言語学者の神田和幸先生が
事実と現実と真実の違いについて
書かれています。
一部抜粋させていただきました🙏
記事中の下線は私がつけたものです
「事実とは人の理解とは別に物理的に存在することであり、現実とはその事実を認識することで頭の中の存在です。真実とはその認識を信じることで、抽象度が一段階上がります。真実は多数が信じれば社会的に利便性があるため事実と異なることがありえます。天動説がその典型例です」
神田先生の上げてる典型例は
その昔、誰もが天動説を信じてた頃は
事実=地球が回ってる(地動説)
現実=地面は動かず太陽や月や星が動いて見える
真実=天空が回ってる(天動説)
だったということよね。
ときに事実は見えない
(認識できない)ってこと。
「日本文化では存在よりも信じることが重要と考えていることがわかります。その結果、西欧では事実を示して正邪を争うことになりますが、日本ではマコトかどうかで結論が決まります。解決とは「みんなが納得」という心情的な一致になります。西欧では「事実を現実と認めた人が多数」が解決法であり、いわゆるエビデンスが重要になります。日本でも最近はエビデンス主義になりつつありますが、エビデンスとは事実ではなく現実化された事実のことです。従って事実は1つであっても異なるエビデンスが存在するわけで、その証拠としての能力が争われるわけです」
エビデンスとは事実ではなく
現実化された事実
事実は1つであっても
異なるエビデンスが存在する
なるほどそうか!!
と膝をたたいた私😆
エビデンスエビデンス
言うようになってから
いわゆる二極化とか
分断とかがどんどん進んでるように
感じるのはこーゆーことか!と。
自分の見たいエビデンスしか
見えないから
そことズレたエビデンスには
「違うよ!」としたくなるのだなぁ。
それぞれの現実をもってして
西欧では事実として
日本では真実として
「これが正解!!」
としてるからおかしくなるんだな🤣
現実はそれぞれ。
そして
どの現実も間違いじゃない。
あなたの現実はそうなのですね。
わかりました。
でも私の現実はこうなのです。
みんながその意識でいたら
どれだけ穏やかになれるだろう。
そして
本当に見るべきは
現実でない。
見ようとせずとも
勝手に流れている事実を
感じるだけ。
事実が真実。
言葉遊びのようになってしまうけど
求めたい真実は
事実にしかない。
現実に振り回されずに
ただあるがままの事実を
感じられるようになったら
✨✨✨✨✨✨
言葉にならない「そこ」に
いることに気づけるのでしょうね^^
これまでのカン違いシリーズ✨
結構好評😆
良かったら読んでみてくださいな。
第1弾✨
第2弾✨
第3弾✨
第4弾✨
いよいよ今週土曜日開催‼️
既に安心安全完璧な世界にいるという
事実=真実に気づけるかもしれません^^