聖書に関する不思議な体験 | 春はあけぼの 女は美学

春はあけぼの 女は美学

50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。伏見美帆子です。



アラカンオンナが、
感じるままに綴るブログです。


————————————————————
 

その人はワタシに、


聖書を学びなさい


と言った。


急に降りてきた言葉だった。






そしてその日、

その人に会う前に、ワタシは偶然にも、



はあ、学生の時にキリスト教学をサボっていたツけが回っている…読み取るのに苦労した(><)


と、ブログに、聖書の言葉を書いていた…。



ワタシがその日にそんなブログを書いたことも

なんならワタシがブログを書いていることも


何も知らない人から…。





その人とは、

このブログにも出てきた、

沖縄のシャーマンの方である。



シャーマンとは、

トランス状態となり、自身を媒介として、

神霊などの超自然的な存在と交流ができる人。



なぜワタシにキリスト教の学びが必要なのかは

先祖供養の時のように、

明らかにはわからなかった。

その方も。

もちろんワタシも。





その時は…。



しかし、実はその日の夜、

不思議なことが起こったのである。


シャーマンとお会いできて

たくさんの言葉を交わした興奮が冷めやらず

帰りに、

ワタシはいつものバーに寄ったのだった。


その時、

しばらくしてから仲良しの常連さんが来て

話をしていたのだが、


不意に


本当に不意に、



キリスト教の映画って見たことある?

オススメたくさんあるんだよね。


と言ってきたのだった…


とてつもなく驚いたワタシ。

シャーマンと会ったことも、

聖書のこともキリスト教のことも

もちろん彼に何も話していなかったのに…


きっと、誰かが彼に言わせている…


彼が絶対に観た方がいいよと

推薦してくれたのに

あまりの驚きで、耳に入ってこなかった滝汗

またいつでも聞けるからいいけれども。




驚きのあまり、次の日ワタシは、

解釈がわかりやすい聖書の解説本を

何冊か購入。


その中の一冊が、このブログでも紹介した、

こちらの本。



そしてこちらも。



読みやすい本なので

手元に置いてパラパラと読んでいたのだが、


一方で、友人に借りていて、

なかなか読み進められない本が気になっていた。



そう。このブログで書いた、



この本である。


毎回、なぜか眠くなり

ボーッと文字の中を漂ってしまう本。



今日は、

オットの病院の付き添いに持って行った。

今日からリハビリが始まり

待ち時間も長くなるので。

うつらうつらしてても良いかなと

ページを広げると、今日に限って

なぜだかドンドン読み進められる。


そして、物語の中に、


聖書の言葉がたくさん出てくることにも気づく。



えっ!?


もちろん、作者のエンリケバリオス氏は

南米の作家であるから

敬虔なキリスト教徒であり、

その思想が彼のココロの根底に

静かに横たわっているのは理解できる。


しかし、

この本、

キリスト教だけではなく、

もっと違うところで


そう、宇宙次元で

神や愛を語っているような気がしてならない。


とは言いつつ、

それらあくまでもワタシの中の感覚である。

キリスト教に無知なワタシは

そこを明確にすることはできない。



でも

もしも明確になったら


ワタシの中での

神や愛に対する

意識が変わるのだろうか…


災害や戦争、疫病に塗れた世界を

ひとごとのように思っているワタシが、

毎日のニュースを

まるで映画のようにしか捉えていない、

非情なワタシが、

何かに気づくことがあるのだろうか…


それによって、

ワタシの中の何かが変わるのだろうか…


だからこそ、

表層意識ではなく、

潜在意識の中で

この本を理解しようとしていたのだろうか…


今までの一連の不思議な出来事のように

まずは流れに身を任せ、

今は本を読み進めるだけ。

学ぶだけ。


大袈裟なことは起きなくても

もしかしたら

流れ着いた先は


今と同じ色かもしれないし、

違う色をしているかもしれない。


ワタシは何を見るのだろう。


ちょっと楽しみである。