河川への放流検討を依頼してから約1か月後、結果の報告を受けました。

結果は、

「物理的にも、技術的にも、河川への放流は不可能」

というものでした。

河川に放流する条件として、河川のHigh Water Level(計画高水位:大雨で増水した時の水位)よりも上で放流する必要があるのですが、その高さで放流しようとすると浄化槽の位置から十分な勾配が取れないため、不可能なのだ、という説明でした。

近隣の方々は河川に放流しているが、それは昔ながらの既得権で、新規には不可能だ、ということでした。

お先真っ暗です。


道路側溝へ放流すれば、近隣の方々との関係が悪化し、かと言って、河川への放流は不可能。

では、この土地では住宅なんて建てられないじゃないか、という話になります。


土地選びの際に、BESSにはその土地で建築可能か調査してもらっています。

ライフライン関係も、その時に調査してもらっています。

しかし、排水に関しては特別説明もなく、道路側溝一択で進められてきた話でした。

繰り返しになりますが、BESS富士の

「道路側溝へ放流するのが普通で、当たり前」
「自分たちの手続きに問題はない」
「河川への放流を事前に検討することはあり得ない」

という説明は、どうも腑に落ちないのです。

両隣も、そのまた先の隣も、全ての住宅が河川に放流しているにも関わらず、それが事前の調査、検討で挙がってこないなんてことがあり得るのでしょうか。


事前調査って、いったい何をやってたの?

ちゃんと調査してくれてたの?


薄々感じていた不信感もあり、モヤモヤと疑念が湧いてきます。

ですが、それも一旦、飲み込みました。

まずは解決策を考えることが先決だと思ったからです。


私は、BESS富士の営業に

「できないものは仕方がないので、近隣の方々に説明と相談をする場を設けたい」
「苦情元と、利害関係者をリストアップして欲しい」

と依頼しましたが、それは受け入れてもらえませんでした。

BESSの言い分は、やはり変わらず「自分たちに責任はないので、市から話をしてもらうべき」というものでした。


正直なところ、BESSの言い分に納得のいかないところも、そもそもの調査に対しての疑念なども、たくさんありました。

でも、そこをつついていても、仕方がありません。


子供が生まれて新しい生活をスタートしようというのに、針の筵のような場所で過ごしたくありません。

子供にも、妻にも、嫌な思いをさせたくありません。

近隣の方々にだって、自分たちのせいで嫌な思いをさせたくありません。


だから、まずは解決へ向けて進むべきだと思ったのです。

私は、BESS富士の提案で市の担当者に会いにいくことにしました。

「業者が行っても話を聞いてもらえないので、市民である施主さんが行って話をして欲しい」

というBESS富士の言い分でした。


BESSは繰り返し

「私達も同行します。協力します。」

と言うのですが、私にはその言葉にも違和感が感じられました。


BESSの姿勢は、一貫して主体性が感じられないのです。


私は、BESS富士に調査も、申請手続きも含めて業務を委託しています。

仮にBESS富士の主張が正しく、申請に対して許可を出した市に問題があったのだとしても、それで

「自分たちの責任ではないので、依頼元が対応してください」

という姿勢は、普通でしょうか。

普通、逆なのでは?

自分たちが業務を請け負い、その業務上の相手側に過失があって問題が生じたのだとしても、まず自分たちでその問題を解決しようとはしないのでしょうか。

 

相手に問題があったというのなら、自分たちで相手に責任追及はしないのでしょうか。

「自分たちだけで話すよりも、施主に一緒に話してもらった方が通じるので協力してください」

なら分かるのですが、BESS富士の姿勢には、何か違和感を感じました。

 


先の言葉にも、

『私達が本来動くことではありませんが』、私達も同行します。
『私達に責任はありませんが』、協力します。

というような枕詞が感じられるのです。


そして、その違和感が正しかったことは、その後の対応ではっきりとした形となっていきました。

 

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