京都府立植物園に咲いていた花達! | hara

hara

日々の出来事などあれこれ書いてます。

 

    訪問有難う御座います。

 

 

  19日(金)午後も晴天で京都府立植物園では牡丹の花が、

  満開と知り出かけて来ました。 

 

  北門から入園直ぐに、ムラサキハナナが満開で美しかったです。

 

               フリフロンテラ

                    花筏

 

                 牡丹の花

 

 

                                         ハナズオウ

                  シャガ

             まだ咲いていた八重桜

      池の周りはすっかり~新緑になっていた。

        

 

 

     石楠花の花も美しかったので次回載せさせて頂きます。

 

 

  長~い文章になります。 スルーして下さいね。

 

  神戸に住む兄(94歳)目、耳、歯だけが良いと言う爺さんです

  重篤との知らせで咳が止まらない妹と見舞いに駆け付けたのが

  4月5日(金)でした。 (妹も花粉症でした)

  その兄が今では歩行訓練していると言う。

 

  流石14歳で特攻飛行兵を志願した気も身体も強靭であると知る

  元気になって又電動自転車に乗りたい。

  そんな強い気持ちに生かされているのかも知れない。

 

  私には10歳違いの弟が居てますが、兄の事妹の事は書いても

  弟の事に触れる事も、電話する事もほとんど無くて・・

 

  今日は時間がゆっくり~あり弟の事を書こうと思います。

  親族でこのブログを知る者も無いのが幸いです。

 

  弟が生まれたのは昭和21年、終戦の次の年でした。

  私10歳の時生まれた末っ子で田畑や養蚕にも多忙な母に変わり

  学校以外の時間は何時も私は子守役で弟は背中だった。

  おしめも替えたり母乳以外は私は小さなお母さんだった。

  

  弟が背中で覚えた初めての歌は、お隣さんの蓄音機から流れる

  岡晴夫の憧れのハワイ航路だったかも知れない。 

  何時か聞いた。あの歌知ってる? 知ってると言った。

 

  私が昼はお母さんして居たことなどは母親の都合であって、

  多分本人は覚えてもいないでしょう。

  物静かで一番優しい子です。

 

  銀行マンになり、大阪のある支店で隣の席になった女子行員

  さんと結婚して兄弟の中でも一番素敵な家庭を築いたと思った

 

  無事に65歳で退職して、家庭菜園や趣味の詩吟など楽しんで

  居た日、腹痛で入院即手術となり私と妹は駆け付けた。

  病名は?腸の憩室によるもので1年間置いて人工肛門を、

  戻す手術がなされた。 此れで終わったと思った矢先に、

  又手術をする事に・・つないだ腸に又異変が生じて、

  その度に妹と私は大阪の南部の市の病院に駆け付けた。

 

  その後電話すると夜に特に痛む。と言いました。

  「俺何も悪い事して来た覚えない」 

  真面目が背広着た様な人間です。そう思うでしょう。

  夜になるとひと時痛むのが辛い様です。 

 

  先日兄の事で電話した時、集落でも一番生出数の多かった世代

  同級生13人の内8人が元気で居て集まってくれるので、

  運転できる今ミニ同窓会に帰省する。と言った。

 

  そして桜の満開だった日に子供のころから遊んだ仲間達8人に、

  会ってきたそうで・・

  兄嫁さんと後を継ぐ甥っ子夫婦の住む実家にもお嫁ちゃんと、

  1泊して来たそうで私もそれを聞いて嬉しかった。

 

  介護用品も無い時代(平成の初めころ)5年以上も家で母の介護

  をしてくれた兄嫁さん(今年米寿)と息子のお嫁さん、

  何時誰が泊りで帰省しても快く迎えてくれる実家は、

  ほんに有難い存在です。

 

  (よそ様では色々もめ事も多々あると聞きますので・・)

 

  

      長文読んで下さった方有難う御座いました