今更ながら太宰治〜桜桃忌に。 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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 昨日は桜桃忌だった。

桜桃忌というのは、
太宰治が愛人と入水自殺をして発見された日だ。
奇しくもその6月19日は、
39歳の太宰の誕生日だった。


その日を、
同郷の友人で作家の今官一により、
絶筆となった「桜桃」の作品の名にちなんで、
「桜桃忌」と名付けられた。

毎年、太宰を惜しんで、
太宰のお墓がある三鷹の禅林寺で
法要が執り行われている。

実は、大学時代のゼミの先生が
太宰の親友、亀井勝一郎の弟子だったこともあり
あの頃の桜桃忌には毎年、
先生がお墓の前に立っているところが
ニュース画面に映っていた。
今では、桜桃忌の法要についての取材も
ほとんどないのだろうけれど
きっとファンたちは
さくらんぼやお花やお酒や
コアなファンは味の素を持って
太宰は、なんと味の素が大好物!
参列しているのだろう。

写真お借りしました。


ゼミの先生は、
太宰治が大好きで、
もう頭の中に染み付いているから
定年間近となってボケてきたら
太宰の授業をすると言っていたが、
ワタシが卒業した次の年に、
ガンであっけなく亡くなってしまった。

そういえば、
叔父は井伏鱒二の弟子で、
太宰も井伏鱒二とは師弟関係にあった。
同じ師匠であったわけである。
そんな叔父とも、文学の話をしないまま
叔父は亡くなってしまった。

ゆかりのある人とのご縁があったのに
それを果たせなかったのは残念だが

若い時のワタシは
太宰を全く受け付けなかった。
あの頃はまだ、若い人たちにとっても
相当なカリスマであったのに、である。


確かにかっこいいわよね。


それは確か、
中学生の時。
塾での国語の授業で、先生が太宰の話をした。
今から思うと、
その先生は太宰のファンだったのかもしれない。


太宰治の小説というのは
読む人に、
これはワタシの気持ちを代弁しているのだと
ワタシのために書いてくれているのだと
思わせてしまうような
自分にだけ話しかけているような
思わずのめり込んでしまうような
魔法のような魅力があるのです。


そんなことを言っていた。

ワタシのために書いてくれた小説?
ワタシにだけ話しかけている小説?

それを聞いて、
なんだかとても恐ろしくなった。
そんな風に思ったら、
最後には太宰を思って
命をたってしまうかもしれない…。

死に対して異常に興味があり、
でも同じくらい恐怖を抱えていた
あの頃のワタシにとって、

太宰は、読みたくない、
読んではいけない作家となった。

そこには、
あまりにもココロにぬるりと入ってくるような
恐怖感があったのだ。



あれから40年以上経ち、
太宰が亡くなって今年で76年、
生誕115年である。

いつもは思い出さないのに
今年はなぜか、
桜桃忌が近づいてきたことを思い出した。

太宰を読みたいなぁ…

そう思って、図書館へ足を向けた。


あの頃、
太宰治を読みたくないと思っていても
読まなければならない義務もあった。
国語の教科書にも走れメロスは出ているし
なんと言っても、
大学の卒論が石坂洋次郎だったから、
津軽の郷里を調べるために
太宰の「津軽」も読んだ。

そういえば、
大学四年の時に、
卒論のテーマを太宰にしている友人と
青森までいったのである。
あの頃、とあるお役所で、
東北地方を統括していた父に頼んで、
太宰の実家の「斜陽館」に泊まらせてもらった。

今は太宰治記念館館となっている斜陽館も、
実はあの頃は旅館で
父のコネで最上のお部屋に泊まらせて貰い、
斜陽館の中を
グルグルと勝手に歩き回ったものだった。
こう書いてみると、
実はいろんな細ーいご縁があったのだなぁと
今更ながら改めて思う。


そして話は戻り、
昨日、図書館へ。
特に、なぜか「ヴィヨンの妻」が頭から離れず
借りてきた文庫本には、
「桜桃」も収録されていた。


言葉が美しい。
小説のモデルはいるのだが、
でもどう考えても太宰本人にしか思えない。
そして、
やはり、自分に語りかけていると思わせてしまうような、何かがある。

「ぬるりと」ココロに入ってくるような感覚は
無意識だからこそ、あの時には恐怖に思えた。

しかし、
もうワタシは若くは無いから
切り離して考えられる冷徹さは、
悲しいかな、鎧のように身に纏っているけれど。
ワタシノタメニハカカレテイナイ。

それでも、
短編小説をいくつか読むと
長い長い余韻の後、
ふっとそこに入り込んでいる自分を見つけて
ハッとする。

なんだろう。この読後感は…。




歌詞でも
小説でも
ブログでも、
それが誰か1人のために書かれたものであるほど
それは
人の心を打つ。
その人1人のために書いていても
なぜか、自分に照らし合わせて
まるで自分に向けての言葉のように思える。

桑田佳祐が
名曲「いとしのエリー」を作ったのは
奥さんである原由子のためだったという。

あの名作「枕草子」も
清少納言が中宮定子のためだけに
綴ったのだという。

それでも、多くの人のココロに残る。

太宰治は、
誰かのために書いたのであろうか?
女性関係が派手で
何度も自殺未遂を繰り返し
薬やお酒に溺れ、精神病も患っていた彼が

誰かのために
小説を書いたとは、
ワタシの中では考えられず…


わずかに残る道徳心と自尊心で
自分を律するために
自分のために書いたのだろうか?

人はそんな太宰のココロを
自分のココロノウチに見つけるのだろうか…

それが少しでもわかるには、
まだまだ彼の作品を読んでない。
いや、わからないだろうなぁ、永遠に。
だからこそ、魅力なのかもしれない。

死は、永遠に未解決の種をまき散らし
その種から咲いた花は
その人のココロの庭ごとに異なるから。



そんなワタシがつぶやく箴言note。

不道徳なところは勘弁ね。

よろしかったら寄っていってくださいませ。