あまりに幼き「死生観」その2 | 春はあけぼの 女は美学

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50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

 
 
こんにちは。渡邊美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。

 

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なぜか分からないが、
幼い頃から「死生観」というものを持っていた。
 
 
死んだらどうなってしまうのだろう?
地獄に行ったらどうなるのだろう?
 
何故だか「死」というものをよく考えていた。
 
昨日は、
あまりにも幼い、未熟な死生観を抱えていた
お話でしたね。
 
 
そう。あれは六年生の時の、多分道徳の時間。
 
担任の先生ではなかった。
先生がお休みで。別の先生の授業だったことを
鮮明に覚えている。
 
何かの拍子に、先生が聞いた。
 
「この中で、死にたいと思ったことがある人、
手を挙げて。」
 
今から思えば、本当にそんなこと思ったら
人前で手を挙げることなんて
できるわけがないとは思うが、
でも幼い私は、その時、
みんな手を挙げるものだと思っていた。
 
それでも、ビクビクしながら様子を伺っていると、
挙げたのは、ちょっと大人っぽい男の子1人。
 
 
それに対して、みんなが驚いた。
 
「えー!」
「死にたいって思ったことなんてあるの〜?」
「なんでなんで〜!?」
 
教室がざわめき、彼が答えた。
 
「ボーイスカウトの訓練がキツかった時、
こんなに辛いなら死にたいって思った。
その時一度だけ。」
 
 
 
 
私は一人で固まっていた。
 
みんな、死にたいって思ったことないんだ
思ってないんだ。
私だけなんだ、そんなこと思っているのは。
 
 
なんだかその時、みんなが羨ましかった。
眩しく見えた。
私1人が、
底無しの沼にハマっているような気がした。
1人だけ、違う子。
右へならえが美徳とされていたあの頃、
人と違うことは悪だった。
人と違ったことを思っている子は悪い子だった。
 
 
それから
特に「死」に対して話をしたことはなかった。
 
 
 
今、これを書きながら思う。
 
あの頃は時間もたっぷりあった。
いつも妄想したり
本を読んだりすることが好きな私は
「死」の中に
漠然とした美しさを感じていたのかもしれない。
 
1歳で亡くなってしまい、
私が会ったことがない兄は
私の中で、
そして特に母の中で
昇華された魂として、美化されていた。
 
偉人の伝記では、
当たり前だが必ず主人公が死んでしまうため
しかも不本意な死に方をした偉人も多く、
怖くて読めなかった。
 
それほど死に対する恐怖があったのに、
それを払拭するほどの憧憬があった。
兄への母の愛
兄への憧れ
死んでしまった人は、永遠に美しい。
 
四年生のときに亡くなってしまった友人も
悲しくも何故かそこには、
百合のような凛とした美しい思い出とともにある。
 
 
私の中でロミオとジュリエットは
死をもって愛を達成するという
そのストーリーが、幼い心の中で
ゾクゾクするような高揚感だった。
映画のウエストサイドストーリーにハマったのも
この頃である。
 
 
あの頃、武者小路実篤の「愛と死」を
読んでいたのも今となってはうなずける。
ただ恋愛について興味があっただけでは
なかったのだと、
今、改めて思う。
 
 
上記のブログにも書いたが、
下記の文章は「愛と死」の最後の文面である。
 
死んだものは生きている者にも大いなる力を持ち得るものだが、
生きているものは死んだ者に対してあまりにも無力なのを残念に思う。
今でも夏子の死があまりにも気の毒に思えて仕方がないのである。
しかし死せるものは生けるものの助けを要するにはあまりに無心で、
神の如きものでありすぎるという信念が、自分にとってせめてもの慰めになるのである。
 
 
再び、
あの時には理解できなかったこの文面に
心が染み入っている。
 
 
私は決して「死」を奨励しているわけでも
今となっては美化しているわけではない。
大人になって
残されたものの苦しみや哀しみを
体感したからというのもある。
 
 
そして、
両親の介護に伴い、
また私の中でムクムクと
「死生観」が沸き起こってきたのだが、
これも長くなるので、またいつか。