武者小路実篤「愛と死」を読んでいた小学生時代から思い起こすこと | 春はあけぼの 女は美学

春はあけぼの 女は美学

50過ぎた女が感じたこと、考えたことを書いてます

こんにちは。渡邊美帆子です。



アラフィフオンナが、
感じるままに綴るブログです。





————————————————————

昨日、図書館へ行き、
予約していた本を受け取ってきた。




今、我が家の近くの図書館は
全て予約貸出のみとなっており、
書架への立ち入りは禁止となっている。

久しぶりの図書館は
受付カウンター以外入ることはできず、
ロープが張られ、
黒い布が本棚にかけられていた。

何か悲しくてこみ上げてくるものを感じながら
それでも図書館の方々は
笑顔で予約していた本を渡してくださった。


そのうちの一冊がこの小説である。

今、1円で買えるのも驚き。


実はこの小説、
今から40年以上前、
私が小学生の時に読んでいたものだ。


当時、とても厳しかった母に
漫画や雑誌を買うことも読むことも禁じられ
テレビも19時から21時までと決められ
いつも頭の中が妄想で膨らんでいた思春期の私は
本屋で見たこのタイトルと作者の名前に
釘付けになった。


愛と死 武者小路実篤著

愛…。
その対照的な死。
タイトルだけで、
幼き小学生でもあらすじが推測できるような。

何としても読みたい!

まだ小学生では読めなかった、
「武者小路実篤」の名前にも
とてつもないインパクトを覚えた。
どこまでが名字で、どこまでが名前だったのかも
その時はわからなかったが(^^;;

後から、
我が家の床の間に飾ってあった
子供ごごろには下手くそに見えた
かぼちゃの絵の掛け軸が、
武者小路氏のものであると知り
なにか私にとっての特別な人のような
感じがしたのも覚えている。


マンガ以外、
本なら大抵の物は買ってくれる母は
10歳の私がドキドキするようなタイトルの本を
いとも簡単に買ってくれた。


家に帰ってから
胸の高まりを感じつつ、
あっという間に読んでしまった。

死んでしまうヒロイン夏子と
残された主人公村岡との愛を育んでいく会話や
海を隔てた2人の手紙に、
こまっしゃくれたあの頃の私は
同級生が普通に読んでいたマンガや
テレビドラマを見れない代わりに
性に対する憧憬の念を膨らませていった。





40年以上の時を経て、
この本が読みたいと急に思ったのは、

ヒロイン夏子がスペイン風邪で
あっという間に急死してしまったのを
ふと思い出したからである。




スペイン風邪は、1918年パンデミックとも呼ばれ
極めて多くの死者を出したインフルエンザの俗称である。(中略)
1918年1月1920年12月まで世界中で五億人が感染したとされ、それは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。


当時はワクチンも開発されておらず、
衛生環境も問題のあった中で、
このスペイン風邪が猛威を振るい、
さらにこのウィルスの特徴として
他のインフルエンザとは異なり、
若い人たちの死亡率が高かったことがあげられる。

元気だった夏子が
あっという間に死んでしまったのも
納得である。



かつて何度も人類は未曾有の事態に直面し、
戦い続けてきた。
多くの方々の尊い命とともに。


猛威を振るっているコロナの報道を見るたびに
この小説が思い出された。
この村岡のように
悲しみに明け暮れている方々が
たくさんいらっしゃるのだと思う。


この小説の最後に、このような言葉がある。



死んだものは生きている者にも大いなる力を持ち得るものだが、
生きているものは死んだ者に対してあまりにも無力なのを残念に思う。
今でも夏子の死があまりにも気の毒に思えて仕方がないのである。
しかし死せるものは生けるものの助けを要するにはあまりに無心で、神の如きものでありすぎるという信念が、自分にとってせめてもの慰めになるのである。






あの頃の、
10歳の私には
当たり前だがこの言葉は理解できなかった。
記憶にすらなかった。


歳を経て
さらにこの状況下の中で読み直してみると
経験や年齢に裏打ちされた
踏み台に乗っている今は、

取りこぼしていた言葉の意味や
行間に漂う感情の波を
今更ながら見出すことができる。


亡くなった方々へできることは無力だが
その崇高な死を前にすれば、
生きている私たちが私たちのためにできることは
たくさんあるのだ。





コロナウィルスで亡くなった方々のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。