはない純朴さを感じた。