大モスクが見えるダウンタウンの片隅、アミール・バッシャールSt近くの広場に、ベイルートの街並みとはおよそかけ離れた雰囲気の場所があった。そこには、いくつもの色とりどりの旗が立てられ、何十ものテントが張られている。すでに9ヶ月以上前から、親シリア派の政治党派がセニョーラ政権の反シリア政策に抗議してストライキを行っている。その日の午後早く、私は友人と近くを歩いていたのだが、彼は博物館に行きたいらしい。私は誰もいない博物館に行くより、せっかくレバノンに来たのだから、いろいろな人に会って話しをしてみたかった。そこで、私は友人と別れると、すぐ近くに目立っていたテントの群れに向かって歩いていった。まず最初に、警備の男性に声をかけたのだが、彼はアラビア語しか話さないので近づいてくる私をすぐに拒絶してきた。仕方ないので、次は別のテントの前で食事中の男性に英語で声をかけたところ、私を彼らの現場責任者がいるテントに案内してくれた。私が声をかけた人たちは、ミッシェル・アウン将軍を支持するグループでほとんどがクリスチャンである。私がそこで紹介された現場責任者は、ザハラという名の女性でアラビア語の「花」を意味する名前だそうだ。彼女から、現在のレバノンの政治状況と、このキャンプ生活の現状を聞かせてもらった。まず、政治状況から話してくれた。
レバノンは1975~1990年の内戦中、さまざまな国の軍隊が駐留していました。しかし、1990年のターイフ協定以降、レバノンに駐留することが許されたシリア軍が治安維持を担うことになったのです。それまで、主に内戦を主導していた三宗派、クリスチャン・マロン派、イスラム教スンニ派、シーア派とその他の諸派は、ターイフ合意による協定で内戦の終了を受け入れることになったのです。これによって、大統領から首相をはじめ、各大臣のポストが各宗派に配分されることになりました。そして、大統領はクリスチャン、首相の座はスンニ派と国会議長がシーア派で分けることになったのです。このような宗派によって分けられる政治構造は、各宗派に分別される住民への利益偏重に繋がり、経済格差の原因になります。また、権力者の世襲制も政治の一族支配につながり、政治腐敗の元になるのです。2002年、ラフィーク・ハリーリ前首相が暗殺されると、その後任には、同じ党派からセニョーラ氏が首相に就任しました。ラフィークの息子、サード・ハリーリ氏は国会議員ですが、父の跡を継いで党派を誘引するほどの人望はありません。今のところ、「シリアが暗殺の黒幕だ」ということをアピールするだけのテロリズム批判をするプロカンダに利用されているだけです。その後、すぐに米国が政治介入して「シリア問責法案」などが反シリア連合と言われるキリスト教・LF、ハリーリ派、ドルーズ派などである。
ドルーズ派の代表で社会進歩党のワリード・ジョンブラッド氏などは、若く政治経験の乏しいサード氏の後ろ盾として政界に今も隠然とした影響力を維持しています。ジョンブラッド氏は、今でこそ反シリア派の主要なメンバーです。しかし、故アサド大統領健在のときは、シリア政府と政治・経済両面で連携していたほどでした。これは何も彼だけではありません。故ラフィーク氏すら、シリア軍の駐留を公的に承認していたのです。今、反シリアに側に立っているほとんどの閣僚たちが以前はシリアの政治と治安に依存していました。80~90年代にかけて、それほどシリアの影響力がこの国に及んでいた理由のひとつは、東西冷戦時代から米国の中東戦略として共産主義の浸透を防ぐ「緩衝地帯」としてシリアの軍事力を承認していたからに他ありません。もちろん、このような「承認」は他にもイギリスやフランスなどの国々とも結んでいました。いわば、レバノンはそのような関係のなかに守られていたのです。それを今になって、米国の中東政策が変わったからといってシリアとの関係を危険視することはないでしょう。
そこで私は、こう付け加えた。「シリアの軍隊がレバノンに居座ることによってそれを快く思わない人はたくさんいますね。しかし、レバノンは歴史的関係上シリア人を家族に持つ人たちも大勢います。また、経済的にも深いつながりにあると思います」
そうです。誰も自分の日常生活が軍隊に監視されることを良いと思う人などいません。私たちも外国軍の駐留には反対しました。経済的にも自立しなくてはなりません。もちろん、平和的な人々の交流はあるべきだと思います。レバノンとシリアは、お互いに独立した国として仲良くするべきです。今の政権は、まるで「シリアは敵だ。何をするかわからないテロ国家だ」などと言っています。しかし、これは間違った捉え方です。たしかに、シリアは過去に米国が擁護するイスラエルと戦争をしました。アウン将軍の民兵もシリアと戦ったことがあります。しかし、それは過去のことです。もしも、そのことを理由にして「テロリスト」と言うのであれば、日本はどうですか?過去にアメリカと戦争をしたことがあるでしょう。誰があなたたちのお祖父さんを「テロリスト」と言いますか?
「つい最近、日本の安部首相は、小泉前首相の親米路線を継承していたのですが、さまざまな不具合な問題を国民から指摘されて辞任に追い込まれました。次の首相もおそらく同じ党から選ばれるでしょう。しかし、この先数年後くらいには別の党から新しい首相が選ばれて、米国の政治的コントロールから脱却した政権になると思います」と私は自分の意見を述べた。
そう願いたいです。あの、ワリード・ジョンブラッド氏は、過去に自分の父親を政治的な謀略で殺害させているくせに、今回の爆殺事件(アントゥワン・ガーネム氏暗殺)に絡んで、父親の死を悼むような発言をしていました。驚くことに、彼は、「政治的犠牲となってまで自らの意志を貫き通した父を尊敬している」などと言っているのです。これはもう、政治の権力と欲望に取り付かれた者の「狂った政治」としか言いようがありません。このような、利己主義的な政治の在り方が国を滅ぼすことだということを私たちが支持しているミッシェル・アウン将軍は以前から指摘していました。あの、ナハレル・バレドがレバノン軍に攻撃されたとき、多くのパレスチナ人たちが巻き添えをくって殺されました。なぜ、何の罪のない人々まで殺されなければならないのでしょうか。例えば、イスラエルをロケット攻撃したハズボラでさえ、攻撃先の住民のことを気遣うのです。しかし、9・11事件のときはどうでしたか。あの貿易センタービルディングに勤務していたはずの多くのユダヤ人たちは助かったのに、その他の多くの人々は何も知らないままに殺されたのです。そもそも、アル・カイダなどという「反米運動」が存在すること自体が怪しいのです。私たちは、このようなものはCIAが作り出した虚構の演出であると考えます。まさに、「ファナティカル・ムーブメント」と言えるでしょう。3ヶ月前のことですが、パレスチナキャンプの近くに野営していた若いレバノン軍兵士7名をファタハ・イスラーミが襲って殺しました。彼らレバノン人兵士たちは、寝ている隙に首を切られて殺されたのです。
現在私たちは、この場所にテントを張って自らの政治的立場を主張しています。それと同時に、私たちにとってここは生活の場にもなっているのです。例えば、私たちの毎日食べるパンは、10枚入りで1袋、約1ドルします。これを1ヵ月間、ひとつのテントにいる10人の仲間で食べるとすれば300ドル近く必要になるのです。このような生活の経費は参加者や支持者たちからの寄付で賄っているのです。けして無駄にはできません。私たちだって、他の人たちみたいに普通に日曜日には映画を観たいし、買い物にも行きたい、レストランにも行きたい。でも、今は行けません。私たちは、今のレバノンの状況を放っておけないのです。
★なお、ここで話してくれたザハラさんは、アウン将軍支持派、自由愛国運動(FPM)の活動家なので、過去にFPMがターイフ合意に反対していたことなどには触れていません。
ジャアジャア派との熾烈な殺し合いも、被害者としての立場で「どれだけ酷い目に合ったか」ということだけを話してくれましたが、それ以上はあまり深くは触れませんでした。