見過ごしていることを言語化してみると… | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


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どんな自分でいたいのか?
自分は何に価値を感じるのか?

日々、なんとなく過ごしていると
そんなことも気にせずに、
意識せずに生活している。

でもそれがはっきりとわかったら
モヤモヤしていたものが明確化されたら

自分自身をよりよく理解できるとともに
視点を定められるというもの。



今、
半年間のセミナーを受けていて
先日そこで、自分自身の三つの欲求を
言語化するワークを行った。

その三つとは、

⚫︎在り方
⚫︎価値観
⚫︎充実感

である。

それがどんなワークであるかは、
ここでは具体的には書けないのだが、

自分のこれまでの過去の様々な体験を書き出し、
それを因数分解して
周りの人たちと共に、
共通項を見つけ出していくという作業。


ワタシの場合、
「在り方」を探していくワークでは
本当に小さかった頃までの体験も出てきて
多岐に渡り、
これでもかというほどノートを埋め尽くした。
それは結構、
自分の中ではキツイ作業だったけれど、
自分を掘り起こした先に、
出てきた芽があった。



そもそも、「在り方」とは、

どんな自分でいたいか

ということ。

理想の自分」とも言い換えられるよね。

自分はそうありたい

という思いから、

人にもそうして欲しい
人もそうあって欲しい

という思いにも繋がっていく。


最終的に出てきたその小さな芽は、
つまり、
ワタシの中での「在り方」は、



認める


だった…。


ワタシを認めます。
あなたを認めます。

そこには、
「認めて欲しい」
「認めたい」
というワタシのココロの叫びの欲求があった。

親や上司や友達に認められなかったこと
でも、本当は
自分で自分を認められなかったこと

そんなことが山のように出てきた。


その後のワークで、
ワタシの「価値観」や
「充実感」も言語化できた。


なんとなく感じていたことが、
なんなら無意識下にあったものが、

言語化できて、
自分の目の前に改めて提示されると

とてもスッキリする。

自分のものさしというか、
基準がわかるということだものねぇ。

他人の価値観にも惑わされなくなる。
自分ごとと他人ごとの
区別ができるようになるから
自律できるよね。

仮に、違う道に行きそうになったとて
この言葉を唱えると
エネルギーが湧いて
自分の立ち位置に戻れるような…。


なんとなくの感覚で生きるのも良いけれど
自分の欲求を言語化できたら

日々の生活の中においても
その言葉に出会った時にフックがかかって
アンテナ貼りやすくなるよね。

自分の在り方を見つけるワークは
ググるといくつか出て来るみたいなので、
興味がある方は
そちらで調べてみるのもいいかも。


そんなワタシがつぶやく箴言note。

不道徳なところは勘弁ね。

よろしかったら寄っていってくださいませ。